思わずごくりと息を飲んだ瞬間、七海ちゃんの真剣な表情が笑顔に変わった。

「…蛯原さん、花屋さんでお花を買ってたんですよ」
『…え?』

私が聞き返すと、彼女はにこにこと楽しそうに笑った。


「絶対、恋してますよね!お花を買うなんて、彼女、いるんですかね?」
あんなにカッコいいんだし、とはしゃいで言った七海ちゃんの笑顔に、何故か胸が痛む。


……嫌だ。
でも…どうして?

…どうしてなのかはよくわかんない、けれど嫌、だ。


『そう…かもしれないわね』

「しかも、店員さんに"いつもありがとうございます"、なんて言われてたんですよ!種類までは分からなかったけど赤い花でした。案外、店員さん目当てかもしれないですよね、そういうの」

『そう…』


できるだけ笑顔で答えると、七海ちゃんが口を尖らせる。

「えーっ、長江さん、仕事でも蛯原さんと一緒だし、蛯原さんも長江さんには優しいような気がするから、蛯原さんの恋愛事情とか知ってるかな、って思ったから聞いたんですよ〜?」
『…ごめんなさい、でも私なんかにはきっと教えてくれないわ』


そう言うと、七海ちゃんは首を横に振った。


「いえ、長江さんは結婚されてるんだし、結婚を考えてる彼女のために…なんて言って、長江さんに相談してくるかもしれないじゃないですかぁ〜」

七海ちゃんの笑顔に悪意は感じられない。
そうね、と曖昧に笑って返すと、もしそうなったら教えてくださいね、と言われた。
私が頷くと、七海ちゃんは満足げに「じゃあ、お先に失礼します」と足音軽く帰っていった。


『はあ……』

なんだか一気に疲れてしまった。
それに…この気持ち。
私には夫…康一さんがいるのに。
それでも、蛯原さんに彼女がいる、って想像するのは嫌だった。

…どういうつもりなんだろう、私。


社内は、気付けばしんと静まりかえっていた。
私が七海ちゃんと話している間に、残っていた人も帰ったらしい。
康一さんは、今朝も「今夜も遅くなるから夕食はいらない」と言っていた。


ちらりと蛯原さんのデスクを見やると、彼の鞄が置きっぱなしになっていて。
…それを見ていたら、謝ろうかな、って思えた。
――この気持ちを、はっきりさせるためにも。

彼に会う前に、元気を分けてもらおうと私はデスクの引き出しを開けた。




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