『仗助くんが来てくれて楽しかった。ありがとうね。』
家に帰って携帯を確認すると、ななこさんからメールが来ていた。
別れ際に見た彼女の悲しげな顔が頭から離れなくて心が痛い。こんなに気になってしまうのは何故なのか。
『こちらこそ、ごちそうさまでした。すげー美味しかったです。』
当たり障りのない返信をして、溜息をつく。
他の誰に対しても、こんな気持ちになったことはない。
*****
「そりゃあよォ、恋ってやつなんじゃねえの?」
億泰が真剣な顔で言う。コイツから恋とかいう単語が出るのはおかしい気がするが、至って真面目に俺の話を聞いてくれた。
「…やっぱそうなんかなぁ…」
力無く溜息をつけば、「俺ぁよくわかんね〜けどよォ…」と困ったような顔をする。
本当にいい友達を持ったぜ、俺は。
「でも俺、応援するぜ!」
億泰の無邪気な笑顔が眩しい。
恋、と言われて心がざわつく。
こんなぐちゃぐちゃな気持ちを、恋と名付けていいんだろうか。
*****
今日も家には誰もいないので、スーパーに寄ることにする。
「あれ、仗助くん。おつかい?」
「あ、まぁそんなとこっス。」
惣菜や弁当を選んでいると、ななこさんにばったり会った。先程の億泰の台詞を思い出して顔が熱くなる。
「もしかして、今日も親御さんいないの?」
手に持った弁当を見て、ななこさんは心配そうに言った。
「あー…明日の夜帰ってくるんスよ。」
「昨日教えてくれれば良かったのに!」
「教えてくれたらまた食事に誘ってくれるだろ?そんな連日ご馳走になるなんて申し訳ないかなー…と思って…」
ご馳走になりながら『明日も一人なんスよー』なんて厚かましい台詞は言えなかった。億泰あたりならなんの下心もなく言えてしまうんだろうけれど。
「むしろ私がお願いしたいくらいなんだけど。…今日はカレーなんだよ。どう?」
彼女はカゴに入れたカレールウを見せてくれた。カゴにはそれしか入っていない。
「もしかして、ルウ忘れたんスか?」
「…買い置きがあると思ったんだよ…」
恥ずかしそうに笑う姿は抱き締めたくなる程可愛い。
不埒な妄想を振り払うように、努めて明るく振舞った。
「ドジっスねぇ。これは仗助くんがちゃんとエスコートしないと。」
カゴを奪い取ると驚いた様子だったが、すぐに俺の意図に気づいて嬉しそうに笑った。
「…デザートも、買って帰ろっか。」
二人で何を食べるか相談して、一緒にレジを抜けて。まるで新婚夫婦のようでドキドキしてしまう。
ななこさんと毎日一緒に買い物をして、手を繋いで帰って。そんな風に過ごせたらどれほど幸せなんだろうかと想像する。実際は手も繋げないのだけれど。
*****
「なんであんなに美味しいんスか。市販のルウでしょ?」
食後のデザートを目の前に、ななこさんに疑問をぶつける。
市販のルウで作っていたはずなのに、ななこさんの作ったカレーは洋食屋さんのそれのように美味しかった。
「美味しかったなら良かったよ。」
まったく答えになっていない返事をしながら、ななこさんはコーヒーを淹れてきてくれた。
「…ねぇななこさん?」
カップを置いた手をそっと捕まえる。
柔らかくて小さな手。この手が俺を求めてくれはしないのだろうか。
「…は、はい。」
「…俺、ななこさんのことが好きです。」
言って楽になるのは自分だけかもしれない。
けれど今を逃したら一生言えない気がした。
「…仗助くん…」
「露伴のこと、好きでもいいッス。…ちゃんと振り向かせるんで…一緒にいてください。」
小さな手を捕まえたまま、こちらに引き寄せる。ななこさんの身体はあっさりと腕の中に収まった。
「…甘えても…いいかな…。」
小さな呟きと共に、背中に回される腕。
都合のいい男として一緒にいるだけなのか、こちらに傾きかけているのかは正直わからない。けれど今はこの腕だけで充分な気がした。
「もちろんス。」
ぎゅっと抱き締め返すと、胸に顔を埋めたままななこさんがぽつりと呟く。
「…よくわかんなくなっちゃって。…持て余しちゃうね。気持ち。」
「どういうことっスか?」
そっと髪を撫でると、シャンプーの匂いがした。さらさらとした感触が指先に心地いい。
「…私、ズルいなぁと思って。」
「…俺もっス。傷心のななこさんにつけこんでる。」
あんなことがなければ、知り合いのままだったであろうし、彼女もきっと、俺に興味なんて持たなかっただろうと思う。
「…つけこむだなんて…そんなことないよ。」
顔を上げて否定する彼女の表情が、昨日の彼女と重なる。
「そんな顔、しないでください。」
ななこさんの唇に、自分のそれをそっと重ねる。触れるだけのキスなのに、離れても唇が熱い。
「…え…あ、いま…キス…」
唇を抑えて戸惑う様子のななこさんは、年上だと思えないほど可愛らしくて。
「…だめっスか?」
覗き込むようにそう問えば、驚くような返事が返ってきた。
「…あの、ダメじゃないけと、…私、初めて…」
「…露伴は?」
避けていたはずの名前がついぽろりと零れる。露伴と付き合ってたんじゃないのか?
「露伴先生は、私の片思いだから…」
「じゃあなんで…ッ…!」
「『僕のオモチャだ。拒否権はない』って。…それでもいいって思っちゃった私が悪いんだけどね…」
寂しげに笑うななこさんは、一体どんな気持ちで露伴に抱かれていたんだろう。
思いもよらない真実に、心臓はさっきからドキドキ煩くて仕方ない。
「…そんなの、アイツが悪いに決まってるだろ…。」
好意を蔑ろにして、あんな酷い扱いをするなんて。受け入れてしまった彼女だって、まさかあんなに手酷くされるとは思っていなかっただろう。
「…そんなこと…」
この後に及んで露伴を庇うななこさんは、この世には善人しかいないと思ってでもいるんじゃないだろうか。
「…これからはもう、自分を傷つけるような選択はナシっス。約束して?」
「…ん。うん、約束する…。」
視線を合わせてゆっくり問えば、こくりと頷いてくれる。
この素直な瞳を、俺が守ろうと思った。
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bkm