「なまえちゃん」
「なあに、コナン君」
元太、光彦そして灰原が校門へと歩いていく中、その少し後ろに続く俺は隣を歩くもう一人の探偵団員に声をかけた。
大きな瞳が俺へ向けられる。俺の言葉を待つ吉田なまえは今日も楽しげだ。
「今日は、『質問』じゃなくて『仮説』だ」
「いいね。
じゃあコナン君、――わたしは、なあに?」
今日も楽しげな吉田なまえは、俺の『言葉』を待っている。
俺が『本当の彼女』を言い当てる瞬間を――待っているのだ。
ロワン・ディシーで待ってて「私ね、コナン君が好き」
そう言われたのは、ある日の夕方の教室だった。
小学生の女子らしい、可愛らしいアプローチは彼女から何度も受けていたから、言われずとも察していた。
とはいえ俺は工藤新一、すなわち高校生である。
十は下の女の子を恋愛対象にはさすがに見ることの出来ない俺は、もちろん断るつもりだった。
甘く優しい世界で生きてきた夢見る少女を傷つけないよう、一体どう伝えたものか。そんな風に言葉を選びながらなまえに返事をしようとした、そのタイミングで。
「だけど、出会うのが遅かった私には蘭お姉さんみたいにずーっと一緒に時間を共有したりなんか出来ないし、哀ちゃんみたいに秘密を共有することも出来ないんだよね」
目を細め、俺に彼女らしからぬ質の落ち着きと柔らかさのある笑みを浮かべたなまえは、確かにそう言ったのだ。
その言葉の意味を、最初は正しく受け止め損ねた。
単純に蘭と同じ家に住んでいるから、そこそこ知識が必要になる灰原との会話は秘密めいているから、そういう意味合いの話かと思ったのだが。
妙に大人びた彼女の表情、その瞳は『江戸川コナン』を通り越す。
まさか、俺が工藤新一だと見抜いているのではないか――?
有り得ないはずなのに、そんな思考が脳を、身体を、その場に縫い止めた。
バレた、と一瞬肝が冷えるが、彼女の表情の柔らかさが妙な安心感を呼び、そうかバレたのかと何故だかすとんと気持ちが落ち着いた。
「なまえ、お前は――」
「なあに、『コナン君』」
気付いているくせに、俺をあくまで江戸川コナンとして扱う彼女に閉口する。
何を言っていいのか、何を言うべきなのか。言葉は更に消えていく。
俺の困り顔に、なまえは小さく吹き出した。すぐにフォローするように明るい声が話し出す。
「ごめんね、困らせちゃった。私が聞きたいのはね、今のあなたは私なんか眼中にないでしょってこと。出会ったばっかの、しかも小学生なんて範囲外だよね」
「――ああ。悪いけど」
「いいよ。分かってたし」
普段の彼女は、子供らしく不満そうな声をあげながら渋々引き下がるのが常だった。だが今日は本当に『分かって』いるらしく、さっぱりとした聞き分けよい対応だ。それが反対に曖昧な申し訳無さを呼び起こす。そんな俺に、なまえは告げたのだ。
「私は蘭お姉さんにも、哀ちゃんにもなれない。
二人があなたに与えたものを、与えることは出来ない。
その代わり――私は『極上の謎』をあげる」
「極上の、謎…………?」
呆然とその言葉を繰り返す俺に、なまえは悪戯っぽく笑う。
「そう。幼馴染のあなたに、運命共同体のあなたに、何もあげられないけれど。
その代わり、私は探偵・江戸川コナンに決して解けない、濃密で極上の謎をあげる」
決して解けない謎。
それは正しく俺の根幹を震わせた。探偵としての俺が渇望する、誰にも解けない謎。
そんなものが存在するのであれば、誰よりも先に触れたい。解き明かしたい。
「そんなものが、あんのかよ」
「『江戸川コナン』の知識を、体験を、全てを持ってしても、きっと解けないと思う」
自信に満ち溢れるその顔に、微かに震える声で――問うた。
「謎ってのは、なんだ」
――その瞬間は、決して忘れることはないだろう。
きっと世界中の何よりも鮮やかな夕陽に照らされた、最高に輝く――それでいて、泣きそうな笑顔。そして――
「わたしは、だあれ?」
単純にして、何より難しい、その問いを。
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