春べを手折れば

それから

「じ、」
「迅ダメ、それ苗字。おれのこと迅って呼ぶの禁止」
「なんで?じゃあ下の名前教えてよ」
「思い出してからでいいだろ」
「え〜?林道さんどう思います?」
「たぶん後から思い出した時に、やめときゃよかったって思うのは紗希乃自身だろ〜」
「じゃあやめとこう」
「おれがやめてって言っても聞かないくせに……」
「今の私はどちらかと言うと林道さんの方が知り合いレベルが高いので」
「知り合い……?」
「ボスの方が傷ついてない?」


*

「しくった読み間違えた」
「だろうな」
「なんでこっちの通路いるの風間さん」
「菊地原がSEでここにいると聞いてな。ちなみに向こうには太刀川もいる」
「よーし回り道しよっか紗希乃」
「いいけど……?」
「……」
「いや、えっと、あの人ほっといていいの?」
「うん。平気平気」
「めちゃくちゃ目が合ってるんだけど、いいのかな」
「後で大丈夫。まだ傷は浅い」
「傷……やっぱり知り合い?」
「知り合い……?!」
「封印措置解除するまでそのワード禁止にしよ紗希乃!!!」

*

真っ白な部屋。いつもの部屋とはまた違う真っ白い部屋に連れてこられた。ここは、あの施設に私が行く前に使っていた部屋らしい。……何も覚えがない。この部屋のある施設に来るまでに、私は何度か気持ち悪くなって戻している。理由は簡単だった。あの、何位頭の映像が見えるやつ。わざわざ車を用意して迎えに来てくれた時に事前に説明されたけれどもイマイチ理解できないでいる。急に目まぐるしく変わる映像に酔ってしまっていたけれど、この部屋にきてからピタリとやんでいる。すごい技術が使われてるんだって。人が通りにくいと言われてる通路とエレベーターを使ってこの部屋に来る途中に何人かの人に会った。みんな知り合いなんだと思う。私をみつけて近づいてきては驚いたような表情をしていたから。私はいろんな人のことを忘れたまま、ひとりでふらふらしていたんだなあ。早く思い出して、皆に自分から声をかけたい。そして何より―……。

「封印措置を解いた後は、少しの間身体がきついかもしれない」
「一気に思い出すから?」
「うん。すこしずつやってくれるみたいだけど、ここからここまでってきっかりできるもんでもないらしいよ」
「そうなんだ……」
「とりあえず今日は直近の2年分くらいをやってみるって」
「……それは、」

あなたのことをちゃんと思い出せる期間なのかなあ。ちょっとした不安が胸をつつく。けれど、色んな人たちが部屋の中にいて、今更待ってとも言いづらい。

「封印措置をした直前の記憶は君にとって重たい物になるだろう。しかし、直近2年ほどの記憶さえあれば、君と今も関わりのある人達のおおよその記憶は取り戻せる」

厳しそうな顔をしたその人は、いたって平坦にそう言った。2年あれば足りる……

「その前もちゃんと思い出せますか?」
「勿論」
「何かを忘れたままってことにはならないですか?」
「こちらとしても手を尽くそう」

それなら、と頷いて見せた。数か月前の私は同じようにして記憶を手放したんだろうか。ちゃんと思い出して皆に会えますように。

『辛いことや悲しいことは誰かと分け合って、軽くしていくんだよ』

施設で先生が言ってくれたことを思い出す。きっとあそこでは辛いことはなかったから一人でもいられた。だけど、辛いことも悲しいことも本当はたくさんあって、ここには分けて持ってくれる人たちもいる。前の私は誰かに分けることができなかったんだな。大丈夫、わけても持ってくれそうな人がたくさんいるって気づいたよ。だから、私は……






コマ送りの限界に挑戦しているかのような怒涛の勢いに私はあえなく撃沈した。そのためにベッドで処置したのかもしれない。そりゃそうだ。頭の中いじくって平気でいられる程強い人間じゃない。ぐるぐると忙しない頭の中と、いかにも発熱しているような気怠さは懐かしい気さえした。照明が落とされて薄暗くなったいつもの部屋で、そうっと目を開いてみた。手が熱いのは熱があるから。そうだったらいいのにな。そっと握られていた右手を握り返してみた。やっぱり熱いや。私が握った手に気づいたのか、うとうとしかけていた顔が勢いよく上がった。

「熱、どう、」

たぶん聞きたいのはそんなことじゃないんだろう。なんだかしどろもどろになっていて思わず笑ってしまった。

「悠一」
「っ……」
「遅くなってごめんね、ずっと、がんばってくれてありがとう、悠一」
「紗希乃、紗希乃紗希乃……!」

あの日、海辺のあの道で抱きしめられた時とは比べ物にならないくらい、きつくしっかりと腕の中に閉じ込められる。私がここにいることを確認するように、悠一は何度も抱きしめなおした。

「ごめん、ちゃんと守ってやれなくて」
「守ってくれたよ。ちゃんと思い出そうと思えたのは悠一がいたからだよ」
「紗希乃が辛い思いをしないで済むようにできなかったんだ」
「私、今だから知れたんだけど、辛い思いってね一人で抱え込んだりどうにかできるものじゃないんだよ」

「これからは悠一を一人ぼっちにしないから、ずっと私といてくれる?」

目が赤い悠一がちょっとだけ口を尖らせる。それから、あー、とかうー、とか言ってからもう一度ぎゅっと抱きしめた。

「そういうの、おれが先に言いたかったんだけど……!おれ、紗希乃を手放そうって思ったけどダメだった。やっぱり傍には紗希乃がいてほしい。だから、おれの方こそこれからもずっと一緒にいてほしい」
「ふふ、喜んで〜」
「な……お前さ、わかってる?これは家族愛とかそういうんじゃなくて、」
「ラブのほうでしょ?あの時も今もこれだけぎゅうぎゅう抱きしめられたらわからない方がおかしいって〜」
「お前なあ、!この、調子乗って……!」
「そんな悠一くんは私のこと嫌いですか?」
「大大大好きですけど?いやそれ、マジでダメ。他人行儀なのほんと堪えるから今後もナシ。無理」
「へへ。私も悠一大好き〜」
「うわ、熱上がってない?医療班に―……」
「どうしたの?」
「やられた、見られた、」
「視えなかったの?」
「視ながら抱きしめてる余裕なんてあるわけないだろ」
「……ふふ」
「医療班呼ぶついでに雷蔵さん口止めしてくる」
「しかも雷蔵さんかい」
「ちょっと待ってて」
「いってらっしゃい」
「……行ってきます」



それから


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