猪肉と豆腐を入れた鉄鍋と籠いっぱいの野菜を持って、ジルはオジイと呼ばれる年寄り梟の家に向かって歩いていた。

オジイの家は草食獣人の集落と肉食獣人の集落の間に立つ巨木の上にある。家のある樹の根本には太い幹が横たわっていて、座りやすいよう表面が滑らかに削られている。オジイはそこに腰掛けて子供たちに昔語りをする。
森の子たちはその腰掛けを中心に集まって、オジイにもっともっとと話の催促をする。逆になんにもせがまずに、オジイを困らせる。
小さな頃から気が強く生意気だったジルは、よくオジイを参らせていた。しかしそのためオジイはジルを気にかけるようになり、ジルもよくオジイに懐いた。

オジイが心配していたという話を鹿の乙女から聞いていたジルは、一刻も早くオジイの家に行って顔を見せて、安心させたいと思っていた。
集落からオジイの家まで大した距離があるわけでもないから村を出るときは思いつきもしなかったが、歩くうち重い鉄鍋を何度も握り直していると誰かしら連れてくるべきだったとジルは思った。


「ぎゃっ!」


野菜の籠を肩に担ぎ直した瞬間、突然ジルの足下を何か光るものが掠めていった。反射的に片足を上げ、飛び退いてみると地面に生えた草が焦げて小さな煙を上げていた。
恐る恐る後ろを振り返ってみると、悪魔が山羊によく似た顔を歪ませて舌打ちしている姿が目に入った。悪魔は手を掲げて黒い魔法弾を作り出し、ジルめがけて放り投げた。


「やだ、もう!冗談じゃないわよ」


ジルが走り出すと悪魔も翼を広げて追いかけてきた。すぐに捕まってもおかしくない状況で二人の距離は一向に縮まらず、その上背後から悪魔の笑い声が聞こえてきたので相手が遊んでいるのだとすぐに気づいた。腹も立つが太刀打ちはできない。ジルは苛立ちながらも必死に走るしかなかった。
そして走りながら考えた。このままオジイの家を目指すべきだろうか、集落へ戻るべきだろうか。どちらが近いだろうか、どちらが安全だろうか。

頭上にぱっと閃光がひらめいて、同時にぱんぱんに空気を入れた風船が破裂したような音がした。驚いたジルはつんのめって、つんのめって倒れていく先の崖とその下の川を見た。
地面のない空中へと落ちてゆく動きは、まるで時が現実の二分の一の速さで流れているかのようだった。スローモーションで流れる景色を眺めながら、ジルはようやく鍋の材料なんか放り出して小さな兎に姿を変えて、茂みの中へ飛び込めば良かったことに気がついた。それでも鉄鍋をしっかり胸に抱えていたのはさすがといえよう。いかなるときでも食材を無駄にしないのは長年台所を任されてきた者の性である。


突然下降が止まった。
二、三度まばたきをして完全に崖への落下が止まっていることを確認したジルは、意を決したように勢いよく後ろを振り返った。
振り返って真っ先に目に入ったのは狼の爛々とした瞳だった。ウルフがジルのスカートに巻いた腰紐のリボンを掴んで立っていたのである。
驚いて礼も言えずにいるジルの目に、ウルフの背後から近づいてくる悪魔の姿が映った。ウルフもすぐに気づいたのか、首を捻って後ろを振り返った。
ジルは胸にある鉄鍋を抱く腕に力を込めて、助けを求めるように叫んだ。


「な、なんとかして!」
「いいよ」


腰紐を掴んだ手をぐいと引き寄せたかと思うと、ウルフはジルの腰を抱いて顔を近づけた。


「その代わり、名前教えて。兎さん」



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