臆病者〜の続き
言いたいことは沢山あるのだけれど、その瞳を前にすると、何も言えない。
「なぁ、ななこさん?」
柔らかな瞳だ。別に怒ってはいない。凛々しい眉を不安げに歪めて私を見る仗助くんの視線から逃げるように俯く。
「どうしたの」
なんかあった?と優しい声色が髪を撫でる。私は、君に沢山言いたいことがある。聞きたいことだってある。
それでも声はひとつも零れないから、ゆっくりと首を横に振った。
「…黙ってちゃあわかんないっスよ」
私だって、君がわからない。
唇からは何も出てこない。一緒にいるといつもそうだ。仗助くんの視線が痛くて、胸が苦しい。最初みたいに強引に組み敷いて暴いてくれたらいいのに、最近の彼はそれをしない。
「…ねぇ、ななこさん」
捨てられた犬みたいだ。側にいるのに、好きなのに。頬が熱くて息が苦しくて、涙が出そう。
「ねぇ、」
不安げにそっと差し伸べられた手を、取るべきか逡巡する。彼にはもっと、相応しい誰かがいる。きっとその人なら、彼にこんな顔はさせないに違いない。
「おれが、…強引すぎたかなって、たまに不安になるんスよ」
そんな顔をさせたいわけじゃあないの、私は君の笑顔が好きなの。けれど縋って、重荷になるのも違うと思う。その手を取ってしまったら、きっと離せなくなる。それは本意じゃあない。上手く言葉が出てこない。そんなことないよ、の一言なのに、言葉にしようとすればするほど、いたずらに頬に熱が集まるばかりだ。
話すのは難しいのに、立ち上がるのは簡単だった。しゃがみ込んだ私を覗き込んでいた仗助くんは、困った顔のまま視線を上げる。キッチンに向かう私に声は掛けず、私がさっきまでそうしていた場所に、同じように小さく座り込む。捨てられた犬みたいに。
*****
二人分のコーヒーを淹れる。あたたかな湯気に溜息を吐いた。二人で話す、なんてただそれだけのことがどうしてできないのか。お揃いのカップを手に、二人だけの部屋で柔らかく微笑み合いながら会話を紡ぐなんて、幸せ以外の何物でもないはずなのに。
私が戻ってくると、仗助くんは拗ねたように背を向けていた。テーブルにカップを二つ置き、彼の背のすぐ側に腰を下ろす。そのまま、広い背中に寄りかかった。
「ななこさ、」
「…そのまま、振り向かないで…」
やっと、それだけを告げる。喉に引っかかったみたいな言葉は吐息と変わらなかったけれど、仗助くんには伝わったらしい。彼は振り向くことを止め、背中に意識を集中したみたいだった。わずかに固くなる背中からそれを感じ取り、腕を回すべきなのかと考える。台詞だけだったらまるで何か、犯罪者と被害者のようだ。…仗助くんは、被害者には違いないかもしれないのだけど。
「…ごめんなさい」
「それ、…おれとはやってけないってコトっスか…」
私の謝罪に、絶望を含んだ声が返される。違う、と首を振れば、その動きはそのまま仗助くんの背に伝わったらしく、ほんのすこしだけ、肩の力が抜けた。
「…ちがう、」
「…じゃあなに」
あぁ、問われると答えられない。私は彼を好きだと言っていいのか。一番初めから、ずっと自問自答している。言えば彼が幸せな笑顔を見せてくれると知っているからこそ、告げていいのかわからない。
「…顔、見てると…上手く話せなくて…」
湯気の立つコーヒーに視線を向ける。二人で並んでカップを持って。簡単なはずの幸せの絵にはまだ遠い。むしろ私はきっと、その幸せの絵を眺める側だ。見ているだけでいいんだ。そこに、幸せに、なろうなんて、思ってない。
「何かわいいこと言ってんの」
不意に仗助くんが身体を引くから、身体を預けていた私は彼の方に倒れこむ。驚いたのもつかの間、広い胸に抱き締められた。
「…ッ…!?」
「顔見たらダメなら、背中向けるよりこっちがいいっス」
どうしていいのかパニックになる私の頭の上で、「あ、コーヒー淹れてくれたんスか、サンキュー」なんて呑気な声がする。逃げ出そう、と身を捩ろうとする私に釘を刺すように彼は続けた。
「コーヒー零れるから、暴れないでくださいよ?」
熱湯で淹れたコーヒーが仗助くんに掛かったら大変だ、と動きを止める私を見たせいか、仗助くんの腹筋が揺れた。
「アンタ、ほんと素直だよな」
笑い混じりにそう言われて、また頬が熱くなる。ぎゅう、と押し付けられた胸板から、仗助くんの鼓動が聞こえる。私よりずっとゆっくりな、規則正しい音。
「…じょ、すけく、」
「…ねぇ、俺にこうされるの、嫌?」
嫌じゃない。ひどく身動きが取りづらい腕の中で首を左右に振る。彼は安心したように笑って、コーヒーを飲んだ。ぴたりとくっついたせいでよくわかる。
「…ななこさん、」
コト、とカップを置く音がして、私の自由が近付いたことを知る。抜け出そうと身を捩ると、逃がさないとばかりにきつく抱き締められた。
「…離して、って言うまで離さねーから」
強引すぎたと思ってるんじゃあなかったのか。と言ってやりたいのだけれど、やっぱり言葉は出てこなくって、これじゃあきっとこの腕の中から逃げ出すことなんてできないのだと、思ったらほんの少しだけ安心した。
20170416
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bkm