東の森1


「最悪だ…」


朝食の席で、開け放していた窓からやって来た鷹の足には手紙が括られていた。それを読むなり、側近はそう呟いて項垂れ、深い溜息をついた。
魔王が何があったと声をかけると、今度は彼の前にポンと音を立ててピンク色の大きな二枚貝が現れた。魔王が二枚貝を開くと、くるりと巻かれた手紙が鎮座している。


「うっ…!」


手紙を開いた魔王が呻き声を上げた。勇者は怪訝そうに眉を顰めて、魔王とその側近とを交互に眺めた。そして魔王が持っている方の手紙を取り上げて読んだ。側近は項垂れたまま、自分の持っていた方の手紙を勇者の前へ押しやった。


『海竜、怪魚たちが暴れ始めた。なんとかして頂戴』
『東の森の先代魔王派が蜂起を計画している模様。鎮静の協力願いたい』


読み終わると勇者は鷹の持ってきた方を魔王に突きだした。魔王はそれを読むと両手で頭を抱えて俯いた。


「おいどうすんだこれどうすんだよ魔王様」
「どうすんだよこれどうすりゃいいんだよ勇者様」
「最悪だ…」


側近は再びそう言って長い溜息をついた。獣王の使いの鷹は、メイドが用意した生肉を食いちぎっていた。


「側近Bといいなんで先代派が今更出てくるんですか」
「側近Bが目立つことしたせいですよ」
「勇気づけられちゃったわけですか。側近Bさらし首にしてやる」
「当然です」
「側近Aの目がマジだよぉ怖いよぉ」


魔王は組んだ両手で額を支え、俯いたまま勇者と側近の会話を聞いていた。


「…こないだ世話になったし海から先に行くぞ」
「東の森はどうされますか?」
「使いと兵を出せ」
「じゃああたし行く」
「すっかり魔王軍だなオイ」
「あたしは獣王様にお世話になってるのよ」
「お前惚れんなよ。あいつ子供7人いんだぞ」
「惚れねーし…えっ?7人!?それ母親同じ?」
「嫌な発想すんじゃねーよ同じに決まってんだろ」
「決まってはねーだろ。権力者が子だくさんって聞いたら普通側室がいんのかなって思うだろ」
「女はすぐ感情的になるくせにそういうとこ現実的に考えるから嫌だ」







「おーっ!」


晴天の青い空に、悪魔が数匹飛んでいた。悪魔は山羊の顔をしていて、雄ライオンのようなふさふさの黒いたてがみを持っていた。たてがみからはくるりと巻いた太い角が飛び出ている。体は人間より一回り大きく筋肉質だった。
一団のうち一匹は、その屈強な肩に勇者を乗せて飛んでいる。


「高ーい!」
「勇者様は高いところはお好きですか?」
「はい!遠くまで見渡せて気持ちいーい!」
「それは良かった。馬車よりもこちらの方が速いもので」
「そういや移動魔法は使わないんですね」
「ええ。東の森は広いですからねぇ。移動先に微妙なズレが生じて戦力がばらける危険性があるので」
「はー、なるほど」
「勇者様ー!東の森が見えてきましたぞー!」


先頭を飛んでいた悪魔が叫んだ。空から見た東の森は本当に広かった。青々とした森はやがて山へと繋がり、獣王の玉座がある遺跡がいやに目立っていた。悪魔たちはその遺跡の前に降り立ち、少し辺りを見回した。


「先代派の魔物たちは見あたりませんでしたね」
「空からも妙な動きは見られませんでしたし…蜂起はまだ準備中ですかね」
「そもそも先代魔王派って…」


言葉の途中で勇者は口をつぐんだ。腰に吊るした剣に手を構え、深いブッシュを睨み付ける。悪魔たちは勇者の視線の先を辿り、ブッシュが僅かに揺れると、途端に目の色を変えた。


「そこに誰かいるな!?」
「何者だッ!?」
「それはこっちの台詞だ!」


茂みに隠れていた者は、存外いさぎよく姿を現した。
灰色の三角耳、狼の尻尾を持つ獣人の女性。獣人族の衣装と首飾り、手には長方形の刃の刀を握っている。悪魔たちを睨む瞳は猛獣の如くぎらつき、口元からは鋭く尖った犬歯が覗く。狼の獣人である。


「貴様ら一体何者だ!先代魔王派の者ならばすぐ退け、消え失せろ!ここは父のナワバリだ!勝手なことは許さぬぞ!」


刀を悪魔たちの方に向け、獣人族の女性は荒々しく吼えたてた。彼女の言葉を聞くと、悪魔たちは目をぱちくりさせて、肩の力を抜いた。そのうち一匹が、こほんと咳払いする。


「あー、いや…。我々は…」
「狼のお姉さん!」
「え?」


唖然とする周りのものに構わず、勇者は獣人の女性に走り寄っていった。
狼の女性はぎょっとして思わず刀を振り上げたが、勇者はひょいと避けた。一同があっと声を上げる頃には、手首に勇者の手刀を受けて獣人は刀を取り落としていた。

狼の女性は手首を摩りながら警戒心の強い目で勇者を睨み、一歩後ずさった。勇者は構わず女性に近づいていく。


「来るな!」
「あの、わたしのこと覚えてませんか?以前魔王のお供でお邪魔させて頂いて…」
「え?…あっ!」


狼の耳をぴんと立て、女性は目を大きく見開いたかと思うと、ぱっと口元を両手で覆った。同時に逆立っていた尻尾が、気の抜けたようにぱたんと垂れた。


「勇者…様…?」
「覚えててくれたんですね!」
「きゃあああっ!ごめんなさいごめんなさい!大変失礼致しました!」


狼の娘は顔を真っ赤にしてぺこぺこと何度も頭を下げた。涙目でおろおろと慌て、しゅんと垂れた耳と尻尾が反省の意を表している。勇者はにへえと口元を緩ませた。


「すみませんすみません。あの…勇者様随分女性らしくなられて…私気づかなくて…」
「あはははは!本当気にしてないから気にしなくていいですよお!お久しぶりですし、この状況じゃ怪しむのは当然じゃないですか!」
「本当です…本当なんです…。すみません…」
「…して、お父上は何処へおられますかな?」


一番年長の悪魔が咳払いをしてから訊ねた。狼の娘は彼らにも何度も頭を下げ、申し訳なさそうにもじもじと両手の指を絡めて話し出した。


「父は先ほど狩りを兼ねて見回りに…。父は反先代派ですから、最近はうちの周りすら危険で…」
「獣王様は?」
「勇者様、話聞いてたんですか?」
「綺麗なお姉さんの話をちゃんと聞かないわけ無いだろ。何言ってんですか?」
「……獣王様の娘さんですよ」
「なん…だと…」
「あ、はい。五番目の…」
「えっだって全然似てな…えっだってすごい可愛い…それに耳とか尻尾とか…」
「獣人はこっちの方が多いんですよお」


獣王の娘は自分の耳をつまみながら、唇を尖らせた。毛色も顔立ちも母譲りなのだそうだ。


「てことは獣王様の奥さんて美人なんだな…」
「どうして勇者様は女の方に反応するんですかねえ」
「あ、あの…長々立ち話させてしまってすみません。どうぞ上がっていってください」


獣王の娘が遺跡の方へ皆を案内しようと手を伸ばした。勇者が一歩踏み出そうとして、その足を元に戻した。悪魔たちが不思議そうに見つめてくるなか、勇者はゆっくりと首を捻り、森の奥をじっと見つめている。戦士の表情で、目は鋭く光っている。







「あら、生きてたの」


白の側近にそう言ったのは、獣人族の民族衣装を着た小柄な女だった。
小柄な割に顔立ちは成熟しきって落ち着いている。ただルビーのような赤い潤った目は気が強そうで、大人しい女性という印象が生まれない。耳も尻尾も人間のもので、なんの動物の血が混ざっているかはわからない。

彼女は屈み込んで木苺を摘んでいて、その実は籠いっぱいに詰まっていた。彼女は木苺を摘む手を止めると立ち上がり、腕を交差させて腹に巻き付けた。白の側近に改めて向かい合うと、腰につけている、大きさの違う長方形の鞘が二本擦れてかちゃりと鳴った。


「久しぶりだというのに、ご挨拶ですね」
「だって…裸で雪原に転げ回ってたんでしょ?」


女は鼻で笑った。白の側近は仮面の下で顔の筋を痙攣させた。「普通は死ぬでしょう。良かったわね」また女が馬鹿にしたような声調で言う。側近は杖を持つ手をわなわな震わせた。獣人の女性はその手元に気がつくと、またふんと鼻で笑った。


白の側近は仮面の下で歯噛みした。今すぐにでもこの女を塵芥にしてしまいたいとさえ思った。出来ないことは無い。
そうだ、出来ないわけはないのだ。胸中で一人納得すると、白の側近は仮面の下で厭らしく口角を上げた。そしてまた、ねっとりした嫌味な声で女性に話しかけた。


「しかし、こんな時分にお一人ですか?随分不用心なことで」
「お陰様で。すぐに帰るわ」


先代魔王の腹心の一言に、女は途端に気分を害したようで低い声を出した。白の側近は仮面の下で笑う。


「誰を前にして言っているのだか。私が貴女を無事に帰すと本気で?」


杖の先端の丸い宝玉に、仮面越しに口づけするように白の側近は杖を構えた。
すると獣人族の女性は鮮やかなほどの動きで一瞬のうちに腰に付けていた二本の刀を抜いた。右手に持つのは獣王の娘が持っていたのと同じ、長方形の刃の刀。左手に持つのは形は同じだがそれより一回り小さく少し細い。

それらを交差させるように構えて、先代魔王の腹心と向かい合う。例の気丈そうなルビーの瞳が敵意を持って目の前の男を睨み付けている。


「ここは獣王のナワバリよ。余所もんが勝手なこと出来る場所じゃないわ」
「"ナワバリ"ね。獣人は品が無くていけない。まるで動物だ」
「獣人は動物の血が混ざってることに誇りを持つ一族よ。くたばった赤トカゲの御主人様を忘れられない惨めなペットに、アタシたちのことなんてご理解頂ける筈が無いわ」
「…なんですって?」
「慕われてもないくせに至る所我が物顔で闊歩するようなテメーらに、誇り高い獣人族のことがわかるわけないっつってんだよ」


吐き捨てるように女性が言うと、先代魔王の腹心の堪忍袋の緒はとうとうぶちりと切れた。
自身に加え、敬愛する今亡き主人を侮辱されたのだ。長年魔王城の実力者として働いてきたプライドの高い彼に、それが耐えられるはずがなかった。

杖を振りかぶり、先端から青い魔法球が女性に向かって飛び出し、避けられて地面で弾ける。弾けた珠の欠片までもが、地面を凍らせていく。獣人の女性は口の中でちっと舌を鳴らし、白の仮面を睨み付けた。


「生意気な口を!私を相手にする力もないのに、なんと愚かな!」
「愚かなのはあんたも同じさ!アタシに何かあったら…」
「ああ、さぞかし獣王様はお怒りでしょうねえ!怒り狂ったところで貴女はもう土の下でしょうけどねえ!」


ぎりっと女性が唇を噛んだ。握る民族武器の扱いは幼少の頃より心得ている。しかし彼女は戦士ではない。所詮気休め程度の護身用だ。既に倒れた者とはいえ魔王の側近相手に、とても太刀打ちできる腕じゃない。
なんとか隙を見て、助けを呼ぶか逃げるかしなければいけない。女性は右手の刀を構えたまま、左腕で腹を押さえた。


「あまり生意気な口を利かなければ、せめて楽に終わらせてあげたものを…」


白の側近が杖の先を女性に向けた。女性は脂汗を流しながら、じりじりと後退りした。
さあいよいよと、白い仮面の下で魔物がまじないを唱えようと唇を開いた瞬間、短い矢が白い仮面のすれすれを擦っていった。
びぃいいんと余韻の残る音を響かせ矢は木に刺さる。

一瞬の沈黙の後、誰かと叫ぶ前に、獣人族の女性の背後から短弓を持った勇者が現れる。


「側近B!」
「その呼び方やめろ!また貴女ですか!」
「また私ですとも!あたしゃ古今東西年齢職業種族所属問わず、魅力的な女性の味方だ!(男は自分でなんとかしてください)」
「あら」
「本当になんなんですか貴女は…」
「勇者だよ」





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