春べを手折れば

あの頃きみに思ったこと

もう少しで小学校を卒業して中学生になろうとしている時期のこと。あの頃身近にあった棺桶みたいな箱の中。瞼を閉じても眠れない紗希乃が入ったそれに寄りかかって、話なんか入ってこない漫画を捲っていた時だった。

『私の脳みそ、いつかぺっちゃんこになっちゃうんじゃないかなあ』

今回の紗希乃が箱からでられるのは大分先になりそうだな、なんて未来視で手に入れた情報を頭の中で転がしてればそんな声が箱の中から届いた。

『なんないでしょ。脳みそぺっちゃんこになるってどんな状況?』
『私の脳みそはまだまだ子供でちっちゃいから色んなことに耐えられないんだって皆言うの。大人になったら脳みそが成長して、サイドエフェクトも我慢できるようになるよって』
『まー、まだ小学生だしそうなんじゃない』
『悠一もそう思う?ほんとに?』
『まだ大人じゃないからわかんないけど、皆そう言うならそうかも』
『……そうかなあ。私、大きくなる前にぺっちゃんこになって死んじゃわないかなあ』
『大丈夫だよ。紗希乃が死ぬ未来は視えてないし』
『数年後も十年後も全部生きてる?』
『そんな遠くまでハッキリわかんないけど、死んでそうな感じはないよ』
『ふうん……』
『なにその反応。死にたいの?』
『死にたくないけど、長くは生きられないかもしれないよね』

紗希乃の呟きに喉の奥がきゅっと締まっていくような感覚に陥った。それは俺も心のどこかで日々感じていることだったから。急に心の奥を覗かれているような気になって決まりが悪い。似たような副作用を持つ俺も力に潰されそうになることがあるけど、紗希乃と違ってコントロールを少しずつ身に着けて、視ないようにすることは前よりもできてきた。だって早くコントロールする力を身につけなければそれこそ生きていけない。悪い未来を視ることは気分も良くなければ、ただの小学生だった俺にいい未来に転じさせることなんかできっこなかった。未来がどうなるか知っていても防げるかどうかの話は別。防いだつもりで防げていないことも、防ぐことにすらたどり着けない時もあって罪悪感が拭えない。それを真正面から受け止め続けたら、それこそ俺は死んでしまうんじゃないかって思ってしまっていた。

『……はは、悪く考えすぎだよソレ』
『うん。箱に入ってるとね、悪く考えちゃうの』
『……』
『私の頭は身体は、いつまで我慢できるんだろう。我慢しなくちゃいけないんだろう。いっそ早く終わっちゃえって思う時もあるよ。だけどね、まだまだずっと生きてたいっても思うの。後ろ向きと前向きを行ったり来たりしてる』

同じだと思った。他人の現在が無数に視え続ける紗希乃と、未来のことしか視えない俺。似ているようで違うサイドエフェクトで、どこか近くて遠いと思っていたけど、置かれている状況も違うけど、紗希乃の言いたいことがよく分かってしまった。

『ねえ、紗希乃。もし、長く生きられないんだったらさ』

生きられないという根拠はない。けど、諦めにも似たその言葉がどこか心の辛さを逃がしてくれているのも確か。死にたいわけじゃない。だけど、逃げたい。逃げられない。逃げる場所が、安心できる場所が欲しい。それは物理的なものじゃなくって心の問題だった。大切に思ってくれる人たちはいて、その人たちに報いたいとも思える。それでも埋められない何かは確かにあるから、それを少しでも埋めてくれる存在が欲しかった。

『自分をわかってくれる人と少しでも長く生きれたら、それだけでも十分じゃない?』

きっと俺達は互いにそういう存在になれて、わかりあえると思うんだ。あの小さな箱の傍で、たいして面白くもない漫画を片手に紗希乃の心の片鱗を垣間見た時に俺はそう思った。初めて紗希乃の未来を視た日の高揚感は忘れられない。色んな選択肢が広がった。今まで曖昧だったところがクリアに視えた。それはきっと、これからもずっと近くにいて支え合っていけるからだと思っていたわけだけど。







風間さんとレイジさんが本部の箱に来るのは読んでいたけど、太刀川さんが来るのは完全に読み逃した。向かい合って視る3人の未来に、相変わらずぐるぐるベタベタと悪趣味なマジックで塗りつぶされたようなそれが時折視えた。それでも、断片的なことしかわからなくて、普段の3人の未来を視る感覚は完全に乱されている。……まだちゃんと視えないか。外に出ようと持ち掛けられて断らない紗希乃自身の未来はやっぱり視えない。開発室に足を踏み入れた途端に紗希乃の足が止まった。きっと急に外へ出たからサイドエフェクトに身体がついていかないんだろう。

「紗希乃、やっぱりもう帰ろう」

無理はしない方がいい。箱に戻って、また少しずつやり直そう。そう思ってうつむく彼女の手を取って声をかけただけだった。

「どこに……?」

揺れる瞳とその言葉に頭を鈍器で殴られた気さえした。寧ろ殴られた方が良かったのかもしれない。

ああ、俺、間違えたのか。

あの頃きみに思ったこと


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