人間のお城1



「季節のフルーツタルト、とあと珈琲」
「じゃあ、あたしは…木苺のムースとミルクティー下さい」
「かしこまりました」


魔王城に最も近いため”最後の町”などと不穏な呼ばれ方をするこの町も、城から漂う禍々しい障気が緩和されたことと、執拗だった魔王への献上品の催促が無くなったことで、このたった一ヶ月ばかりで随分活気が戻ってきた。
旅人も徐々に増えてゆき、魔王が討ち取られたことが公式に発表されれば、きっと飛躍的な発展を遂げるだろう。実際、町の年寄りたちは魔王が城を構える以前はもっと賑やかで沢山の旅人や行商人がいたものだと、懐かしそうに語る者も多かったのだ。


「あれ、砂糖は?」
「要らん」
「いい年してかっこつけんな。いいこと教えてあげようか。珈琲をブラックで飲むって別にかっこよくないんだよ」
「違う!甘い物食べるときに甘い物飲むとどっちも甘くて甘さの規定値越えて『おえっ甘っ気持ち悪っ』ってなるだろ!折角の甘い物が100%の状態で楽しめなくなるだろ!だから甘いもん食うときには紅茶にも珈琲にも砂糖は入れないんだよ!」
「そうか!甘い物を愛するが故の苦味なのか!」
「そうだよ。愛するが故に相手が最も映える姿を願って自分は身を引くっていう…」
「そして別に好きでもなんでもない相手を、愛する者が映えるからと選ぶのか…」
「辛いな…。みんな辛いけど、これが俺の選んだ道なんだよ…」


可愛らしい看板を掲げた、小さなカフェの窓際には妙な二人連れが座っていた。男の方は背が高く男らしい体格をしていて、話すたびに開く口元から立派な八重歯が覗いた。女はまだ少女の面影が残る年頃で、すらりと背が高くショートカットの髪型は大人びているというよりはボーイッシュであるという印象を受けた。

女の方はこの町では皆が知っている存在だった。その彼女が朝早くから、今まで誰も見たことのない男と二人でカフェに来たのだから、そこに居合わせた者の多くが驚き、下世話な、それでいて親族のような温かさを持って興味深げに二人の会話に耳を傾けた。

それで聞こえてくるのが、全てこうしたしょうもない会話ばかりなので、彼らは心底がっかり、といった表情で彼女たちのことを気にするのをやめた。


「それ美味しい?」
「食うか?」
「わーい。じゃあこっちもどうぞ」
「わーい」
「きもすぎ引くわ」
「ごめん自分でもそう思ったから許してくれ」


互いに頼んだケーキを交換して一口ずつ食べ合うなど、行為だけ見ればまるで恋人のようなのだが、そう思うにはいかんせん二人の会話には色気がなさ過ぎた。
そうして意味があるとは思えない会話の後、タルトを半分ほど食べたところで、男の方がカフェのメニュー表を手に取った。


「まだ食べたいの?」
「ブリュレとか気になる」
「いいねえ。むしろ全部食べたいよ」
「やめろよー…。本気でそう思えてくるだろ…」


女がくすくす笑いながら、ミルクティーを口に運んだ。男はまだ悩んでいるのか眉間に皺を寄せてメニューを眺めながら、タルトを一かけフォークで崩して口に放り込んだ。


「この後はどうする?」
「町をぐるっと見てみたい。悪いが案内を頼む」
「ヤダ…どうしよう。恋人だと思われちゃう」
「思われるも何も…。そうじゃないのか?」
「も…、もうっ!何言ってんのよ!バカッ!」
「なんでお前すぐ『バカッ!』って言うの?」
「恋人とか出来たことないから普通なんて言うのかわかんなくて…」
「俺だって恋人にこんなバカみたいなこと言ったことなんかねえし」
「言ってたら引くわ」


店の扉がカランカランと可愛らしい鈴の音と共に開き、店内がにわかに騒がしくなった。その足音が小さなカフェに来るには多すぎる人数だとか、呼応して聞こえるガチャガチャいう音が鎧のこすれるものだとか、二人が気づく頃にはその来客たちは窓際の席を取り囲むように立っていた。


「報せを受けて参りました。こんな所で何を?勇者様」







城の兵士たちが使者として最後の町にやってきたと勇者が側近に報告すると、「そうですか」と、少し寂しそうな声が返ってきた。勇者は悩んでいるのかどうにも沈んだ様子で、町から魔王城へ帰るまでの間、難しい表情で俯いたまま黙り込んでいた。

ただ兵士たちから渡された、王族からの公式文書で書かれているという手紙をぼんやり眺めていた。勇者は最後の町で数ヶ月にわたって目撃されているのに、魔王を討ったという報告も帰還もないので魔王城には行っていないと思われているのだろう。


しばらくすると、勇者は思い切ったように顔を上げ、手紙を握りしめて立ち上がった。




大陸中、最も広大で栄えた王国。土地が肥沃で人も農作物も豊富なために、魔物からの被害は甚大なのだと勇者は言った。あるところでは魔物からの略奪のために滅びた村があり、あるところでは近くに根城を構える魔王の手下に毎年若い娘を献上する町があるのだと言った。

城下町には魔物避けのまじないのかかった外壁がぐるりと城までを囲み、人々を守っていた。これを全ての町や村に施すには、金も魔力を持つ人間も足りないのだと、人の国について語る勇者の口ぶりは終始暗かった。


「何者だ!ここから先は我が国王様の居城になる。用のない者は即刻立ち去れ!」
「その乱暴な物言いは王族の方々の印象をも悪くするからよせと言ったはずだぞ」
「なっ…」


城の門兵に低い声で言った後、勇者は袖を捲って王家の紋章の付いた篭手を見せた。途端に門兵は恭しくお辞儀して無礼を詫び、城へと続く門を開けた。


「英雄の帰還というわけじゃない。くれぐれも、わたしが戻ってきたことは他言なされぬよう、お願いします」
「は、はっ!」


勇者…。お前かっこいいんだな…。

人間の城は水色の屋根に白い外壁で、門を抜けても城へ入る扉はまだ見えてこない。広すぎる庭には上品な花園があったり、騎士たちの訓練の声が聞こえてきたりした。
前を歩く勇者は一度も振り返ることはなかったし、城に着いてからは俺たちに一言も口を利かなかった。これがこの国でのこいつなのかと思うと、まだ若い娘なのにと居たたまれない気持ちになった。


「勇者殿?」


びくっと勇者の肩が跳ねた。マントのフードを目深に被り、顔も勇者の剣も見えず、連れ立つのもこの国の者が知らないはずの二人組なはずなのにと、俺と側近も不思議に思って声の方を振り返った。


立っていたのは鎧を外し、服に胸当てだけをしたガタイのいいおっさんだった。もう四十近いか過ぎているかの歳なのに、腕から胸から筋肉が盛り上がり、逞しい体をしていた。それでいて、髭の生えた顔からは猛々しさよりも優しさを感じる。何より目が優しかった。勇者を見るこの人の目は、父親が娘を見るのと全く同じだった。


「団長!」
「おお、やっぱり勇者殿か!」


勇者はフードを外して団長と呼んだ男に駆け寄り、親子さながらにその胸に飛び込んだ。団長の方もケラケラ笑ってそれを受け止め、勇者の頭を乱暴に撫でて髪をぐしゃぐしゃにした。


「無事帰ってこれたか。そうかそうか」
「えへへ。ただいま」


18の子供の顔が、ここでやっと現れた。なんだかほっとした。隣を見ると側近も微笑ましげに二人の様子を見つめていた。
俺たちのことに気づいた団長が、勇者の肩を抱いてこっちに近寄ってきた。近くで見ると益々いかつい。かっこいいな。目の前に立つと、勇者が団長さんを掌でさした。


「あたしの剣のお師匠様で、宮廷騎士団の団長さん」


それすげえ偉い人なんじゃねえの…。
初めましてと俺と側近がそれぞれ握手すると、勇者はあからさまに「やべえ」という表情で固まった。そういやそうだ。俺らのことなんて紹介するんだよ。


「こちらは、勇者殿のパーティーの方かね?」
「違う…。ごめんなさい、師匠。ちょっと込み入っててまだ二人のことは話せないんだ」
「そうか。そういえば帰ってきたというのに浮かない顔をしているな」
「ちょっとね…」
「英雄の帰還なら、凱旋パレードと豪華な宴が待っているよ。元気を出しなさい」


バン、と勇者の背中を力強く叩くと、団長は騎士たちの声がする方へ戻っていった。
英雄の帰還。それが出来なかったのは、勇者が城に辿り着いたときには魔王がもう倒された後だったからだ。それをしたのは…。


「すまん…」
「あ?」
「お前のそういう全然可愛くない反応普通にするとこ結構好きだよ」
「何?なんかした?」
「ややこしいことになったのって俺のせいだよな」
「なんで?悪いことは何もしてないだろ」


きょとんとした顔で勇者はそう言う。側近はくすっと笑うと、俺の隣に立って背中を叩いた。こいつは腕力がないので、団長さんの時のような気合いの入る音は鳴らなかったが驚いたせいで思わず声が出た。


「さあ、シャンとしてください。貴方様が人間たちに気遣いばかりして、優劣関係が生じては我々魔物全てに関わりますからね」
「あ、そうか。そうだな」
「ですが、勇者様の顔を立てることも忘れずに」
「それはわかってる」
「では、参りましょう」


城の中へ入ると大臣が既に控えていて、そのまま玉座へ通されることになった。
あまりにスムーズに進みすぎだし、大臣まで勇者に対して腰が低い。それだけこの国の人間が先代魔王の脅威に怯えていたということだろう。


「…なあ」
「なに」
「俺この城入って大丈夫か?正体バレた途端殺されたりしないか」
「死なないくせに」
「まあ死なないだろうけど」


そうこう言ってるうちに勇者は玉座の間の扉をあっさり開いた。こいつ心の準備とかないの。


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