「ciao、可愛らしいお嬢さん。浮かない顔してどうしたんだ?」
「…チャオ、バンダナのお兄さん」
寂しげな顔のシニョリーナがこちらを見ていたら、声を掛けるのがイタリア男の使命ってもんだ。軽快に笑顔を向けた俺に視線を向ける彼女は、どこか悲壮さを纏っていた。その顔は、この世で一番、いや、この世の人間以上に、と評してもいいくらいに美しい。
「…まるで俺を知っているみたいな口ぶりだな。……君みたいな素敵な人なら、覚えていないはずはないんだが…どこかで会った?」
「…いいえ、私は……ジョセフの、」
彼女はしばらく戸惑って、俺のよく知った男の名前を挙げた。その名前なら、ムカつくほどによく知っている。
「なんだ。あのスカタンの知り合いか。」
こんな美人の知り合いがいるなんて聞いてなかったな、と俺が返すと、彼女は「噂の通りのスケコマシさんね」と笑った。
「そりゃあ可愛いシニョリーナが悲しそうにしていたら、慰めなきゃって思うだろ?」
1日くらい俺に付き合ってくれない? なんて笑いかければ彼女は少し考えて「…1日くらいなら」と返した。
「よし、決まりだ。シニョリーナ、名前を聞く無礼を許してはくれないか?」
「…私はななこ」
「……それじゃあななこ、どこへ行く? カフェ? 映画?」
「…シーザーの好きなところに」
「ho capito、じゃあ映画でも見ようか」
名乗ってはいないのに、と思ったけれど、彼女はあのスカタンから俺の名前を聞いてでもいるんだろうと思い直した。しかしあのスカタンとこの妙な悲壮感を漂わせた女が一緒に話しているところを想像するのは難しい。
「…なにか、希望はあるかい?」
「幸せな、話がいいわ。……それこそ、希望が見えるほどの」
「よし、じゃあこれにしよう」
チケットを買って、ポップコーンとコーラも買って。そうして柔らかな彼女の手を取れば、テンプレートみたいなデートは完成だ。
「…素敵な手ね、シーザー」
「グラッツェななこ、君の手も美しいよ。キスしたいくらいに」
「ありがとう」
彼女は少しばかり照れ臭そうに笑う。幸せそうなななこは本当に可愛らしかった。それこそ、陳腐なお涙頂戴の映画なんか霞んでしまうほどに。
映画の内容なんかより、彼女の横顔の方が余程気になって、隣ばかり見ていた。
スクリーンの光に映し出される彼女は、まるで物語の中に溶け込めそうなほど美しく、照り返す淡い光に透けてしまいそうだと思う。
映画の終盤には、その目尻に綺麗な涙の玉を浮かべ瞬きも忘れてスクリーンを見ていて、俺は映画なんてそっちのけで、そんな彼女を見つめていた。
「……楽しかった?」
「…えぇ、」
小さく鼻を啜って、わずかばかり気まずそうに目尻を拭い、それでもななこは俺に笑顔を見せた。
「…泣いた顔も魅力的だ。」
「シーザーは、泣かないの?」
「……君を見るのに忙しくて、正直内容は覚えてないんだ」
ウインクなんてしてみせたら、ななこは「私を見るより映画の方が面白かったのに」と笑って席を立った。二人で劇場を出て、今度はどこへ行こうと考える。何か忘れているような気がして立ち止まると、ななこは困ったような顔で俺を覗き込んだ。
「…シーザー、大丈夫?」
「……あぁ、君があんまり綺麗だから」
そう言って誤魔化せば、ななこは柔らかく微笑んで「シーザーは優しいのね」なんて。
その返事の意味を問うべきか一瞬悩んだけれど、カフェの看板が目に入ったのでやめた。
「お茶にしようかシニョリーナ。映画の感想、聞かせてくれよ」
君に夢中でよくわからなかった、なんて肩を抱く。ななこは俺の手を遮るでもなく、そっと身を寄せた。
二人でコーヒーを片手にさっきの映画の話をしているうちに、日が傾く。あぁ一日なんてあっと言う間だな、と思いながら彼女を見た。
「…そういえば、ななこはあのスカタン…ジョセフと知り合いなんだろ?」
「……そう、ね…」
彼女はまるでそれが禁忌のように、曖昧に唇を閉ざした。聞いてはいけないのかと思ったけれど、それが何故なのかも気になる。
「……何か、言いたくないことでも、?」
「…そういうわけでも、ないけど……」
そろそろ時間だから、とななこは俺の疑問を切り上げるみたいに立ち上がった。彼女を追うようにして店を出ようとしたところで、扉に映る自分の姿にふと違和感。
「……なぁ、ななこ」
「どうしたの? シーザー」
ななこは最初に俺を『バンダナのお兄さん』と言ったが、ガラスに映った自分はバンダナをしていなかった。
聞いてはいけないと、心のどこかが警鐘を鳴らす。それに従うみたいに、俺は努めて明るく言葉を紡いだ。
「…次は、どこへ行こうか」
「…そうね、そろそろ……」
彼女は手元の時計を確認すると、「行きましょうか」と俺の手を取った。バサリ、と布を広げるような音がして、目の前に白い羽根が舞う。
「……マンマミーア…!」
ななこの背中に、羽が生えている。彼女は俺が驚く顔を見つめながら、真剣な瞳で言葉を紡いだ。
「……大丈夫、ちゃんと……ちゃんと受け継がれたわ。素敵なバンダナだった。……あなたを連れて行くのは、少しばかり、早すぎると思うけど。」
そう告げられて、己の最期を思い出す。フラッシュバックのように次々と浮かんでは消える記憶に呆然とする俺を、ななこはそっと支えた。
「……俺、は…」
俺は死んだのか、と問えば、ななこは最初に出会った時と同じ顔で笑いながら、俺の頭に金の輪を乗せた。
「バンダナの代わりに……これを」
20171104
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