クリソプレーズの閃光

 出会ったのはいつのことだったか。
 まだ彼女は5つだか6つだか――だとすると10年も経っていない。
 その時は確か医者として仕事を請けていて、とはいえ俺を呼ぶような奴が真っ当な人間なはずもなく、結局ヤクザ同士の抗争に巻き込まれる羽目になった。
 わざわざ日本くんだりまで来て死にたくはない。とはいえ、あまりに唐突かつ大量に兵隊が攻め込んできたもんだからどうしようもなかった。俺の可愛いモスキートは基本的に大勢を相手にするには向いていないのだ。
 脚をやられた。腕やら腰やらいくつも掠った。何とか物陰に身体を持って行ったが、無駄にデカい口径をぶっ放してくれたお蔭で立てそうにない。舌打ちしながら色々思案してみるものの、どうしようもない。

 さて、普通のヤクザの抗争であればドンパチやって殲滅、血の池地獄で終了だ。
 しかしこの時やってきた奴らは、全員が行動不能になった時点で――動けはしないが、意識がある奴が何人か残っている状況で――わざわざ攻撃を一旦止めたのだ。ひょっこり顔を出して様子を窺う俺と一人の男の目があった。が、銃を構える様子もない。
 怪訝そうに見る俺達を後目に、話し合った野郎共は部屋を出ていく。最後の一人がドアを抜ける。が、腕一本だけ室内に残した。その手には、小さなアンプル。ぱ、とアンプルは放り上げられ宙を舞う。ドアが閉まる。アンプルは床へ。落ちる。砕ける。飛散。何人かの短く小さな悲鳴が上がる。
 中身は……多分、毒物か何かしらのウイルス。モルモットに選ばれたわけか。じわじわと体調が悪くなっていく。視界が揺らぐ。嫌な汗が止まらない。
 気持ちが悪いながらも、無理矢理に這いずり出て周囲に目を向ける。生きていた奴らも同じく苦しんで――ない。
 苦悶の表情を浮かべて死んでいる。俺以外全滅だった。そういえば、最初の悲鳴以外声を聞いていない。自分の荒い呼吸がうるさいせいかと思っていたが、他人の呼吸音も聞こえなかった。

(即効性……?いや、なら俺は――)

 何故、まだ生きている?
 毒やウイルスを吸着・浸透しやすいこの身体が、逆に生き永らえているというのは――。
 いや、それほど驚くべきことじゃない。自分の性質をよく思い出せ。俺は666もの病を身に宿しているわけだから、そのうちのどれかと反応して僅かながらこの効果を打ち消している可能性がある。
 まあそれが分かったからといって話が好転したわけではないのだが。
 結局この悪夢は何によって引き起こされているのか?一体何で解毒できるのか?それが分からなければ対処のしようもない。
 圧倒的に時間も情報も足りねえ!頭痛と吐き気と絶望感に苛まれながら、ずるずるとその場に座り込んだ。

 そんな中、扉が開かれた。
 成果を見に帰ってきやがったか。落ちてくる目をなんとか抉じ開けて、入ってきた奴らに目を向ける。
 さっきのヤクザじゃない――何やら、珍妙な集団だった。

「これは酷いですねえ」
「うっわあ血ィ天井まで飛んでるじゃん。お、こいつは撃たれて死んだんじゃねえな」
「どれどれ」

 そんな軽い調子で喋りながら入ってきたのは、若い2人の青年……というか少年だった。タンクトップにハーフパンツというえらく軽装で、特に防疫に気を使う様子もない。それでいて、体調を崩す様子もない。さっきのアンプルの中身で死んだ男の顔を、目を、口の中を、腕を、色々とチェックしながら何やら喋り続ける。

「最高傑作という割には……という感じですね」
「おー微妙だなあ。まさに微妙。耐毒性無い奴らは瞬殺だったっぽいけど……、ん?」
「どうしました?」
「あいつ生きてんじゃね?」
「ほう」

 俺の前に、2人がしゃがみこむ。じゃらじゃらと音がする。チェーン?1人が着けているのは自転車のものだ。何着けてんだこいつら。
 敬語の方が俺の顔を覗き込む。男の目には黄疸が出ている。眼球結膜黄染は血中のビリルビン濃度が……いかん、思考がとっちらかってきた。そんな中、俺もあの死体と同じように目や眼瞼の粘膜やら、色々と確かめられる。

「妙ですね」
「妙だな。お兄さんなんで死なないわけ?よっぽど毒に耐性があるとか?」
「……俺は、っ600、以上の、…不治の、病に、かかってる……、はあ、どれかが……打ち消してんだろ……」
「やっべえなそれ。600以上ってどういう状況だよ」

 自転車のチェーンの方がけらけらと笑う。敬語の方があんまり笑うもんじゃありませんよ、と窘めたが、ふと視線を相方から外した。何かを見つけたらしい敬語の方が、拾い上げる。俺のトライデント・モスキートのカプセルが収められているケースだ。

「っ、それは、俺んだ……っ触んな、!」
「……もしかして、トライデント・シャマルとかいう殺し屋さんじゃないですか?病毒を引きつけ、体内に333対の病毒を持つとかいう」
「ああ!《表》のびっくり人間!」
「誰が、びっくり人間だ……とにかく、それを返せ……!」
「おーい、中入って平気だぞ、いい《教材》がいるからちょっと見に来いよ!」

 まだ誰かいるのか!これ以上珍妙な奴に絡まれるかと思うと面倒くさくなる。
 もう目を開けているのも怠い。入ってきた奴に目を向けようという気力もなく、徐々に視線が下へ下へと落ちていく。あーあ、最期には可愛い女の子に見送られたいと思ってたのにな!

「らいちくん、なあに?」

 がっつり目を開けて、声の方を見た。死に体とは思えない俊敏さだったと思う。2人の青年が明らかにビビった。しかしどんな時でも俺は自分の性分に正直だ。

 そこには1人の少女がいた。ボトルグリーンの髪に、チェーンリボンのカチューシャ、髪と同じ色のワンピース、白いレースの靴下、黒いエナメルのストラップシューズ。余所行きのお嬢さんといった恰好の少女だ。小走りで近寄り、らいちくんと呼ばれた自転車のチェーンの男の横に並ぶ。

 視線が、交錯する。

「きちくん、らいちくん――わたし、このひとほしいなあ」

 彼女の美しい深緑の瞳が俺を射抜いた刹那――

「君、は」
「まじないなだいさんい、かんせんけっとう、きのしだんがひとり」

「きのまち、だよ」

 ――完全に、魅入られてしまったのだ。



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