12月24日、クリスマスイブ――……。
深夜1時すぎ。
パーティーの余韻を残す食堂、疲れきって眠り果てていた極星寮生らの中で、名前は目を覚ました。
薄暗い食堂を見渡して、全員にかかっている毛布を見やる。
全員が全員、寝落ちしたらしいことを名前はすぐに理解した。
静かな食堂を出れば、その寒さにぶるりと身を震わした。
「……一色くん?」
「あれ、起きたんだ」
階段に向かう手前で一色が立っていたのだ。
ただ立っていたというよりも、外を眺めていたというべきか。
「ほら見てごらん。雪が降ってるよ」
「本当。どおりで寒いわけね」
廊下は暖房があるわけ無く、一段と冷え込んでいる。
しんしんと降る雪を眺めながら名前は息で手を温めた。
「今日はどうだった?やっぱり楽しかっただろう、皆でわいわいパーティーするのは」
「……まあ、ね。うん、なんだかとても疲れたかも」
でも一色にはその声音と反して彼女の表情は優しいものであるのを理解した。
黒くて艶のある髪に触る。
「せっかく吉野さんたちにセットしてもらったのに崩れてしまったね」
「別に、どうせ明日には元通りだし、こんなことしたって意味ないと思うけど」
「そんなことはないよ。たまには自分に気を使ってみたら?」
何度か言われるその台詞、またかと思うし同時にだからどうすればいいのだとも思う。
料理こそが名前の進むべき道だ。
それ以外にうつつを抜かしている場合ではないはずだ。
そう、なのになぜ、自分はパーティなんてものに出ているのだろうか。
なぜあんなにも楽しかったのだろうか。
「っくしゅん!」
「名前、目をつぶって」
「え?」
「ほらいいから」
言われるがまま目をつぶる名前。
次いで万歳をしろとまで言われて、訝しむも良いからと押し切られてしまった。
一体何なんだ、と思っているといきなり上から何かが降ってきたのだ。
驚いて目を開ければ、目の前には先程よりも薄着の一色がいた。
「……」
「風邪ひいたら大変だよ」
「……い、いらない!一色くんが風邪引くでしょう!?」
「僕は日々鍛えてるからね」
ドヤ顔で言われても困る。
まあ、四六時中ふんどし一丁な彼が言えば、納得せざるを得ないが、それにしたって限度はある。
今は雪が降っているのだ。
いつもの夜よりも一段と寒いのに……。
「……名前に話したいことがあるんだ」
「話?」
「ああ、その前にちょっと待ってて」
一色はそういうと階段を駆け上って言ってしまう。
一体何なのだろうか、正直重要な話でなければすぐに部屋に戻ってもうひと眠りしたいところだ。
なんだかいつも以上に一色のペースになっている気がしなくもないが、まあ今はおいておこう。
「はい、これどうぞ」
「お茶?」
「薬膳茶だよ、薙切さんの秘書の子にご指導してもらって作ってみた」
「……ああ、あの子。珍しいわね、一色くんが誰かに教えてもらうなんて」
「そんなことはないさ」
魔法瓶に入ったその薬膳茶を一つすすりし、冷え切った体はほっと熱をおびた。
それから雪がもっとよく見える場所へ行こうと言われ玄関外まで駆り出された。
そして彼はなかなかの厚着をしていて、これは名前の先ほどの発言を気遣ってだろうか。
さらに名前にも彼女用のダッフルを持ってきており、着せるほどである。
「話って、長いの?」
「いや、まあ長くはないと思うけど。長くなるかもしれないなぁ」
ニコニコと言っているが、彼らしくもない、歯切れの悪い回答だった。
それから何故か長い沈黙、時折これは積もるかもね、なんてたわいない話を振ってくる一色に名前が耐えられなくなった。
「話って何?」
「ああ、うん……名前は覚えてる?最初に会ったときのこと」
「最初?」
「そう、最初だよ」
それは数字だけ見ればそこまで昔というわけでもない。
四五年ほど前だろうか、彼らにとってはかなり昔の話だ。
当時名前は苗字亭の長女として腕を磨いている最中だった。
和食料理亭として伝統深い苗字亭の中で生まれた名前は、幼い頃から包丁を握っていた。
兄と父の姿を見て、あこがれとし、目でそれを盗み腕を磨いていた。
一色は両親とともに苗字亭に連れられ、苗字家と会食をした。
そのときが二人の初対面だったのだ。
「名前は昔から口数は少ない子だったね。最初にあったときお人形さんかと思った」
「それは、言い過ぎだと思うけど」
それくらい、一色の目には彼女が異質に見えた。
自分と変わらない彼女が、戦場に立っていて、その目にはただ父や兄たちの姿しか映らない。そう、戦場しか見えていないのだ。
一瞬で引き込まれたのを一色は今でもよく覚えている。
「名前はきっと気がついていないだろうけど、僕はこれでも必死だったんだ。君は僕の数歩前を進んでいて、手の届かない存在だった。追いつきたくて、がむしゃらだったよ」
そんなことを聞いたのは初めてだった。
いつも余裕そうにしていて、自分が彼の前へ行っていた、という発言さえ名前は驚いていた。
名前にはそんな感覚は皆無だったのだ。
「がむしゃらに頑張って、それがどれだけ不純な理由だったのか分かってる。けど、悔いはないんだ。もちろん、これから妥協もしない」
「……何が言いたいの?」
的を射ていない話に名前は首をかしげながら聞いた。
少しの沈黙の後、一色は名前をまっすぐ見た。
なぜかその瞬間、心臓が止まりそうだった。
「……名前のことが好きだ。僕はずっと君のことを思ってたんだよ」
「……」
瞬間、熱湯でも沸かしたように体の中が熱くなった。
何を言っているのだろう、目の前の男は。思考が鈍る。
「なに、いって……」
「追いつきたかったんだ、名前に釣り合うような……それくらいの存在になりたかったんだ」
「い、意味がわからないっ。冗談はやめてよ」
「嘘だと思う?名前、僕の目を見て、僕は本気だよ」
しっかりと見据えられた一色の瞳に名前はたじろいだ。
いつもニコニコしているくせに、この射抜くような目がいつまで経っても慣れない。
心臓が激しくなって止まらないのだ。
「わ、私は……」
「答えを今欲しいわけじゃないよ。ただ、僕の気持ちを知って欲しかったんだ」
混乱させたならごめん、と一色は名前の髪についた雪を払いながらそういう。
真っ直ぐ向けてくる視線から何とか顔を背けて、空から降ってくる雪に視線を移した。
「……なんで、私なんか」
「なんでだろう。今考えるといろいろあるけど、あの時を思い出すと単純に一目惚れかな。単純に名前のことを好きになったんだ」
「……」
なんて恥ずかしいことを言う男なんだろうか。
聞いているこっちが恥ずかしい。名前は自分の顔を隠すように俯いてしまった。
「……わ、私は一色くんに釣り合うような人じゃないわ」
「……そんなことはないと思うけど。というか、名前の口からそんな言葉が出ると思わなかったなぁ」
一色が可笑しそうに、だが嬉しそうというよりも苦笑に近い笑みを浮かべた。
それはそうだ。
横の男が色恋の話を持ち出してこなければこんな会話すらしないのだから。
名前は料理脳な脳みそをなんとか動かそうとしたが難しい作業だ。
「ごめん、そんな風にさせたいわけじゃなかったんだ」
一色の謝罪に名前はぶんぶん首を振った。
取り乱してはいるが、彼に謝ってほしいわけじゃなかった。
「とりあえず、僕の気持ちを伝えたかった、それだけだから。もし返事をくれるならそれは嬉しいけど、今じゃなくてもいいよ」
「……」
「もう寝ようか」
*
部屋に帰ってきて、ぼすっとベッドへ倒れ込んだ。
彼にあんなことを言われたのは初めてだった。
当たり前だ、彼はいつも名前に対して保護者のようにしていたのだから。
誰がそう思うだろうか、彼が名前を好きでいた、なんて。
「……待って、待って待って待って」
どうしたらいいの、この感覚は。
これから彼とはどうやって接していけばいいのだろうか。
わからない。
「……セーター、どうやって返そう」
さっさと脱いで返しておけばよかったと心底後悔する名前なのであった。
執筆:2014.2.13
公開:2014.8.18
本誌初登場時から一色先輩が好きな作者です。
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