「あー、疲れた……って、詩乃ちゃん!」 『翔、く…ん…』
俺は詩乃ちゃんがいるのを知っていながら知らないふりをして楽屋へ入り、詩乃ちゃんに近付いた。 驚いたような表情を作った後、俺はその表情を曇らせていく。 ああ、最低だ、俺……
「詩乃ちゃんっ!…どうしたの?」 『うっ、…しょ、う、くん……』 ここまでは演技だった、けど。 俺は詩乃ちゃんの涙に、ときめいてしまった。 いつも明るい彼女の見せる涙は美しくて…俺は、次にやるべきこと…慰めて、話を聞くことも忘れ、その泣き顔を見つめた。
『…翔くん、っ、辛いよ……』 「……っ」 俺は我に返り、彼女の華奢な身体をそっと抱きしめた。 「俺には、何があったか知らない…。言いたくなかったら言わなくてもいいけど…辛かったら、俺に言ってくれてもいいんだよ…?」 そっと優しい言葉をかけると、彼女の瞳からこぼれる涙が大粒になる。
『一磨さんに…ふら、れること、なんて…わかっ、てた…けど…』 「うん…」 『それでもっ…辛、くて、…』 「…うん」
俺がただ頷くと、詩乃ちゃんは涙を拭って、切なそうに笑った。 『翔くん、ごめんね…こんな姿、見せて…』 その言葉に、抱きしめる腕にこもる力が強くなる。 「…詩乃ちゃん、無理しなくていいよ」 『え…?』 「辛いならおもいっきり泣けばいいから…俺に甘えて?」 『翔くん……っ』
詩乃ちゃんの腕が、そっと俺の背中に回されたのが分かった。 それを確認した俺は、口を開く。
「ねぇ詩乃ちゃん…俺じゃダメ…?」 『え……』 「詩乃ちゃんのこと…俺が愛すから…」
詩乃ちゃん、一磨、…こんなズルい俺でごめん。 それでも…そうでもしないと、俺は勝てないんだ。 『翔くん…?』 ──戸惑いに揺れる詩乃ちゃんの瞳を見つめると、自分の情けなさに対する反省は薄れていった。 その代わりに膨らんだのは…欲望。 涙で濡れる詩乃ちゃんの瞳に、俺だけを映したい。 俺は、詩乃ちゃんに優しくキスをした。
『…!』 「今は…一磨の事しか考えられなくてもいい」 『……、』 「だけど…このままじゃ辛いだけだし…俺が詩乃ちゃんの事を好きなのは変わりないから…」 『……っ』
「だからさ…俺が…」
君のために、 (君を奪ってあげる)
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