それは、ありがちな光景だった。
少女と犬。公園の砂場に、一人と一匹。
それは、異様な光景だった。
少女と犬。その傍らには、「何か」が二体。
少女は、初めて彼に会った時のことを良く覚えている。
ひとり遊んでいた筈の砂山が突然形を変えて自分に襲いかかってきた。
反射的に身体を丸める。いつも隣にいる少女の「友人」が、彼女を守るように覆いかぶさった。
ばらばらと降りかかる砂を払いながら、少女は立ち上がる。
そうして辺りを見回した先に、一匹のボストンテリアがいた。彼女は真っ直ぐに、歩み寄る。
「いまの、あなた?」
犬は応えない。警戒するような視線を向け、真っ直ぐに彼女に向かう。彼女はその視線をやんわりと笑顔でいなして手を差し伸べた。
「ひとり?…わたしもなんだ。一緒に遊ぼう。」
彼女の「友人」が消えるのを見た彼は、ゆっくりと口元を引いた。
そうして彼女にぴたりと寄り添うように歩き出す。先程彼女がいた、砂場まで。
「ねえワンちゃん、あなた、「見える」の?」
彼女の問いに、彼は頷いた。それはまるで人間同士の会話。彼女は嬉しそうに笑って、ポケットを探った。
「…これあげる。ともだちのしるしね。…ちょっとオトナの味がするんだよ。」
そう言って差し出したのはコーヒー味のチューインガム。彼は鼻を寄せてそれを確認すると、開けろと言わんばかりに一声鳴いた。
「…そうだね、開けてあげる。」
銀色の包みを解いて、目の前に再び差し出されたそれをパクリと口に入れる。クチャクチャと音を立てながら、彼は満足げに鼻を鳴らした。
「気に入ってくれた?…うれしい!」
そうして彼女は同じように自分の口の中にもガムを仕舞って、彼と並んでもぐもぐと口を動かした。ガムの味がしなくなって、日が沈むまで、二人並んで。
「…ありがとう。」
ガムを吐き出して彼女はぽつりと零す。ひんやりとした風に首を竦めて、小さな身体をさらに小さくしながら、初めて出来た友人に感謝を。
「…また明日もいるから。」
そう言い残して去る彼女を、イギーは静かに見送った。
*****
「…ワンちゃん!」
「…フン。」
翌日、彼を見つけた彼女の嬉しそうな顔といったら、クリスマスの朝枕元にプレゼントを見つけた子供みたいにキラキラと輝いて。
ニコニコ楽しそうにする彼女も、甘くて苦い食べ物も、くだらない砂遊びも悪くないとイギーは思った。
「…ね、わたし…おかしいのかな。」
時折彼女は語りかける。自分の側にいる「友人」のこと、そのせいで友達ができないこと、親からも捨てられたこと。辛いことも悲しいことも包み隠さず。
そうして決まって最後に、「でもあなたに会えたから、今は悪くないかなって思ってる。」と哀しげな顔で笑う。
その度に何も言えない自分を悔いながら、彼は彼女のきめの細かい柔らかな手をぺろりと舐める。時には涙に濡れる頬も。
「…あなたが人だったらよかったのに。」
『人だったら』お互いにこんな思いはしていないだろう、彼女が彼を「犬」だと認識していることが、名前も告げられないイギーにとってはひどく辛かった。なにより彼女を慰められないことが一番。
雨が降れば砂の屋根を作って、時には遊具の中で、二人一緒にいた。並んで同じものを食べて、同じ空気を吸う。会話はなくてもそうしている時間がずっと続けば、と。
ある日彼女は、公園に彼がいないことを知る。街の野良犬達は秩序を失い、警察が慌ただしく警戒を呼び掛ける。それを見て、気付く。彼はもういないのだと。
日を追うごとに、それは確信に変わる。待っても待っても、彼は来ない。
名前くらい教えてくれれば良かったのに、と思いながら彼女は砂場に向かって手を合わせた。
もう会えない、そんな気がしたから。
20151228
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bkm