海洋冒険家、とは職業なんだろうか。
仗助くんの甥だと紹介されたのは、冒険家の三文字がしっくりくるようなガタイでおおよそ冒険などできそうにない真っ白なコートを纏う男性だった。
「…甥?叔父さんじゃあなくて?」
「俺が叔父なの。…なんつーか…ややこしい話だけどそーなんだよ。」
私がぽかんとするのを仗助くんが苦笑しながら眺めている。目の前の「承太郎さん」は柔らかな視線でこちらを見つめながら「よろしく、ななこ」と言った。低い声は落ち着いた大人の男性のもので、私は意味もなく照れながら挨拶を返した。
どうしてこうなったか、には多少の理由がある。
先日行った水族館でシャチに魅了されてしまった。
日本の飼育環境はわずか数箇所。今のところ一種類とされているけれど、その一種類の中で遺伝的情報の違う数種類に分かれるとか、謎の多い生き物。海のギャングと呼ばれる彼らの姿が私にはたまらなかった。
毎日シャチの魅力を語る私を見かねた友人の仗助くんが、「それなら俺の親戚に海洋冒険家っつー人がいっからよォ。」と引き合わせてくれた次第だ。
シャチに詳しいかはわからないと仗助くんは言っていたけど、承太郎さんは生き物全般、ことさら海の生き物にやたら詳しくて、分厚い図鑑を手に私の話を聞いてくれた。
そうして私はすっかり、仗助くんの年上の甥に懐いてしまったのだ。
*****
元々海が好きだった私は、彼の話に興味が尽きなくて、もはや仗助くんよりも承太郎さんといる時間の方が長くなってしまった。
承太郎さんも時間の許す限り相手してくれて、学校帰りに彼の滞在するホテルのプライベートビーチで並んで海を見ながら魚の話をしたりヒトデを探したりするのが日課になっている。毎日一時間もないその時間が、私にとって生きる糧と言ってもいいくらい大切なものになってしまった。
「…日曜日、お休みだったりしませんか?」
「…どうした。」
「もっと沢山お話ししたいなぁと思って。」
承太郎さんから借りた図鑑をぺらぺらと捲りながらそう言えば、彼は「構わない」と短く答えた。沈みかけの夕陽が水面に溶けていく。それはとても綺麗だけれど、少しばかり悲しい気持ちになるから。たまにはキラキラと明るく輝く海を承太郎さんと見たいなぁ、なんて。
「じゃあ、日曜日はお弁当作ってきますね!」
「ピクニックにでも行くのか?」
「ここで食べるんですよ。承太郎さんと。」
好きなものに囲まれて過ごす日曜日なんて考えただけで幸せだと頬を緩ませていると、彼は「やれやれだ。」と言って帽子の鍔を下げた。
「…楽しみにしてますね!」
足取りも軽く帰ろうとする私を呼び止めて、承太郎さんは「期待している。」と言った。
任せてください!と胸を張ったけれど、承太郎さんは一体何が好きなんだろうか。聞けば良かったな。
*****
そうして日曜日。相変わらずの緩やかな時間と、陽射しを受けて輝く凪の海。隣には承太郎さん。
私がベンチにお弁当を広げると、彼は感心したようにため息をひとつ吐いた。
「…これは、」
「力作なんで、食べてくださいね。」
ペンギンの形のおにぎりに、タコさんウインナー。厚焼き卵には星の形に切ったハムをくっつけた。ブロッコリーをサンゴに見立てて、隙間に魚型のニンジンを隠す。
作っていてとても幸せなお弁当は、承太郎さんも喜んでくれたようだった。
「…勿体無い気もするが。」
無骨な手がペンギンをそっと掴み、口元に運ぶ。承太郎さんとペンギンおにぎりのギャップに思わず声を出して笑った。
「…なんか、似合いますね!」
「…笑うんじゃあねえ。」
がぶ、と噛みちぎられるペンギンを見つめる。承太郎さんはもぐもぐと無言で咀嚼して、喉仏を大きく上下に動かすと口を開いた。
「…美味いな。」
ホテルの食事は味気ないと、以前に呟いていたことを思い出す。またお弁当を作ったら、彼は喜んでくれるだろうか。
「…良ければまた、作りましょうか?」
「…ありがとう。」
そう言って柔らかく微笑む承太郎さんに、胸がほんわかと暖かくなる。まるで包み込まれるような幸せに、勝手に唇から言葉が溢れた。
「…承太郎さんの隣にいると、凪の海を見ている時と同じ気分になります。」
「…なんだそれは。」
卵焼きに箸を伸ばしながら承太郎さんが問う。私は少し考えて、「すごく好きで、心があったかくなるから。」と答えた。
「…それは随分な口説き文句だな。」
唇の端を吊り上げてこちらを見る瞳は、珍しいヒトデを捕まえるときと同じだった。視線に射抜かれて、急に心臓がドキドキと鳴る。
「…撤回、してもいいですか。」
「嵐でも来たか」
彼は私の心の中を見透かしたように笑う。あぁ、この人は生き物全般に詳しいんだ。単純な私のことなんてきっとお見通しなんだろう。
「…早く過ぎてくれればいいんですけどね。」
そう言って笑って見せたけれども、残念ながら私の心の中は大時化だった。
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bkm