春べを手折れば

やわらかな花弁を食む

「痛くない?」
「痛いっちゃ痛いんだけど、まあしょうがないよね。痛み止め飲んでこれだし、我慢我慢」

病室の外にいくって聞かない紗希乃を屋上ならいいよって誘ったのはおれの方だ。頑張って歩くという紗希乃を宥めて無理やり車椅子に乗せて、痛みがすこしでもやわらぐように車椅子の背中にクッションを敷き詰めた。

「今日は天気がいいね」

紗希乃に倣って空を見上げているのは屋上の真ん中、ベンチの端。車椅子に座る彼女の隣りで見上げたそれは青空だった。思えば二人で見上げていた空はいつも夜空だったような気がする。横目でちらりと紗希乃を盗み見れば嬉しそうに微笑んでいた。

「「あのさ、」」

まさか同じタイミングで同じ言葉で同じように声をかけるとは思わなくって、2人で顔を見合わせる。

「はは!なんでここで被る?!笑うとめちゃくちゃ痛いんだけど!」
「痛み我慢しながらでいいから先におれに譲って」
「え、やだ。私が先に話す」
「いーや、痛いんだったら休んでなよ。おれが話す」
「我慢できるくらいだもん。先に私!」
「じゃあ、じゃんけんだ」
「望むところだ!って、うわあっ」

つよい風がひと吹き押し寄せて、紗希乃の膝にかけていたブランケットがまくれあがった。それを抑えるのに必死で、持ちあがったままの自分の前髪に気づいてない姿がどうにも可笑しくて、懐かしくて、それから……。指を通してみたら、ぱらぱらと元の位置に降りていく紗希乃の細い髪が、かつてないほどに特別なものに見えた。本当に単純じゃん、おれ。驚いた顔をしてる紗希乃の口は面白いくらいにぱくぱくと動いてる。

「……ゆういち、」
「ん。おれから話させてよ」
「うぅ〜……!」
「だめ?」
「……だめじゃない、です」

おれの手を避けるためにそっと添えられた紗希乃の手が温かい。おれが今から伝えることは、紗希乃の気持ち次第じゃこれまでの安寧を崩してしまう呪いの言葉にもなり得るわけだ。だから、慎重に、そっと伝えなければいけない。……そう思っていたんだけど。今も尚添えられた細い指から感じる熱が、おれの言葉を待っているその表情が、どうにも期待を煽って急かしてくる。

「おれはさ、当たり前のものなんか何ひとつないのに、ずっとわかった気になってたんだ。変わらずにいられれば、心地良いままずっと幸せでいられると思ってた」

似たサイドエフェクトがあるからとか、良き理解者でいられるからとか、そんな理屈や言い訳は関係なくて、

「でもさ、そうじゃなかったよ」

きっと最初から、ただ紗希乃の隣りにいたかっただけだった。

「ごめん。ずっと好きだったんだ」





前髪を梳く指が触れたおでこがやたらと熱く感じた。私を見つめるその視線がいつもに増してやさしく感じてしまって、私はこんなにも都合よく悠一を見てしまえることが恥ずかしい。なんで謝るのって素直に聞ける性格だったらよかった。そうしたら、謝ったことに悠一がもう一度ごめんって言うから。そうしたら、謝ったことなんてなかったことになって、好きだよって言葉だけが残ってくれるのに。

「ずっとって、ずっと?」
「うん。ずっと前から」

好きなのに伝えなかった。どうしてって、前の私なら思っていたかもしれないけど、今ならわかる。新しい関係に踏み込むよりも、やさしくてあたたかい今のままでいられたらってどうしても思ってしまう。私もそうだった。踏み込んだら相手を傷つけてしまうかもしれないと思うよね。それも、同じ。そしてきっと悠一は……自分のサイドエフェクトで嫌な思いをさせてしまうかもしれないと思っているから謝ってる。

「すべてを視ようとしてるわけじゃない。限度もあるし、分別もあるつもりでいるよ。だけど、無意識に偏って視てしまうこともあったし、何なら紗希乃からしたら隣りで何でもかんでも先読みしてるおれがうざったいこともあっただろ」
「……待って?そりゃ流石に、明日お前は赤い下着を買うよとか言われたらドン引き通り越して気持ち悪いけど」
「赤」
「そこ復唱しないで!……べつに、そういうんじゃなかったじゃん。いや、視てたのかもしれないけど言わなかったじゃん」
「言えるわけなくない?」
「みっ、視てたの?!」
「なに、マジで赤いの持ってる……?」
「持ってない!」

そもそもそんなことを言ってしまえば私だって視ようと思えば悠一を四六時中観察できてしまうわけで。どんな状態の悠一だって視ることができるけどあえて視てないし。……事故ってちょっと視てしまったりした場合は、まあ……がんばってなかったことにしてたりする。

「おれは紗希乃に心の奥を隠して口先では綺麗事ばかり言ってた」
「そんなことないよ」
「寂しいとか、そこにいてとか、口では何とでも言える。心の底では、深く近づかないようにしてたくせにそんなことばかり言ってただろ」
「そうかなあ。悠一は意外とわかりやすいよ」

寂しいって言葉も、そこにいてって言ったあの言葉もすべて口先だけの言葉だったと言うのなら、あの時の泣きそうに笑う顔や、ちいさく丸くなった背中は何だったのって話じゃん。

「あれを綺麗事だと呼ぶのなら、私の方が自分が傷つかないようにしかできてなかったよ」

ずっと一緒にいたいと言っていた。傍で支えるのだと、理解者でいると言っていた。そうやって先に踏み込まないように、自分でボーダーラインを決め込んでいた。

「私が、自分が傷つかないための言動をもっと早く取っ払っていたのなら悠一はそんなに悩まなくてよかったと思わない?」
「…………あのさ、」
「うん」
「そんなことを言われたら期待しちゃうんだけどわかってる?」

わかってるよ。と裏返りながらも絞り出した返事に、悠一の目が驚いて丸くなる。彼の手が私の手のひらに近づいてくるけれど、触れるのを迷うようにとどまっていた。……さっきは、あんな自然に触れて来たくせに!

「期待、していいよ」

こうなったら悠一の手を自ら掴みにいくしかないと、勢いで伸ばした手はいとも簡単に掻っ攫われた。大きくて温かい手のひらが私の手をそれはもう千切れちゃうんじゃないかってくらいぎゅうぎゅうに包み込んでいる。それから、私の手を握ったまま自分の額に引き寄せるように持ち上げた。

「ごめん、ほんと、怪我してなかったらたぶんめちゃくちゃ抱きしめてる」

顔は見えないけれど、柔らかな茶色い髪の隙間から覗く耳が見たことないくらい赤くって、きっと私の顔も赤くって、お腹の底から湧き出るような燃えるあつさに参ってしまいそうだった。

「今も、これからもずっと一緒にいてほしい」
「うん、ずっと一緒にいさせて」

一緒にいたい。それは昔から変わっていないけど、それぞれが思う一緒にいたい気持ちの変化を受け入れられなくて、相手にぶつけることもできなくて、ここまできてしまってたんだね。姿を探して視なくても、いつも目の前にきてくれる。普段は言わないだけできっと、たくさんたくさん心配して、愛してくれている。ならば私もちゃんと応えたい。

「悠一、大好きだよ」
「……不意打ちは勘弁して……!」

結局、やんわりとだけど悠一の胸に収まるような形で抱きしめられてしまった。トリオン体じゃ聞こえない心臓の音がドクドクと聞こえてくる。……悠一も私も生きてる。急に、死ななくて良かったなぁなんて気持ちがせり上がってきた。恥ずかしさと安堵がまぜこぜになって、ちいさく丸くなるしかできない。

「……うわ、太刀川さんがこっちくる未来が視える」
「えっ。ここ?ここに?うわあ、待って顔やばい。私もだけど悠一もやばい」
「やばいってなに?紗希乃の方が真っ赤なんだけど」
「よく言うよそっちこそ……!え。太刀川さんが風間さんと合流してんの視える」
「マジ?どの辺?」
「病院の前の通りのコンビニ。ていうか嵐山もいる」
「うわ、風間さんと嵐山を病室に置いて単独行動する気かも。紗希乃のことからかってんの視える」
「からかわれるの回避するにはどうする?!」
「急いで病室戻ればいけ、る……?」
「えっじゃあ、すぐに戻っ……え?」
「……」
「……悠一、私の未来視えてない?」
「視えてる……」
「待ってねえ、急に頭かかえて何をして、ちょっともう3人とも病院のエレベーターに乗ってるんだけど、ねえ、悠一!ちょっと!」

やわらかな花弁を食む


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