東の森2



声の調子が変わったかと思うと、勇者は短弓を投げ捨て剣を鞘から抜いた。そして剣の切っ先で先代魔王の腹心を指す。


「私は予言のもとに勇者として生まれ育った。今亡きものとはいえ魔王の腹心を名乗る貴様を討たんとするのは、至極自然のこと」
「戯言を。魔王と結託するものが勇者だと本気で」
「私が討つべきは民の平穏を乱すもの。魔王には限らぬ」
「今日は随分畏まった喋り方ですね。…まあ女らしさがないのは同じでっ」


勇者が突然白の側近に詰め寄り、顔面を顎から蹴り上げた。


「ははははは!だっせえ油断してやんの!て、敵に正面から…!」
「わ、笑うな!卑怯でしょう!?勇者のくせに…な、なんてこと…!?」
「因みにお前が考えてた勇者の戦い方ってどんなんでした?」
「そりゃ…正々堂々と…互いの全力を以て…」
「せ、正々堂々て…。それで小娘が勝てるわけないのに…全力で闘い合ったら筋力の劣る女が負けるのは目に見えてるのに…」
「だから笑うな!そんな堂々と自分が弱いように言って…恥ずかしくないんですか!?」
「自分が弱いことも知らないこと以上恥ずかしいことなんかないね」


勇者は王家の紋章の描かれた胸当ての上に手を置いて自分を指す。


「あたしは勇者。平和を手に入れるのが生まれたときからの使命なの。過程なんかどうだっていいのよ。結果勝てれば、それで安心して眠れる人が一人でも増えればいいの」


一歩下がって二人を見ていた獣人族の頬に、ぽっと赤みが差す。白の側近は唖然とした表情のまま(勿論仮面の下なので見えないのだが)、勇者を見つめている。


「あ、側近さんが晒し首にしたいって言ってたから顔は綺麗に残しとかなきゃいけないんだった。うっかりうっかり」


こつりと可愛い音を立てて自分の頭を拳で叩きながら勇者がそう言った。瞬間、周りに留まっていた鳥たちが一斉に飛び立っていった。獣人族の女性も体を庇いながら数歩後ずさった。
不審に思った勇者が白の側近の方を見ると、目に見えるかのように邪悪なオーラが漂っている。


「ほう…黒の側近が…」
「アレ…なんか怒ってる…?」
「怒ってなんかいませんよぉ子供じゃあるまいし。戦えない彼がサキュバスの幻惑術を使って私から戦意を喪失させるのは至極当然のことですしねぇ」
「真っ裸で雪原に転がされて置き去りにされたのがよっぽど屈辱的だったんだな…」


白の側近は杖の先を勇者の顔に向ける。勇者は反射的に身構えたが、逃げずに白の側近を睨み返した。


「黒の側近は何処にいらっしゃいますか?」
「さあ」
「お答えなさい。さすがにここから撃った魔法弾から彼女を守ることはできないでしょう」


そう言って杖の先を、勇者から獣人の女性の方へとゆっくり動かす。勇者は即座に答えた。


「海の女王のところに魔王と」
「南の海ですか…」


白の側近は杖を頭上に掲げた。甲高い耳障りな音が杖先の宝玉から鳴り響く。勇者も獣人の女性も耳を塞いだ。


「やめろぉおお!ここまで来て精神攻撃かよ!死ね!お前の生まれ故郷で椅子に縛り付けて山羊に足舐めさせてやるからな!!」
「気丈な女性は嫌いじゃないですが貴女は相変わらず女らしさに欠けますねぇ。なんなんですかその脅しは」
「女らしいっていうのは陰湿とか人の悪口で超盛り上がるとか常に自分が被害者になるような屁理屈こねるとか、そういうことを言うんだよ!しとやかさだとか優しさについて言ってるなら指さして笑ってやんぜ!!童貞!じゃなかったとしても精神的に童貞!!」
「…本当に滅茶苦茶なこと言う人ですね……」


ずぅん。重い音と共に、地面が少し揺れた気がする。ずぅん。重い音は少しづつ大きく、多くなっていく。勇者ははっとしてすぐに獣人の女性の方へ走り、庇うように背中に隠した。


魔物が近づいてくる。それも大型の、集団が。ひょっとしたら一緒に来た悪魔たちかもしれない。しかしきっと白の側近の杖から鳴り響いた音が、魔物を呼んだのに違いないと勇者は思っていた。足音は四方から聞こえてくる。白の側近は笑った。


「では、私はこれで失礼致しますよ。大事な用がありますからね」
「あっ!」


勇者はそのまま白の側近に掴みかかって引き留めてやりたかった。大事な用が何を指しているのかは容易にわかる。側近さんが危ない!
しかしやってくるだろう魔物たちに合わせて、先代魔王の腹心を相手にするのはいくら勇者といえども不利なこと極まりない。何より背中に庇うこの女性を守らなくてはいけない。


「それじゃあ…獣王様によろしく」


白の側近はくすっと笑って、消えた。ほぼ同時に、茂みを、木を分けて魔物が現れる。


オークABCDがあらわれた!
トロールABCがあらわれた!
悪魔(敵)ABCがあらわれた!
ゴーレムABCがあらわれた!


「わあ…想像してたよりずっと多い…」







「誰か!誰かいないの!?」


獣人族の女性が森の奥に向かって叫ぶ。返事もなければこちらに近寄ってくる足音もない。
白の側近と会う前に摘んでいた木苺の沢山詰まったバスケットは彼女の足元に転がっていた。


「勇者様、隙を見て逃げましょう」
「そうですね…この数はさすがにきついかも」
「かもって…きゃっ!」


トロールが棍棒を二人めがけて振り下ろし、獣人は身を縮こまらせて目を瞑った。次の瞬間トロールの悲鳴が響き渡り、恐る恐る目を開けると、右腕を切り落とされたトロールが地面を転げ回っていた。

勇者はそのトロールはうちやり、オークに向かっていた。槍を振り上げたオークの懐に入り胸に剣を突き立てたかと思うと、倒れ込んでゆくそいつを踏み台にして悪魔の肩に乗る。悪魔の両肩に足を乗せて立ち、頭めがけて剣を振り下ろす。


「な、はや…」


悪魔が一匹慌てて地面を転げ回るトロールに薬草を与えに行った。勇者はまた別のトロールに剣を振るっている。獣人の女性は勇者の動きに見とれるように、しばし呆然と突っ立っていた。


「ははははは!雪山に比べたら森の戦闘なんて軽いもんよぉおお!」
「元気な子だこと…」


獣人の女性は呆れたようなほっとしたような複雑な声で呟いた。
その背後からオークが鼻息荒く剣を振りかざす。獣人の女性はすんでの所でそれに気づき、もう一つの姿に身を変えた。


「うさぎさん…!」


勇者が獣人の方を向いたとき、灰色のロップイヤーが転げるように駆けていた。

獣人の女性は太い幹の元でヒトの姿に戻った。屈んだ姿勢で片膝を立て、不思議そうにきょろきょろしているオークの方を忌々しそうに睨む。
オークは女性の姿を見つけると、彼女に向かってゆっくり歩いていった。獣人の女性が長方形の刀を構え、オークが剣を振り上げた。するとすぐさま勇者が横からオークを蹴り飛ばした。


「お怪我は!?」
「な…ないわ。ありがとう」


獣人が首を横に振ると勇者はにっこり笑い、魔物の群れに再び飛び込んでいった。
獣人の女性は勇者の背中を見送ると、刀を握り直して立ち上がった。


「ぎゃああああああああっ!!」


森中に響き渡るトロールの醜い悲鳴に、鳥たちが木から飛び立ち、リスや兎が逃げ出した。
勇者はぎょっとして悲鳴を上げたトロールの方へ顔を向けた。彼女を取り囲んでいる他の魔物も同様だった。


「ああ、あー!あー!あああああ!」
「ああ、もう。うるさいったら。ここいらの子に迷惑じゃないか」


獣人族の女性は掌で耳を塞いで鬱陶しそうに言った。泣きわめくトロールは右足を押さえていた。近くにはトロールの緑色の足指が数本転がっている。
そのトロールの悲鳴があまりに大きいので、魔物たちはたじろいでいた。一番早く動いたのは勇者だった。勇者は獣人の女性を横抱きに抱え、その場を一目散に走った。







「おおう。なんじゃいこりゃあ」


辺り一面に飛び散る血飛沫。胸に穴の空いたオーク。腕のないトロールの死骸。地面に散らばっているいくつもの悪魔の翼。トロールの足指―――


何かあったのは明らかだ。来るのが遅すぎた。獣王は辺りを見回した。

木苺の詰まったバスケットが目に入った瞬間、獣王の目の色が変わった。巨大な狼に姿を変え、獣王は森の奥へ走った。
途中、興奮した様子のゴーレムが何体も歩いていた。相手にしている暇も余裕もない。獣王は見つからぬよう茂みの向こうを走った。


遠くから争い合う声が聞こえる。ゴーレムは動作の遅い魔物なのできっと置いていかれたのだろう。獣王は走る足を速めた。




「走って!」


争う気配のする先に着いて、真っ先に聞こえたのは勇者の声だった。傍には獣人族の民族衣装を着た女がいる。勇者はまごついている女の背中を押し、森の奥へと逃がした。
その脇で片翼のもげた悪魔が勇者に向けて手を掲げ、呪文を唱え始めた。獣王はすぐさま悪魔に飛びかかっていった。


「獣王様!」


悪魔に覆い被さり牙をたてる獣王を、勇者は走り寄って引きずり下ろした。狼はヒトに姿を変え、困惑した表情で勇者と向かい合った。
勇者は縋り付くように獣王のコートを掴み、片手で森の奥を指さした。彼女は珍しく泣き出しそうな頼りない声で獣王に懇願した。


「さっきの女の人を追って!あの人を守ってよ!」
「つったってまだゴーレムも何匹かすぐ来るんだぞ!?」
「あの人妊娠してるんだ!」


勇者が叫ぶと獣王の眉間に皺が寄った。勇者は尚も必死に訴えかけてくる。


「敵と向かい合うときずっとお腹庇ってたんだ!きっと赤ちゃんがいるんだよ!早く、早く追っかけて!」


獣王は目を大きく見開いた。すぐに狼になり、獣人の女性を追って走っていく。
その様子を見た両翼の揃った悪魔がすぐさま飛び立ち、勇者は慌てて弓を探した。短弓は白の側近と対峙したときに投げ捨ててそのままだ。勇者は畜生と悪態をついて、背後からにじり寄ってきたオークを後ろ手に薙ぎ払った。


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