春べを手折れば

まだ視ぬそのひと

「そういやさ、また視えたんだよなあ」

人の部屋でぼりぼり音を立てながらぼんち揚げを食べる悠一に避難の目を向けながら、大学のレポートに取り掛かっている。床に落ちた食べかすは後で自分で掃除させよう。

「あぁ、例のもやもやした人」
「そう。結構な人の未来に現れるもやもや」
「わたしじゃなくて?」
「おまえじゃなくて」

他人の未来に映るもやもや。わたしも悠一からそう視えていると聞いていたのに、どうやらわたしとは全然違うらしい。どんな風にちがうの、と尋ねた時の悠一の歯切れの悪い誤魔化し方ったらなかった。はっきりとした違いは未だにわからないけれど、少なくともわたしの視え方とその人物の見え方は異なるらしい。

「そのもやもやに何か特徴ないの?」
「……メガネ?」
「メガネしてるのその人?」
「たぶん」
「たぶんって。結構視えてない?それ」
「何となくそう感じてるだけだよ」
「メガネの波動を感じてるわけか……」
「そうそう。メガネからあふれ出るパワーが……!」

「冗談はおいといて。そのメガネの人物がさ、どうやら重要人物みたいなんだ」
「その人は一般人なの?」
「わからない。どこの、誰で、いつ出会うのかもわからない。ただ、色んな人の未来の中に見えるからきっとボーダーにはくると思うよ」
「その人がボーダーに来ない未来はどうなってるんだろう」
「たぶん、一番ストレートに酷い未来があるんだけどきっとそれかな」
「それはわたしがそのメガネさんと関わっているから視えていないんじゃないのかな」
「今はまだわかんないよ。何せメガネくん本人に会ったことないし」
「あ、男?」
「そんな気がする。まあ、女の子でも君付けで呼ばれることあるじゃん?沢村さんとか」
「あれはおじさんたちが呼んでるだけでしょ〜」

ふむ、メガネの男か……。と気づけば腕を組んで考えていた。もうどうせ進まないのだからレポートなんて開いたところで意味はない。ノートパソコンを閉じて、テーブルの端に追いやる。それから悠一の持つぼんち揚げの袋に手を入れて、一枚ぼんち揚げを奪ってやった。

「わたしも気を付けて視てみるよ。そんな重要人物ならトリオンも多いんだろうし見つけやすそう」
「そんなこと言って1月入隊のスカウトは空ぶったんだろー?」
「トリオン高めな子見つけたって親が納得しなきゃ無理じゃん」
「そりゃそうだ。まあ、どのみち分岐点はその内やってくる。無理してサイドエフェクト使わなくったっていいよ」

わたしのサイドエフェクトは便宜上、現在視と呼ばれているけれどすべてのものが見えているわけじゃない。ボーダーに入ってから気づいたのは、わたしが視ていたものはトリオンを保有しているものたちの現在だったということ。つまり、突然視界に入ってくる景色の中にはトリオンでできた建造物が存在していて、突然視える知らない人たちはトリオンを持っていたというわけだった。そもそも誰しもトリオンは持っている。自然に視える人と視えない人の差はおそらくトリオン量だろう、と推測された。ある程度のトリオンを保有している人間の現在が視えることに気が付けば、納得できることが結構あった。大人を視ることが少なかったのはトリオン器官の衰退でトリオンを感知しにくかったからだろう。理屈を知ってしまえば話は早い。第一次侵攻以降、警戒区域として放棄された地帯にマーカーとなるトリオン片を埋め込んだ。現在のようなオペレーションを確立させるためのマーカーでもあったし、何より便利だったのは、それを視るように集中すれば誰もいなくてもそこを視ることができるようになった。つまり、トリオンの含有量が決して多くないトリオン兵が来ても確実に視て捉えることができるようになった。


「警戒区域外にも何かマーカーあれば楽なのにとは思うよ」
「スポンサー次第だろうなー」
「だよねー。それにそんなことにトリオン割いたってさ、今じゃ使うのわたしくらいだし無駄な経費だしなあ」
「どこかでいいタイミングがあったら鬼怒田さんに提案してみるか。いずれ三門市内だけでも必要になる時が来ると思う」
「あとどれくらい?」
「1年か2年以内にはきそうだな」
「……そっか」

1年も2年も近そうでいて遠く感じる。始まったらきっとあっという間に過ぎてしまうんだろう。とりあえず目下の目標は、悠一の未来視を邪魔しないようにしながらわたしのできることをやり続けること、この一点に尽きる。秋には遠征があるし、そこまでサイドエフェクトの制御の精度をさらに上げなくちゃならない。サイドエフェクトのせいでわたしは選抜試験をスキップしてすでにメンバーとして確定している。以前は悠一も一緒に遠征に参加していたけれど、ブラックトリガーを手にしてからは行ってない。月単位で離れることがなくっていつも寂しい思いをしていたけれど、離れて暮らしている今は前よりも寂しくないのかもしれないな。……そうだったらいいのになあ。隣でひたすらぼんち揚げを食べてる男を見て、そう思う。

まだ視ぬそのひと


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