辻風

塗り広げてはいけないよ

蝉の声。すべてを蒸し上げるみたいな熱。肌を刺すような日差し。夏の終わりを目指して、それらは毎日飽きることなく現れる。灰となった同期は小さな骨壺の中に納まって、家に帰った。高専にはもういないのに彼がいた痕跡は至る所にはっきりと残っている。

「四十九日、参列しようと思ってたんだけどさ」
「……先生に聞いてます」
「うん……まあ、どのみち任務で行けなかったでしょ」
「例年より呪霊も多いですから」
「そうだね。それにさ、傑先輩いなくなっちゃったし」
「……」

傑先輩がいなくなった。任務に赴いた村の人間をすべて殺して、実の家族も手にかけて、高専から姿を消した。ただでさえ呪霊の多い年だ、特級の単独任務を多くこなしていた先輩が欠けた事は高専としては痛手だったし、何より……

「紗希乃」
「悟!」
「……七海もいるじゃん」
「これから任務なの。範囲が広いから一緒に行くんだ」
「フーーーーン?」
「文句があるなら上に言ってください」
「言ったところで無駄。特に今は上が機能してないし」
「わかっているなら私を睨んでも無意味でしょうが……」

高専の玄関ロビーのソファ席。七海と向かい合って座っていたところに、悟がやって来た。私の左隣に足を組んで座っている。付き合ってられないと七海は席を立った。こちらが視界に入らないところまで進んでいく。気を遣ってくれたのか本気で嫌だったのか。……後者な気もするけど。私の左腕を制服の腕からさわさわと撫でている悟の表情はいつもの溌溂とした表情をどこかに落としてしまっていた。

「もう大分治ったよ」
「骨イってなかった?」
「硝子先輩が隙間みて何度も治してくれた」
「傷は?」
「表皮はとっくにきれい。骨がもうちょいかもって言ってたよ」
「俺やろっか」
「ダメだよ。今は自分の脳みそ治してんでしょ」

前々から術式オートマにできたらすごくね?!と語っていたのを思い返す。確かにすごいね、なんて言ってたけど悟はこの夏それを実現させた。硝子先輩に「アイツますます死ななくなったじゃん」と半ば呆れたように言われたのが記憶に新しい。

「悟もこの後任務だよね。確か伊地知くん連れてくんだっけ」
「うん。紗希乃と交換しよ」
「伊地知くんにちゃんと見学させてあげなよ」
「見学したって無理。伊地知は俺みたいになれないもん。だったら紗希乃連れてく」
「悟みたいになれる人の方が少ないんだってば」

ぐりぐりと私の肩に迫る悟の白い頭を撫でると、動きがピタリと止まった。そのまま、私の肩に額を乗せている悟を見おろす。……疲れてるんだろうな。傑先輩の仕事が自然に悟にスライドされている。そして、何よりも親友が謀反して姿を晦ましたのが堪えないわけがなかった。なんてことのないような振りをしてみせているけど、寂しそうにしている悟にしてあげられることはないか考えても、隣りにいることしか思いつかなかった。


*

「花……多かったかな」

お供えの花に詳しくなくて、お花屋さんで予算を伝えて適当に束ねてもらった。墓石を前にして花を挿す穴が思ったよりも小さくて入り切るか不安だったけど、なんとか挿しこんだ。私の前に来た人は、花を挿したりせずに横に置いていったらしい。まだ萎れてないから今日来たのかな。四十九日は家族だけで行ったそうだから、灰原の友達とかかもしれない。七海はまだ来てないはずだし。

私が参らないといけないお墓はきっとたくさんあるのだろうけど、長年家に閉じ込められていた身からすると今さらでしかなかった。先祖代々の墓はあるらしいけど悟が行くだけ。お祖父様とお兄さまに挨拶だけしてくれてると言ってた。私がわざわざあの家の人間に挨拶をする必要はないと悟は場所すら教えてくれないけど。

「また来年会えたらいいね」

熱を吸った墓石に触れてから歩き出す。砂利道に足が取られそうになりながらまっすぐ帰る。お寺を出てバス停に向かう途中だった。ふと、知っている気配を感じて思わず振り向いた。

「お墓参りの後は振り向いちゃいけないって教えてもらわなかったかい」

相変わらず黒い服でにこやかに笑う傑先輩が寺の入口に立っていた。どうしてここに、だとか、いなくなった経緯は本当なのか、とか。色んな言葉が巡っては打ち消し合って、声にならない。そうこうしているうちに彼は目の前までやってきた。

「久しぶり、紗希乃ちゃん」
なんだか憑き物が落ちたように身軽に見えた。
「聞きたいことはたくさんあるだろう?」
こんな風に笑う人だっけ。
「私も、君に聞きたいことがあってね」
……笑ってるところ、最後に見たのいつだった?
「きっと無いだろうけど、聞いてもいいかな」

「悟じゃなくて、私と一緒に来る気はないかい」





「……無いってわかってるのに聞くんですね」
「君が私と来る道についてきてくれるなら、この運試しも良い方向にいってくれるんじゃないかと思えてね」
「その運試しの目的は?」
「術師だけの世界を作るんだ」
「そのために非術師を殺すわけですか」
「その通り。術師だけになれば呪いは生まれないからね」
「……」
「どうだろう?」

効率のいい戦術を思いついたんだけどどうかな?まるで任務中に提示してくるような姿にしか見えなかった。目の前の人は本物なのか、どうしてそんなことを言ってるのか理解が追い付かない。

「私は非術師を恨んでないですよ」
「君の生い立ちは巡り巡って非術師の生み出した呪いによる影響が作り出したものかもしれないのに?」
「……それはどういう、」
「呪いに対する力の誇示のために御三家は君のような吉川の人間をいいように利用してきたね。そもそも呪いが無かったらどうだい?呪いがなければ、力を持っていても無意味だ。無意味とわかっていて幼い君を囲うかい。そんな状況で、君が"どこに落ち着くのが得か"を知らない大人たちが真面目に考え、卑怯な手すら行使して利用すると思うかい?」
「……もう過ぎた事なんです。現在も非術師はたくさんいて呪いも存在してる。非術師が全ていなくなるなんて非現実的でしょう?」
「確かに今更だ。けど、例えば今後あの家の血をひいた君のような子供が生まれたらどうする?」
「……それは……」

生まれない確信は?遠縁だって吉川家の血を引いていれば可能性が全くないわけじゃないだろう。傑先輩がつらつらと並べていく言葉に喉の奥がひくり、と引きつった。確信なんかあるわけない。うちの血筋をすべて把握してるわけじゃないし、何より私が、

「君には悟がいたから何とかなった。その子に悟がいるかい」

悟のように救ってくれる人がいるだろうか。そんな質問じゃないことはわかりきっていた。五条の術式と六眼を併せ持つ子がすぐに現れるわけがない。考えるまでもなく降りてきた答えは傑先輩が求めていたものと合致していたらしく、口にせずとも彼の口角が上がっていった。それからすこし、寂しそうに息を吐く。

「悟がいれば、君のような子も守れるし後輩も先輩も守れる。なんて言ったって最強だ。私の目指す道すらもアイツなら簡単に制覇できるだろう」
「悟は非術師を皆殺しになんてしない!」
「うん、しないよ。しないんだ。できるのに、やらない。やろうとしても運試しにしかならない私と違ってね。君はずっと力の無さを嘆いていた。他の術師よりもあるはずなのに足りない、悟に近づけないとね。私も足りなかったんだ。最強にはなれなかった。お互い、足りてない者同士というわけさ」
「……それで誘ったと」
「そうだよ。足りてない者同士が結託して最強に挑む。少年漫画にありそうな展開だ」
「待って、非術師を殺すのは建前で悟と敵対するのが目的なんですか?」
「いや?非術師を殺し続けていけば、いつか必ず悟が目の前に現れると思ってね」

一輪の花が目の前に差し出される。青紫色の花は、灰原の墓石の傍に添えてあった花と同じだった。

「無理に私の手を取れとは言わないさ。ただ、仲間が死んでいく様を眺めることに我慢がきかなくなったら考えてごらん。花を手向け続けるだけの未来を目指すよりも幸せになれる道があるんじゃないかってね」

相変わらず花は差し出されたままだけれど、人に渡そうとしているように思えないほど傑先輩の手はきつくしっかりと花の茎を握りしめていた。

「……君と、また出会うことがあるかどうかはわからないけれど」

ズズズ……と、傑先輩の腕に巻きつくように彼の手持ちの呪霊が姿を現した。胴の長いそれは緩慢な動きでうねりながら大きくなっていく。

「私が生きる道を見つけたように、君にも楽な道が見つけられるよう祈っておくよ」
「……やっぱり、誘う気なんてさらさらなかったじゃないですか」
「うん。私と君は似ているだけで、同じじゃないからね。私には選びきれなかった道を選ぶのだから、少しばかり興味はある」
「自分が真っ当に呪術師を続けていたらどうなっていたかって実験ってこと……」
「それは半分。残りは……そうだな、悟と幸せにでもなっててくれたらいいさ」

花が、萎れていく。呪霊の体液に包まれて頭を垂らした花から花弁がひらひらと舞って言った。

「君には悟と一緒にいていい理由がちゃんとあるけれど、私はとっくの前からそんなもの持っていないからね」

ボトリ、と完全に頭の取れた花が地面に落下する。「じゃあ、」と手を挙げて、また明日会うような別れの仕方で傑先輩が去っていく。進んでいく姿は見えるのに、どんどんと残穢が曖昧になって追えなくなっていった。色濃い残穢と崩れた花だけが、誰もいなくなった道に置き土産のようにぽつりと佇んでいた。
 

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