そして、 序.修羅場 コウには、双子の兄弟がいる。 「絶対にみつけてね」 片割れはそう言って不器用に笑った。泣いたといったほうが正しいのかもしれない。とりあえず片割れはそう言った。 どういう意図で言ったのかは今でも分からない。もしかしたら神様に捧げられた後天国から見つけてね、という意味だったのかもしれないし、上手く逃げ延びた後ここから連れ出してね、という意味だったのかもしれない。 それを、俺は、みっともないことに、それから十年以上経った今でも、覚えている。 冬が例年より早くやってきた年だった。 ただの貧困した農村に売り飛ばされた俺と片割れは二人固まって、売り飛ばされた家の隅の隅でメイワクを掛けることなく過ごしていた。食事なんて、立派なものは食えずその辺にいたねずみやよくわからないイキモノを二人で分け合っていた。いないもののように扱われた。踏まれたり蹴られたりして、そのたびに痣が出来た。それでも、幸せだった。少なくとも俺は。片割れがどう思っていたかは分からないけれど、俺の片割れなのできっと同じ事を思っていたに違いない(そうだったら嬉しい)。 冬が来て、雪が積もった。例年よりも多く積もった雪の、雪融けを村人はどうやって乗り切ろうかと会議をしていた。俺と片割れはいつものように隅の隅で大人しくしていた。 「やはり、山の神に捧げるしかない」 馬鹿は俺たちを見ながらそう言った。馬鹿げたことに他の大人もそうだなと頷いていた。馬鹿は馬鹿なりに色々考えた挙句俺たち二人のどちらかを捧げることにしたらしい。とりあえず一人。足りなかったら二人目を。馬鹿なんだから纏めて捧げとけよと思った。 どちらにせよ、別離の瞬間はすぐに来るのだと悟ったのもそのときだ。 馬鹿は一人目はこっちにしておこう、と俺の方を指した。馬鹿はなんと村の長だと言っていた。馬鹿が治める村なんだからそりゃあ馬鹿しかいないと納得してしまった。まだ当時八歳かそこらである。 俺も片割れも、そのときまでずっと手を握っていた。絶対に離すもんかと思っていた。 「ね」 ずっと無言だった中で、片割れはふと口を開いた。 「絶対に見つけてね」 黙って、俺は頷いた。 2.嫉妬心 絳攸には、生き別れた双子の兄弟がいる、はずだ。 霄太師による人事刷新から長らく席の空いていた中書省長副官がようやく埋まるらしい。その位の高さと、“中書省尚書”の宰相と成り得る立場故に埋まらなかった人事ではあったが、その条件に足る人物がやっと見つかったのかと絳攸は少し胸をなでおろした。 中書省――即ち、詔勅の立案、起草を司る部署。長官となれば宰相待遇とも言われる国政を進めていく上で重要な位置にあるそこの長副官が埋まれば、現在自分が請け負っている仕事の負担は減るだろう。確実に。そもそもいくら花を受け取ったからといえども、いくら自分が最年少国試及第者――しかも状元――といえども、ここまでやらされるとは思わなかったのだ。吏部侍郎の任は解かれず、しかし王の側近であれ、というのは中々に厳しいものがある(ちなみにこの場合“吏部”のというのが今の自分の現状を作っている要因だ)。 なので、絳攸はその話を聞いたときには諸手を挙げて万歳三唱したい気分だった。 「本当か、その話!」 「な、なんだ絳攸。随分と喰い付くな……」 「確かにずっと埋まってなかった部署だけど……どうして君がそんなに喜ぶんだい?」 どうもこうもあるか、と絳攸は思った。常春に至っては首を傾げても全然可愛げは装えてないし気色悪い。が、今はそれについて一々訂正するような気分ではない。 「これでもう少しは楽になれるかもしれないんだぞ! これを喜ばずして何を喜ぶと言うんだ!」 劉輝は、絳攸がそんなに疲れていたのかと瞑目したが、一方で呑気に茶を入れていた楸瑛は、絳攸の言葉にはなんとなく「自棄になった」感が在ることに気付いて、彼も人間なんだなあと面白そうに笑っていた。 雪はまだ降り積もる。劉輝は密かに笑った。 3.風馬牛 楸瑛はその辞令を見て、一言意外だなあとだけ呟いた。 全く以ってそれ以外に自分達二人の心境を表すことはできないと絳攸も思った。別にその任官が不適当だとか言っているわけではないのだ。ただ、位の割りには若すぎた。それだけだ。 確かに楸瑛や自分もそれぞれそれほど歳も経ぬうちに任官されたが、それとこれは少々話が別物だ。自分達には上司がいた。しかも自分は飽くまでも尚書の侍郎で、長官ではない。 辞令は中書省次官のみの任官であった。そして今現在出されている辞令も含めて、中書省長官は任官されていない。つまり次官が任官されれば、次官が実質中書省を掌握することになる。 つまり「彼」は“王の宰相”の座を、期待されている。 長官に任官されたのなら、それはそれで宰相待遇にすったもんだのごたごたがあるだろうが、次官という中途半端な位が駄目だった。宰相として期待されているだけ、口約束にも満たない風潮、世の中――この場合朝廷の雰囲気が、「彼」を高い位置へと持ち上げつつある。 何しろ「彼」は国試状元及第、官吏になると同時に碧州州尹として今まで九年間を支えてきたという。状元及第ならば高位の任官でも咎められることはよほど高位でない限りありえない。州尹としての実績があれば尚更だ。 「……状元及第って本当に凄かったんだな」 「え今更何言ってるの、李侍郎サマ?」 「ああ……そう、だったな」 そういえば自分もそうだった。 春の除目の最終決定版をまじまじと見つめていた絳攸はようやく気を抜いてふう、と溜息をついた。 王が自分以外で将来“宰相”を必要とするのは、少々寂しいような気もした。けれど気にしていない素振りで昊を見上げる。 「鄭遙粋、か」 そのとき頭を過ぎった矛盾も、絳攸は優しいので指摘しておかなかったが――今となればどうしてと問いただすべきだったのだ。春の除目を最終的に決定するのは王。 それならばどうして、自分達に相談を一切せずにその任官を決定してしまったのだろうか。 終.一目散 「彼」の姿を見た瞬間、絳攸の思考は停止した。 「絳攸」 我に返ったのは、直ぐそばにいた楸瑛に名を呼ばれたからだった。驚くのも無理はないよ、と気楽に言った奴だが、しかしそれきり珍しく黙っていた。常春も空気は読むようだ。 絳攸は前を向いた。そこにいるのは、噂の鄭遙粋中書省次官、佩玉を見る限り従二品下。明らかに目上の人物であるが、今だけは絳攸も思わず礼を取るのを忘れていた。 「(まさか、そんなことが)」 ありえない。彼は書類上では絳攸の三歳上で、絳攸たちの二年前に国試を受け状元及第している。自分たち二人がそうであるならば、その事実が一切合財おかしい。帳尻が合わない。 ――否、そういえば。ふと絳攸は昔のことを思い出した。自分の片割れは、年齢を数えられなかった。そういえばそうだった、と少しだけ呆れた。 「……コウは、やっと見つけてくれましたね」 遙粋はそう言って笑い泣きした。大体自分と同じ顔をしているのだから目の前で泣かれると気味が悪い。双子とはいえよくもまあこんなにソックリさんに育ったものだ。 恐る恐る伸ばした右手の親指で涙を拭うと、遙粋は不器用に笑った。 これだ。この笑顔が見たかった。 「ああ」 理性じゃない。本能がそう告げる。 彼こそが、自分の片割れだ。 「おかえり、スイ」 抱きしめると、自分と唯一違うふわりとした髪が絳攸の顔に掛かった。その向こうに見えたのは、咲き誇る桜の木。 雪は融け去り、そして、冬は過ぎ去った。絳攸は、そのときようやくそう思えた。 →あとがき |