春べを手折れば

始まりの合図は落とされた

『緊急時の通信室と開発フロアの避難経路は頭にいれておけよ吉川。おそらく誘導を任せることになる』
「了解。開発は開発室からあの箱に直接行けるとして……研究室はどうするんだっけ」
『だから箱と言うな箱と!一度廊下に出てから開発室のシェルター行きか、次の避難シェルターになるな』
「次って言うと通信室の方だね。距離で言ったら開発の方が近いから当然そっちを優先させますよ」

開発関連の部屋が多いから開発フロアと呼んでいるけれど、開発関係の部屋が続いた最後に通信室がある。ロの字型になっているから近いようで案外遠いんだよな。私と悠一がついつい箱と呼んでしまう避難用シェルターは通信室と開発室寄りにそれぞれひとつある。どちらもエレベーターで医療班が他の階から直接行けるようにしてあるから、緊急時にはそのシェルターを目指すことになっていた。

『あくまで緊急時だからな。そんな事態にならないとは思うが』
「そうですね。今のところ心配なのは外壁だけだから……」
『この前の一件に合わせて強化したわい!』
「わーかってますよ!大丈夫ですって!」

穴が開いたのは脆かったわけじゃなくて雨取ちゃんのトリオンがすごかっただけなのだけど、鬼怒田さんはだいぶショックが消えないみたい。通信モニタの端でフラグの立ったアイコンがピコピコ姿を主張している。ああ、もうそんな時間か。

「そういえば、新しいマーカーの埋め込みありがとう鬼怒田さん。おかげで警戒区域外も現在視の照準合わせやすいよ」
『ふん、市内にトリオン片を埋め込む許可をもらってきた営業部長に感謝するんだな』
「はーい!落ち着いたらコーヒーでも差し入れする〜。それじゃ、オペ会議あるからまた」
『定時のバイタル報告を忘れるなよ馬鹿娘』
「一回忘れただけなの引きずりすぎだよ。気をつけまーす」

侵攻が迫ってきている。すぐそこかもしれないし、もうちょっと先かもしれない。わからないから、私が合う人は絞れるだけ絞っていて、実際のところ悠一としか直接会ってない。モニタ越しに鬼怒田さんに指示を受けつつ、今はひたすら準備をしている。これからは実戦時のオペレーションの打ち合わせ。報告する順序と拡散する手順を予め決めておかないとパニックになった時に困るからね。通話用のチャットルームに続々とログインしてくる中で玉狛の宇佐美ちゃんの横でぴょこぴょこ頭を覗かせる陽太郎が一生懸命手を振っている。モニタについているカメラに向かって手を振り返せば、満足したらしく大人しくひっこんでいった。

*

「レプリカ先生によるとあと10日くらいでキオンとアフトクラトルが完全に離れるらしい」
「10日ね。長いなあ」
「日が経つ毎に遠くなっていくわけだから、今この瞬間が一番ありえるんだよな」
「でもそんなすぐじゃないんでしょ」
「今んとこね」

私が色んなところを打ち合わせして決定したことを、タブレットを使って悠一が流し見ている。フンフン……と軽い鼻歌交じりだから悪くはなさそう。カバーを閉じてソファの前のテーブルに置いた。

「そろそろ行ってくるよ。屋上からざっと眺めてから市内に行くつもり」
「じゃあ、市内を闊歩する悠一探しでマーカーの視覚照準合わせる練習しようかな」
「お。練習するー?」
「鬼怒田さんの手伝い終わったらね」
「ん。じゃあまた」
「はーい、またね」

バイバイ、と手を振ってから悠一は屋上に向かっていった。とりあえず鬼怒田さんに頼まれた資料の作成に取り掛かることにした。急ぎじゃないけど、抱えててもいいことないもんね。ふと視た警戒区域には風間隊と嵐山隊が待機してる。敵襲は今のところなくって、警備で落ち着いてるみたいだった。ここが揃ってるのは心強いな。オペも優秀だし。なんて思いながら、作業に戻ろうとした時だった。ピリっと目の前に電撃が走った。……ように感じたのは紛れもなくゲートが開いていく光景が視えてたからだった。それも、普段の何倍もの数が次々に開いていく。

『吉川いるか!』
「はい。現状把握入ります」
『頼んだぞ!』

モニタに映した探知レーダー図には次々とゲートとトリオン兵の反応が映し出されていく。レーダーの故障じゃなく、次々と姿を現すモールモッドやバンダーの姿が視えている。

『全戦力で迎撃に当たる!!戦闘開始だ!!』

忍田さんの声が響き渡る。気付いたら息を止めてたらしい。いけない、戦いはこれからなんだから。手早く深呼吸をする。私は、私のできることをやらなくちゃ。

始まりの合図は落とされた


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