放課後、帰り支度をする神奈の鞄にはオレンジ色の防犯ブザーと赤いお守りと、パンダのあみぐるみが付いていた。それら三つはぶつかり合いながら神奈が歩くのにあわせて揺れた。

下校する生徒たちで騒がしい昇降口で、神奈は水沼会長と偶然顔を合わせた。

「やあ」
「会長も今帰りですか」
「いや、生徒会の仕事で遅くなりそうだからパンでも買っておこうと思ってね」
「それ校則的には」
「そうだ日暮、アブラゲ様にお供えはしたのか?」

以前神奈はこの町の土地神であるアブラゲ様から直々に「油揚げを忘れるな」と言われていた。
神奈の通う学校のある町の家には必ずアブラゲ様をまつる神棚がある。家の者の誕生日や式典の折り、退院や受験の合格などめでたい日にはその神棚に油揚げやいなり寿司を供える。
しかし神奈は隣町の人間で、家にはアブラゲ様の神棚がない。友人宅の神棚を借りるか、神社に直接奉納するかと迷っていたところ、水沼が学校にも神棚があると神奈に教えた。

「はい。祖母手製のいなり寿司甘口」
「それはいいね。この町の家でない味付けならアブラゲ様も新鮮に思うことだろう」
「それより昼食以外で学校に飲食物の持ち込みは」
「では気をつけて帰りたまえよ。霧がすごいから」

水沼の言ったとおり、朝から降っていた雨は止んでいたが濃い霧に包まれていた。
白い視界のなか目の端で赤い色を捉えた気がしてふと校舎方に目をやると、箒を担いだ赤城が廊下を歩いているのが窓越しに見えた。

「赤城くーん、バイバーイ」

神奈が鞄ごと手を振って声をかけると、赤城も笑って手を振り返した。

校門を抜け、しばらく歩いたところで神奈は小さな段差に足を取られて躓いた。
転びはしなかったものの体勢を崩し、前のめりになって勢いのまま二、三歩前に進んだ。「ああもう」と何に向けるでもない悪態をついて顔を上げると、辺りは相変わらず霧に包まれて真っ白である。
だからしばらくは何も思わず歩いていたが、いつまで経っても砂利道が道路に変わらないのに気づいて神奈は足を止めた。

そろそろ駅へとつながる舗装された歩行者用道路になっていないとおかしい。神奈は恐る恐る周りを見渡した。
学校のすぐ傍には駄菓子屋やスーパー、アパートなどが並んでいるはずだった。駅へと続く道に繋がっているのだから、田舎町とはいえこのあたりは多少は開けている。
しかし神奈の周りには、霧でしっとりと濡れた木々や花があるばかりである。上空でとんびが鳴いているのが聞こえた。
白い闇の中で立ちすくんでいると、背後の茂みがガサリと鳴った。

「今、もしやまたあっちに来てしまったのではないかと思っただろう」
「!!覚ちゃん!」

ヒヒに似た妖怪覚は言うだけ言って霧の向こうに消えていった。
今の覚が以前に会ったものと同じ個体なのかはわからないが、可能性があるのならばすがるしかない。

「……ど、胴の面さん、胴の面さぁん!」

神奈は霧に包まれた森の中、藁にもすがる思いで叫んだ。

「はぁ〜い」
「キャアア胴の面さん会いたかったぁあああ!」
「あれぇ?まぁた来てしもたんですかぁ」

茂みから現れ出た胴の面は、以前に出会ったかの胴の面であった。あのとき満開だった桜の森はすっかり花弁を枝から落としていた。

「ここ数日雨が続いて桜もすっかり散ってしまいましてなぁ」
「へえ、こっちもですかあ」
「で、今日は一体どうしはりましたんですか?」
「胴の面さん、わたし何か用事があってこっちに来てるわけじゃないんですよ……」

神奈が悲痛さのにじみ出るような情けない声を出すと、胴の面も眉を八の時にして口をつぐんだ。沈黙したなか神奈の耳にサラサラと水の流れる音が聞こえた。
音の聞こえる方に歩いていくと、さっと森が開けた。出た先は流れの穏やかな大きな河だった。よく澄んだ透明な水で、川底の石までくっきりと見える。

「わああ、わたしこんな大きな河見るの初めてですよ!わあっ綺麗だなぁ!」
「……あんまり深刻な状況には見えませんなぁ」

感動してきゃあきゃあと騒いでいる神奈の目の前で、川上から河童が一匹うつ伏せに流れてきた。
そのまま川下へと流れていく河童を見送ると、しばらくしてまたもう一匹痩せぎすの河童が仰向けに流れてきた。生きてはいるようだが、泳ぐ気力はないようだ。
森のなかからぬっと毛むくじゃらの赤い腕が現れた。巨大な腕は箸で河童を摘んで持ち上げて、森の中に消えていった。神奈たちの頭の上からむしゃむしゃと咀嚼する音が響いてくる。

「……梅雨が明けたらすぐ流し素麺の季節ですね」
「よくそんな発想がすぐ出てきますなぁ」



河童の川流れはそう頻繁に見られるものではない。神奈と胴の面は取りあえず川上へのぼってみることにした。神奈が何故またこちらに来てしまったのか、どうすれば戻ることができるのかがわからない以上、二人でたちすくんでいても仕方がない。
川の流れに沿って進んでいくうちに、だんだん水の音が大きく派手になっていく。滝が近いのだ。
滝の音がすぐ傍で響いていると思った瞬間、

「っけよぉおおおい!」
「のこったあああ!」

男の威勢の良い声が響いた。ざわめく観衆の野次さえ聞こえる。

川べりで相撲が行われていた。相撲を取るのも行司も観衆も、すべて河童であった。大勢がひとつの場所に集まっていると、肌の緑の濃さやら体格やらにちゃんと個性があるのがよくわかる。
ひときわガタイのいい河童が、対戦相手の河童の腰をつかんで川へ放り投げた。水柱が上がり、河童は川に流されていった。
ワッと歓声が上がり、はやし立てる声や口笛が長く続いた。

「相撲大会の日だったみたいですなぁ」
「へえ……」

神奈と胴の面は恐る恐る河童の相撲大会に近づいていった。河童たちは二人のことなど気にもとめず、次の試合に夢中になっていた。

(あ、川辺さんだ)

滝の上、大衆から少し距離を置いたところに瓶底眼鏡の河童、川辺さんが胡瓜をかじりながら座っていた。棒のように細い体だというのに妙に風格がある。

「はっけよい……ん?」

行司が神奈たちに気づいたらしく、始まりかけの試合を止めた。まじまじと自分を見る河童の行司の視線から、前回来たときの天狗の反応といい人間はやはり珍しいものなのだろう。
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