指先蝶々

彼女の何が優れているのか、と問われることは何度もあった。
それは男の友人からも、女の友人からも、男の上司からも、女の上司からも、果ては自らの親からも、重ねるように何度も何度も問われた。そのたびに私は首を傾げる。どこが、と言われてしまえば何もない、と答える。彼女の顔は良くもなく悪くもなくなどこにでもある平凡さを持っていたし、特別気が利くというわけでもない、動きはどこか鈍くぎこちなさを感じるし、目立った特技や自慢を持っているわけでもない。しかし同じように欠点もない。重ねるようだが悪くはないのだ、良くもないのだけれど。しかしなぜか、そういった平々凡々な人間を、他人はもっとも嫌う。退屈だものだと勝手に評価をつけて、その価値観を押しつける。いいじゃないか、俺はこれがいいんだ。そう言う者は嘲け笑って地に落とす。
もうどうでもいいのだよ。地面に叩きつけられた私は空を見上げて小さく笑った。小さな翼をひろげてほんの少し浮いた後、小さな宝物を抱えこむ。
小さくて薄い宝石のように輝くそれ。彼女の指先を彩るそれ。
春の風物詩によく似た色をしたそれは、俺の目の前でふらふらと右へ左へさまよっている。ああそう、これだ。これが私の目を奪うのだ。蝶々のようにも見えるそれをつかみ取ると、彼女があっと小さく声を上げた。
「蝶々は鳴かないと誰が言ったかね」
「意地悪をするのは、そして言うのはお止めになって、私のくしゃくしゃな顔が見たくないなら」
おまえが泣いたところなんて見たことがないよ。
言ってやりながら口の端をなめると、くすくすと彼女が笑う。それに気をよくして、つかんだ手を戯れに擦ってやると童のようにカラカラと笑った。擽ったそうにぱたぱたとバタつかせた足はそれを隠しているワンピースの布をひらひらと揺らめかせる。照明のいくつかを落として薄暗くしたこの部屋の中では、それが酷く官能的に映えた。あれは花だ。この蝶が好き勝手遊ぶための遊び場の欠片たちだ。今いる寝台の上に脱ぎ捨てた私のシャツやらベストすら、彼女の指に触れられればきっと花が咲く。狂った私のこの頭の中で、今視界に広がっているのはただの花畑であった。いかがわしい薬をやったのかと腕を見ても、そこは綺麗で注射針はおろか先ほどまで絞めていたベルトの痕すらなかった。
「お前は強い子だもの。何よりも、俺よりも強かで、俺を手玉に取るのがこの世界で一番上手いお前だもの」
そんなおまえが泣くのかい。か弱いなんて嘯くのかい。
指先のつるりとした曲線に指を這わせる。比較的伸びたそれは私の指先を傷つけるかと思ったが、それには至らない。大事に毎晩鑢をかけている私はそれを知っている。色を落とし、塗り換え、毎晩私は知っている。それが、ただ威嚇をするだけのおもちゃの剣であること。正体は、私のことしか知らない処女の指先であることを。
「俺はこの世界で一番強い男だよ。そんな私を、お前は子供のように簡単に扱ってしまう」
この指先が、私の体をおもちゃのように軽く扱うのだね。
私の唇に押し当てた彼女の指先は、私の体温より少しだけ冷たかった。その温度が心地よくて、それを二度三度と繰り返すと、彼女は少しだけむくれたような顔をした。
「今日は手ばかりを褒めるのね」
あなたは私の手ばっかり好きなのね、そうなのね。
そんな憎たらしいほどかわいいことを言う。
誰がそんなことを言ったかね、誰がお前にそんなことを吹き込んだね?
髪や眦、頬や首筋、それらをくすぐるように触れながら私は聞いた。
まだ拗ねたように口をつぐんでいる彼女は、どこかふらふらと視線をさまよわせる。
「どこぞに蝶でも飛んでいるかね」
お前も一緒に飛んで行ってしまわないように羽をもいでやろうか。
ほんの少しだけ脅かして、その細い体を寝台の上に倒してやる。
その隣に寝転ぶと、おずおずと彼女の頭が私の肩か、腕か、そんな微妙な位置に乗るのだ。
「ほら、あなた、見えないの?あそこよ、ほら、あそこに飛んでいるわ」
ああそうだね、そこにいたのかい。
そこには先ほど私が褒めに褒めたあの指先があった。
花の色、薄い桜の色、そんな色をした爪が、私の前でひらひらと。
「綺麗な蝶だね、捕まえて虫かごにでも入れてみようか」
「いやだわ、そんなの。こうして放し飼いだからいいんだわ」
この家なんて大きな虫かごそのものだろうに。
妻はあまり家から出なかった。
日中は家の中で家事や針仕事をし、私が帰ってくる夕方には食事を作り始める。買い物位は出なければならないが、そんなこともしない。私が仕事帰りに商店街に立ち寄って、彼女への土産のついでに翌日の食材を調達するのだ。私が出たり入ったりするだけ。彼女は籠の中の鳥ならぬ、籠の中の蝶。となると、私は蝶のエサともいえる花なのだろうか。私の蜜が、彼女を作る素なのだろうか。
ああやっぱりおかしい。今日の私の頭はどうもおかしかった。
「なぁ、お前。お前は、何の花が好きだったかね」
馬鹿な考えが口ばかりを動かす。
彼女はおはな?と目を丸くして呟いて、それからしばらくの間考え出した。今の彼女の脳内は容易に想像がつく。
赤白黄色、うす桃に紫。そんな色で敷き詰められていることだろう。そんな光景を想像しながら、私はじっと黒い瞳を見つめて答えを待っていた。
「私、柊の花が一番好きよ。白くて小さくて、雪みたいじゃありませんか」
ああ、これだから彼女は、まったくもって。
未だ目の前で見えもしない蝶を指さす彼女を見て、じんわりと目じりに涙が浮かんだ。
彼女の何が優れているのか。今そう問われれば、私は即座に一つの答えを呟くだろう。

彼女は、私を喜ばせるのが頗る巧い。

私の名前は柊(しゅう)、と言った。

[ 6/20 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -