「おはようございます!仗助さん!」
「おぅ早人、気を付けて学校行けよ!」
仗助くんが小学生に笑顔を向けているのを、怪訝そうな視線で追う。おかっぱ頭の、年端のいかない子供がどうして仗助くんと?なんて思っていると、私のその思考は顔に出ていたらしい。仗助くんはこちらを向いて、苦笑しながら「なんて顔してんだよ」と言った。
「え、だってさぁ…小学生と仲良くなんてどうやったらなれんのよ…」
「あー…色々あったんだよ」
風船を取ってあげた、にしちゃああの子は大きすぎるし、近所の憧れのお兄さん、っていう感じでもない。あの少年の視線は、そんなものを見る感じではなかった。仗助くんの目も、なんていうか子供を見る優しい視線じゃあない。
「ふーん。…なんかすごく、大人びた子だね」
私がそう零すと、仗助くんは目を丸くしてこちらを見た。どうして、と聞かれたから思ったままを答える。
「だって、仗助くんもあの子も、対等な感じがしたから」
あ、もしかして仗助くんが小学生みたいなだけだったり?と笑うと「お前ふざけんなよ」と背中を叩かれた。
「うそうそ、冗談。…でも気になるなァ」
「…んー…なんつーか、色々あってよォ、」
仗助くんは苦い顔をしながら、曖昧に、けれど真剣に話をしてくれた。
彼は川尻早人くんということと、彼の父親がいなくなったこと、それと、仗助くんは彼に助けられたこと。
よくわからないなりに事情をつかんだ私に、「スゲーんだよ、あいつは」と仗助くんは笑った。
*****
その帰り道、またおかっぱの少年を見つける。彼はひとりで、何かを思い悩むように俯きながら、こちらに向かってとぼとぼと歩いてくる。
「…ねぇ、今朝の少年。川尻、早人くん。」
「…え?」
彼はガバッと音がしそうな勢いで顔を上げ、私を見る。今朝の、とでも言いたげなまんまるの瞳に向けて微笑んだ。
「朝の元気はどうしたの?」
「…大丈夫です。なんでもないんで…」
感情が透けて見えそうな大きな瞳は、年相応の幼さだった。朝とはまるで別人だな、なんて思う。
「…私、仗助くんの友達なんだけどさぁ、君もでしょ?」
こくりと頷く小さな頭に、じゃあ私たちも友達だよね?なんていじめっ子みたいな台詞を吐けば、彼は怪訝そうな瞳を向けた。そりゃあそうだ。
「…初対面でこんなこと言うのもなんだけどさぁ、…無理しない方がいいよ?」
「…無理なんか、ッ…してません、」
ぶんぶんと首を振る少年は、どう見たって今にも崩れ落ちそうだ。事情はわからないけど、子供なんだから泣き喚いたって誰も咎めないのに。
「…ねぇ、私はななこって言うの。仗助くんのクラスメイトだよ」
早人くん、よろしくね。と手を差し伸べれば、小さな手が戸惑いがちに私の手を握った。
「事情はあんまりわかんないんだけどさぁ、私で良ければ話してみない?」
ジュースくらいご馳走するし、と言えば彼は困った顔で私を見詰めた。取って食いやしないよ、なんて笑い掛けると、少しなら、なんて大人びた声が返される。
「…何飲む?」
自販機でジュースを二本買って、公園のベンチに腰掛ける。仗助くんから多少は聞いてるよ、と言えば、彼は困ったようにこちらを向いた。
「仗助さんから、って…何を…」
「うーん、私にもよくわかんなかった。けど、色々。」
「…どうして、」
その問いに「仗助くんもお父さんいなかったから心配なのかもね」と言えば、彼は「ぼくの、パパは…」と呟いた。今にも泣きそうな瞳は、それでも強く輝いている。
「私には、わかんないけどさぁ…」
悲しいときは、悲しいって言った方がいいと思うよ、と、唇を付けた缶の中に向かって告げた。彼は悲壮な覚悟を秘めた瞳で「でも、ぼくがママを守らなきゃ」と呟く。
「じゃあ、君のことはおねーさんが守ってあげよう」
君のパパのことも、ママのこともしらないけど、君が今、悲しくて辛いってことは、見たらわかるよ。
そう言えば、泣きそうな瞳が私を強く睨みつけた。
「なんにも、知らないくせに…」
「…うん、」
「今、会ったばかりのくせにッ!」
「…だからだよ」
だから、いいんだよ。と、小さな頭を撫でる。彼は私の手を振り払い、「なんでだよッ!」と声を荒げた。
「…辛そうだから」
「お前なんかにぼくの何がわかるッ!」
小さな拳が、私の肩を叩く。持っていた缶はその衝撃に私の手から転げ落ち、その中身を砂にみっともなくぶち撒いた。それでも構わず、彼は私を叩く。痛いくらいに強く、何度も何度も。何がわかるっていうんだ、と。その叫びにそのうち涙が混じり、叩く拳がいっそう強くなる。私は黙って、彼の拳を受け止める。
こんな小さな子の悲痛な叫びに、誰も気付かないのかと思うと、殴られる痛みなんかよりずっと、胸の方が痛い。
しばらくすると、彼の腕は力なくおっこちた。すすり泣く音と、鈍い痛みだけが残る。
「…早人くん」
力なく崩折れた彼の髪をそっと撫でる。もう振り払う気力もないのか、彼はぼんやりと私にされるままだ。
「…どうして、」
「…泣いた方がいいなって、思ったから…かな」
ぐす、と鼻を啜り上げる早人くんの顔に、ハンカチを当てる。彼は濡れた瞳を上げて「ごめんなさい」と小さく呟いた。
「…少しは楽になった?」
別にこんなの、私の自己満足みたいなもんだ。だから君が気にすることじゃない。そんな気持ちを込めて、涙の残る目尻をそっと撫でる。早人くんは恥ずかしそうに瞳を伏せ、また「ごめんなさい」と一言。
「…早人くん」
「…なんですか」
「痛かったんだけど」
そう笑うと彼は慌てて私の肩を撫でた。「ホントにごめんなさい!」と焦る顔に向かって、「そう思うならさァ、」なんて意地悪な視線を投げかける。
「…申し訳ないと思うなら、一つ、言うこと聞いて欲しいなー?」
「…う、なんですか…」
悪い予感しかしない、みたいな表情の早人くんに向かって、「目を閉じて」と言えば、彼はおそるおそる瞼を下ろした。
その小さな身体に両腕を回して、ぎゅうっと抱き締める。彼は驚いたように身体を強張らせ、私の名前を呼んだ。
「…ッ、ななこさ…」
「…子供なんだから、少しは大人に甘えなさい」
まぁ私が大人かと言われるとそんなことはないんだけど、少なくともこの子よりは大人だと思う。彼の隣に無造作に置かれたランドセルを眺めながら、回した腕に力を込めた。
「ホントなんなんだよアンタ…わけわかんないよ…」
困ったように溜息を吐く早人くんの身体から力が抜ける。わずかに預けられた体重をさらにこちらに向けるように抱き寄せると、恥ずかしげに「もういいですか」なんて言葉とともに胸を押された。
「…仗助くんがさぁ、「あいつはスゲーんだよ」って、言ってたよ」
「…そんなことないです、ぼくは…」
俯いて唇を噛む早人くんは、まだやっぱり辛そうだな、なんて思う。子供らしく笑う天真爛漫な顔は、きっととても可愛いだろうに。
「…また泣きたくなったら、頼っていいからね」
「…ッ!もう、そんなことしません!!!」
彼は恥ずかしそうにそう言い放つと、ベンチからぴょんと飛び降りてカバンを引っ掴んだ。その手に開けなかった缶ジュースを握らせる。
「…またお話ししようね、早人くん!」
「…ッ、ありがとうございました!!!」
やけっぱちだ、みたいな勢いでそう叫んで、彼は走り去っていった。大丈夫かな、なんて思いつつその背を見送るけど、まぁまたそこらへんで会うだろうな、なんて確信にも似た気持ちを胸に、私は落っこちた缶を拾って、ゴミ箱に投げ捨てた。
*****
「あっ、ななこさん!仗助さんも!おはようございます!」
「おはよー早人くん。」
どこか清々しい笑顔を向ける早人くんと、呑気に彼に手を振る私に、仗助くんが「おめーらいつの間に知り合いになったんだよ」なんて不思議そうな視線を向けるから、「ナイショ」と笑って返しておいた。
20170630
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bkm