はつにじ

吉田くんと再会して、また賢二くんと電話をして、なんだか日本に戻ったような気分になってしまった。だから普段の日常に戻ってかれこれ数週間。前感じてた寂しさよりももっともっと寂しくなってしまった気がする。

「……」
「勉強が手につかないほど寂しいのね、紗希乃ちゃん」
「いえ。課題は全て終わってるのでこれは範囲の予習です」
「……なんだかんだ結構強いよね」

いつもの研究室の隅っこで、テキストを広げてだらしなく机に突っ伏した。隣りではいつもの研究員のお姉さんがコーヒーを飲んでる。勉強が手につかないわけじゃない。わたしが留学した学年の前学期の受けてない授業分だって課題を提出してるから他の学生よりも頑張ってるつもり。だけど、勉強以外のことが、なにも、手につかない。

「ご飯食べてる?」
「お米食べてますよ。日本に残ってる兄が送ってくれてます」
「米だけじゃないけど。他のご家族とは会ってるの?」
「他の家族はみんな色々忙しくて最近あんまり会っていません」

おばあちゃんと父さんはこの短い期間でも日本とアメリカを行き来してるし、母さんは母さんで何か勉強しているらしくてこっちの家を空けることが多かった。お手伝いさんが色々用意はしてくれるから生活には全く困っていないけど、なんだか色々寂しい。

「わたし、勉強しかやってないってよく言われてたけどやっぱり本当はそうじゃなかった」

ちがうよって一応否定はしてきたけど、どこかで自分でも勉強ばかりだと思ってた。けれども現状どうだ。今の方が勉強ばかりじゃないの。日本にいた時は全然そんなことなかったよ。帰国して卒業した後にまたこっちに来たら同じようになるのかな。

「大好きな彼と連絡とれて寂しくなっちゃった?」
「はい。だって、なんだかすごく優しく感じるんです。確かにナルシストで何だかんだと子供っぽくて、元から優しいところはあったけど、前よりもっともっと優しい」

賢二くんが変わったのかな。それともわたしの受け取り方が変わったのかな。今は家族ともすれ違っていて、単純に寂しいのもあってか賢二くんを好きなのが恋愛の好きじゃなくて家族愛の好きなんじゃないかと馬鹿みたいなことを考えてしまう夜もある。

「自分で好きなままでいたいって言ったくせに、自分から日本を出てきたくせに、勝手に寂しくなって辛いと思っている自分にムカつきます」
「アハハ。ただ辛いだけじゃなくて客観的に見て怒ってるなんて面白いね」
「笑い事じゃないんですよぉ〜〜」
「じゃあ後悔してるんだ?」

アメリカになんて来なきゃよかったとは思わない。来て勉強になったことはたくさんある。ってまた勉強の話になってしまうけど。わたしからは切っても切り離せないものだし、必要性もわかってる。だからそれが人生の選択肢の一番最初に来るのが当たり前だったのに、最近すこしずつその当たり前が揺れ始めてる。

「後悔はしてませんけど、やっぱり寂しい。こっちの生活の全部が嫌なんじゃなくて、足りないんです」

何かが欠けてちゃわたしがわたしとして成り立たない。家族も友達も全部ひっくるめてわたしだったらしい。今さら気付いたんだね。将来のことを決めなくちゃと焦っていたのは確か。やりたいこともなくって、おばあちゃんが提示した選択肢を選んでここまで来た。選んだのはわたしでしっかり意志はあるけれど、わたしが自分をどんな人間かわかってなかったらしい。電話なんかじゃ足りないよ。みんなに、賢二くんにもっともっといっぱい会いたい。

「いいじゃん、貪欲なのは研究者にとってプラスだし。それにさ、全部手に入れられる選択肢ちゃんとあるじゃない?」
「!」

ニヤリと笑いながらわたし用に淹れてくれていたらしい紅茶のカップを差し出して、その人は研究へと戻って行った。ときどきお米送ってねえ、とからから笑って。

そうだ、うじうじしててもしょうがないし、何よりもその選択肢を選ぶ理由もちゃんとしてないとおばあちゃんを納得させられないかもしれない。ってことはその理由をちゃんと考えないと……って言っても、下手に小細工してもすぐばれる。だったら、どんな理由にせよ納得せざるを得ないくらいわたしが力をつければいいだけ。こうなったらやるべきことはひとつだけ。

「はは、勉強だけはやっぱり切っても切れないなあ」

留学が終わるまでもう2か月をきった。今後の選択が迫ってくる。やれることはたくさんやろう。それがきっといい方に繋がってくれると信じて。

スマホが短く振動する。

『あんまり無理してんじゃねーぞ』

まるで見てるみたいなこと言うね、賢二くん。ありがとう、頑張るよ!

prev next



- ナノ -