節分で何か、と言われたので豆をぶつける話。
悪いものを追い払うのが豆撒きなら、日本のお化けは豆で退治できたっていいんじゃないでしょうか、神様。
十字架とニンニクよりは、物理攻撃できそうな豆の方がいい気がして、私は煎り大豆を買った。通学カバンに仕舞って、カバンをぎゅうっと握り締める。
こんなこと誰も信じてくれないから、一人で戦うしかないんだと、足に力を込めた。
*****
図書館で調べたところによると、鬼には色に応じて意味があるらしく、私がやっつけようとしているものは緑色。「*沈睡眠(こんちんすいみん)」と言って、倦怠・眠気・不健康の象徴らしい。別にちゃんと毎晩眠っているし、不健康でもないと思う。けれど私の倒したい「それ」は鮮やかな緑色をしている。
ツノもないし、鬼じゃないかもしれない。けれど鬼じゃなくて幽霊だったとしても、やっつける方法なんてわからないから、やっぱりとりあえずできることからやってみなければ、と思う次第だ。
私はそっと、そいつに近付く。
「おには、そとっ!」
ぱらぱら、と小さな音を立てて落ちていく豆たち。目の前の緑色はぴくりともしない。
「…うぅ、だめか…」
じゃあどうしたらいいんだろう、と落胆していると、後ろからどたどたと足音が聞こえてきた。
「…ななこ!」
「…花京院くん!?」
彼はひどく慌てた様子でこちらに向かってくる。私は思わず、来ちゃダメだよ!と声を上げた。
「…どうして、だめなの。」
花京院くんは切羽詰まった顔でそう問うた。真剣な眼差しが痛い。こんなこと言ったら頭がおかしいと思われるかなと考えたけれど、花京院くんがもしアイツに何かされたら困るから、仕方ない。
「…そこに、緑色の…変な奴がいるんだ…」
「ななこも、見えるの…?」
ゆっくりとそう質問される。「も」ってことは、花京院くんにも見えるんだろうか。
「見えるよ、いつからかわかんないけど、私のそばにいるんだ。なんなのかわかんないし、やっつけられないし、」
花京院くんにも見える、と思ったらなんだか今まで張り詰めていたものがぷつんと切れて、私は堰を切ったように言葉を零した。ついでに涙まで溢れてくる始末。
花京院くんは困ったように私の髪を撫で、肩を抱き寄せた。
「…大丈夫だから、泣かないで。」
花京院くんの胸はがっしりと固くて、優しくて女性的な物腰とのギャップに心臓がどくりと鳴った。
「…花京院くんは…怖くない、の?」
しばらくそうしていて少し落ち着きを取り戻した私は、ぐずぐずと鼻を啜り上げながら花京院くんを見上げた。彼は少し気まずそうに視線を逸らして、小さく頷く。怖くないのか、すごいな花京院くん。…でも確かに、見た目こそ独特だけれど、アイツが私に何かしたということはない。私が勝手に怯えていただけで。
「…そういえば、ななこはどうして大豆なんて持っているんだい?」
宥めるように私を撫でていた花京院くんは、不思議そうにカバンの中を覗き込んだ。先ほど投げつけたので、袋の口は開いたまま、カバンから袋の端が少しばかり覗いている。
「…やっつけようと思って…」
素直にそう答えると、花京院くんは思いっきり吹き出した。こちらの気持ちはお構い無しに笑っている。デリカシーってものがないのか花京院くん、失礼だよ。
「ごめんごめん、…節分も過ぎたのに、よく買えたね、それ。」
「うん、すっごい探した!」
そういうと彼はまた声を上げて笑った。そうして私をぎゅうっと抱き締めるもんだから、花京院くんの笑い声が染み込んでくるみたいに響いて、釣られて私も笑ってしまう。
「…よく考えたら、馬鹿な話だね。」
「…そうだよ。でもまさか見えるなんて思わなかった。」
ひどく意味深な言葉が聞こえた気がして、私は笑顔を引っ込めた。そっと見上げると、花京院くんは幸せそうな笑顔でこちらを見つめている。
「…どういう、こと?」
「…アレがぼくのせいだって言ったら…ななこは、ぼくのことを嫌いになるかい?」
鳶色の瞳が不安げに揺れる。
え、何を言い出すの花京院くん。アレが、花京院くんのせい、って、なに。
「…え?」
「…だから、もしぼくが、アレを自由に操れるって知ったら…君は…」
花京院くんは被虐と嗜虐が混ざったみたいななんとも複雑な表情をして、こちらを見ている。彼の言葉の通りだとでも言うように、ふっと緑のアイツは姿を消した。
「え、ホントに?…アイツ、ホントに花京院くんのなの?」
操れるってなに、使い魔的な?
この現代日本で、しかもクラスメイトに、そんなファンタジックな人がいるなんて俄かには信じ難い。けれどその気持ちはあっさりと打ち砕かれた。花京院くんはどうやら本当に、あの緑の生き物(?)を操れるらしい。
「…うん、ほら。…こんなのやっぱり気持ち悪いよ、ね」
「…か、っこいい!!」
「え?」
私が思わず零した言葉に、花京院くんはキョトンとしている。いやでも、本当に花京院くんは魔法使いか何かなんだろうか。
「見せて見せて!なにそれすごい!」
私があまりに食いついてくるのに驚きながらも、花京院くんは緑のアイツを自分の隣に出現させた。近くに来るとその鮮やかな緑がキラキラ光って綺麗。今までは遠かったからわからなかったけど、これは鬼というよりメロンみたいだなと思う。
「…これでいいかい?」
「すごい!花京院くんすごいよ!!!」
花京院くんは心底安堵したように大きく息を吐いた。そうして嬉しそうに笑う。
「君って人は…ホント、ぼくが好きになっただけのことはある」
「…え?」
「あっ。」
今度は私が驚く番だ。聞き間違いでなければ今、花京院くんは好きって言った。私のこと、好きって。
「…ねぇ、今の…」
「…なんのこと、かな。」
「…惚けたってダメだよ。聞こえたもん。」
ずい、と顔を近づけると、彼は諦めましたと言わんばかりに両手を上げ、降伏のポーズを取った。
「…そうだよ、ぼくは…ななこ、君が好きだ。」
上げた両手はそのまま私に伸び、肩を抱き寄せる。再び胸に抱き込まれた私の耳に、花京院くんの鼓動が聞こえる。煩いほどに。
「…花京院くん…」
背中にそっと腕を回すと、彼は嬉しそうに私を抱く手に力を込めた。
*****
でも待って。花京院くんがアレを自在に操れるってことは。
「ちょ、痛いいたいななこッ!」
「…ストーカーか花京院くん!ひどい!」
「ごめ、っまさか見えるなんて思わなかったんだよ!」
「…なお悪いわ!!!」
20160304