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孤城の可笑しな女


真夜中、誰もが寝静まっているだろう時間に彼女は窓越しに月を見つめていた。
両手首には鎖の繋がった拘束具。両足は歩けないように腱が切られている。

「……悪魔さん」

ここへ来た時、出会った悪魔。
その頃はまだ自由が利いていた。
湖を散歩していたら場違いであって、しかし似合っているピエロのような服装。
何をしているのですか?と声をかけてみれば、彼は何、散歩ですよと言った。
酷い隈で八重歯がすごく尖っていた。

『ここに一人、人間が連れてこられたと聞きました』
『はあ……きっと、私の事です』
『貴女がですか?』
『えぇ、連れてこられました。そこの主に』

そう言って彼女は丘の上に建つ屋敷を指差した。
よく話を聞かされた事はなかった。
ただその主の召使に、貴女様は主に見初められたので御座います、と言った。
正直、その主との面識は一切なかった。ここへ来て初めて会ったのだ。

『私は貴方様とどこかでお会いになられましたか?』

そう聞いてみると、ないよ。僕達は今ここで初めて顔をあわせたんだ。と言った。
どうして主が彼女を知っていたのかはわからない。写真で顔を知っていたのかもしれないし、彼女の住む村の人たちに聞いたのかもしれない。
そうだとしても、彼女は真実を聞こうとはしなかった。

『君のことはここで持て成すよ。一生楽しい思いをさせてあげる。もうずっとここに居てくれれば良いんだ』

その言葉を聞いた時に、自分はここからは出られないんだと悟った。
同時に追求する事を止めた。きっと無駄だろうから。

『では、次は貴女が犠牲になるのですね』
『犠牲?どういうことですか?』
『いえ、なんでもありませんよ☆ では私はこれで、たま明日にでもここでお会いしましょう』
『……ええ、また明日』

彼は一礼すると森の奥へと消えていった。
彼は一体なんだったのだろうか。そして、犠牲とはなんなのだろうか。
彼女の頭の中にいくつもの疑問が浮んできた。

『名前……聞くの忘れていたわ』

明日と言っていたから、またそのときに名前を聞こうと思った。
そして次の日、また次の日、そのまた次の日と彼女と彼はその湖の辺で会った。
彼は名前は教えられないと言った。代わりに悪魔と呼んでくれて構わないと笑顔で言った。

『貴女の名前はなんですか?』
『名前苗字と申します』
『名前さんですか』

でも、ある日彼と会っている事が主にばれてしまった。

『もう会ってはいけないよ。君は、苗字は僕の傍にいればいい』

そう主は言った。
慈しむように抱きしめてくる。ああ、この人は寂しいのだろうか、そう彼女は思った。
揺れる瞳が印象的だった。

『悪魔さんに会えなくなるかもしれないわ』
『おや、そうなんですか?』
『なんだか軽いのね』
『慣れていますから』
『似たようなことがあるの?』
『えぇ』
『……でも、私は悪魔さんに会いたいわ』
『嬉しいです』
『本気よ』

いつも彼は飄々としていた。本心が見えなくて首をよく傾げてしまう。

『では、これからは私が会いに行って差し上げましょうか?』
『良いの?』
『貴女次第ですよ』
『……悪魔さんといる時間は楽しいの』
『分かりました』

それからは城を出なくなった。
代わりに悪魔が主と召使の目を盗んで、よく彼女に会いに行った。

『綺麗な花たちね』
『ええ、是非貴女に見てもらいたかったので持って来ました』
『ありがとう、悪魔さん』

彼女は悪魔から花束を受け取ると、愛しそうに抱きしめた。

『それにしても、警備が厳重になりましたね』
『ええ、ここを抜け出して湖へ行こうとしているものだから主が、私がどこへも行かないようにしているのよ』

愁いるように窓から外の高原を見つめた。
まるで鳥かごのようだと悪魔は思った。

『貴女は外に出たいのですか?』
『そうね、またに外へ行きたい時があるわ。でも本当に時々。今は悪魔さんが来てくれるから大丈夫』
『私はいつまでもここにいるわけじゃありませんよ』
『……そうみたい。いつも、湖へ行くとき今日は貴方が居ないんじゃないかって思うときがあったもの。きっと貴方はこれを暇つぶしと思っているのよね』

にこりと微笑む彼女。何もかも知っていると言った笑顔。
悪魔は面白いような、でも不愉快そうな顔をした。

『私が消えてしまうのが悲しいですか?』
『そうね、きっと心が空っぽになるわ』
『私にはよくわかりません』
『貴方は悪魔だもの。人間とはきっと感性が違うのよね』

さらりと言いのける彼女。
ただ自分が悪魔だと教えたいわけではなかった。でも、名を言うのも癪だったのだ。
だが、今はどうにも名を……呼んで欲しいという良くわからない感情が生まれていた。
なんと馬鹿馬鹿しい、こんな感情を持つなんてどうかしているのだ。

『私は悪魔ですよ。でも、その悪魔と親しくする貴女は可笑しな人間だ』
『私、可笑しい人間だもの』

彼女は笑った。さも、昔から周りの人間に言われていたみたいに。
それがなんだか気に食わなかった。



    *



『立てなくなったんですか』
『立てなくなってしまったわ』

彼女はそう言って足首を撫でた。一大事な筈なのに、彼女は穏やかだった。
悪魔は跪いて、彼女の足を触った。細くて白くて綺麗な足。あぁ、美味しそうだ。

『憐れですね』
『悪魔さんに会っている事がまた知られてしまったら今度はどうなるのかしらね』
『惜しいですね』
『……何に』
『貴女の何もかもですよ』

そう言って悪魔は足に口付けた。
こそばゆくて彼女は身じろいた。

『私は、ここに閉じ込められてここで死んでいくのよね』
『ここに来る者は皆そうです』
『貴方はいつも見てるの』
『ここの主が憐れだから、面白半分で見物をしているのですよ』
『悪魔ね』
『悪魔ですから』

二人は微笑んだ。
時計の針がゆっくり時を刻んでいる。あなたといるこの時間が幸せだった――。

『なんで会うんだ!?苗字には僕がいるじゃないかっ』

声を荒げて主が彼女の手首を強く掴んだ。
白髪交じりの頬がこけた主が迫って来た。

『ごめんなさい、ごめんなさい』
『謝らないでくれ!僕は苗字が傍に居てくれればいいのに、苗字は僕の事が嫌いなのか!?』
『好きですよ。大丈夫、私はここにいます』

主は情緒不安定になる。
誰かの愛情を欲して、誰かの温もりを感じていたいと願っている。
彼女は優しく主を抱きしめた。

そして、次は両手を拘束された。

『貴女は偽善者ですね』
『そう思うわ』
『そんな事をしても、貴女が外を出られることはない』
『外へ出たいと思うことが願いじゃないもの』

ふふと彼女は笑った。

『私は……この時間が続いて欲しいと願うだけ』

小さな願いだ。でもそれが絶大な貪欲な願いなのだ。

『人間は貪欲だ』
『そうね』

月日が流れていく、彼女は日に日に細くなっていった。
悪魔と話す時間も少なくなっていった。
それなのに悪魔は彼女の頭の中を占領していった。

それでも、容姿が衰える事はなかった。
彼女は可笑しい人間。


「悪魔さん、主がもう数日の命なの」

誰も居ない部屋で彼女はぽつりと言った。
主は身体が不自由になり、齢通り老け込んでいった。
そしていつまでも美しい彼女に 「美しい美しい苗字。僕の苗字。ずっと傍に居てくれ」 と、うわ言のように毎日言っていた。
部屋に閉じ込められていた彼女は主の部屋に閉じ込められた。

「天使と人間の子が悪魔と親しくなるなど、可笑しい限りですよ」
「私は天使じゃないもの。人間でもないの」

机の上に座っている悪魔に背を向けながら言った。
主は静かに眠っている。

「私は……可笑しな者。そんな者を主が好いてくれたなんて嬉しい限りでしょう」

一筋涙を流す苗字。
誰も愛す事が出来なくて、誰も近寄ってこなかった。主は異物な自分を好いてくれて歓迎するといった。
苗字はそれだけで充分だった。

「でも、もうそれは消えた」
「そうね、これからどうしようかしら」

自ら命を絶とうとも思わない。
悪魔は苗字に近付いて、対面するようにベッドに座った。

「私は貴女が気に入りました」
「それは、嬉しいわ」
「もう誰の物でもないなら、次は、貴女は私のものですよ」
「……いいのかしら」

薄っすら微笑む苗字。瞬間、主の方へと視線を向けた。
悪魔は苗字の頬に手を添えて、言った。

「私の物になるのは嫌ですかね」
「ふふ、いいえ」

「……愛しています、苗字」

そう言って唇を重ねた。
自分はこの悪魔に愛されているのだろうか、彼女は愛を欲した。
そして、何度も口付けた。

「私と一緒に居てくれますか」
「ええ、ずっと」

誓うように、お互いの頬に口付けた。
それから二人は笑い合った。

「悪魔さん、名前を聞いても構わないかしら」
「ええ。……メフィスト・フェレスと言います」
「光を愛せざるものね」
「そのようで」
「……私と共に居てくれる事に感謝します。メフィスト・フェレス」


天使と人間の子が悪魔と生涯を共にした。
それは誰にも知られる事はなく、静かに何百年もの未来で終結した。



 END.





2013.9.4



あとがき
如何でしたでしょうか、今回はファンタジーっぽい仕上がりです。
こういう感じの物語大好きです、はい。

全く関係ないですが、私はこの話略奪パロって呼んでます、
当初はそんな予定だったんです。結果的に全然略奪ってないですが笑


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