30万打リクエスト小説

オープン・シークレット@



日本警察の中枢ともいえる特殊なそこにいたその人は、やけに姿が目に付いて、声が耳に引っかかる。新しく配属された俺の教育係になってから張り切る姿が、なんていうかこう……

「犬、みたいなんですよね」
「本人に聞こえたらうるさいから黙っておいてくれないか」

俺の教育係になった吉川紗希乃その人は、上司であることに違いはないものの、どうにも挙動が犬のそれに近かった。あの人と一緒に仕事をすることが多かったという風見警視と給湯室で鉢合わせ、近況報告と言う名のあの人の報告をすると真顔でそう言ってのけた。

「犬って言っても警察犬とかその類ですよ。無闇に尻尾を振ってるアホな犬じゃない」
「……それは褒めているのか?」
「優等生ってことです。吉川さんは善しかない。想像していた公安とかけ離れてました。もっと裏工作とかもっとやっているんだと思ってたんで」
「アイツが優等生に見えると言うなら、お前は節穴同然の目を持ってるらしい」
「どう見てもそうじゃないですか」

男だらけの、守秘義務の多い特殊なここで、あんなにも笑顔で過ごして行ける人なんてそうそういないでしょう。警備企画課に何年もいて馴染んでいるはずなのに、ひとりどこか違うところにいる。性別の違いがそう思わせるのかどうかわからないが、吉川さんの存在はとても目についた。

「……お前、変なことは考えるなよ」
「変な事とは?」
「吉川に興味を持つな、面倒くさい上司だとでも思っておくんだ」
「興味、そっか、興味が沸いていたのか」
「納得するんじゃない!」

風見警視が吉川だけはやめろ、とやかましく言ってくるがそこまで必死に守る道理が見つからない。中年の上司たちは皆、あの人のことをよく可愛がっているし、長いこと一番下でやってきたから無駄に心配しているだけなんじゃないだろうか。

「べつに悪いようにしようとは思ってませんよ」
「お前の身を案じてるんだよこっちは」

何言ってんだこの人。

*

警備企画課へ配属されて数年目にしてやっと直属の部下ができた。やっと一番下っ端から抜け出せると喜んだのも束の間。新人教育の壁にモロにぶち当たっている。いやほんとこいつどうしよう。零さんてばよく新人の私を引っこ抜いたな……。普通に指導するの難しいってのに。特に今年の新人は、飄々としていて何を考えているか読みにくい。思考を巡らせるタイプなのは違いないだろうけど、もうちょい迅速に判断できないものかなあ。……いや、私も最初は全然だったし……でも指導はしないといけないし。私にできうる限り厳しく指導して、褒めるとこは褒めてやろう。ご飯にも連れてって良いって零さん言ってたしね。まあ、風見さんとか誰かとセットが条件なんだけど。

「今度ご飯行こうって言ってたよね、来週の金曜なら私も風見さんも都合つきそうなんだけど……」
「その件なんですが」
「うん?」
「明日は何か予定はありますか?」
「明日?会議の後は特に……家に帰るくらい?」
「でしたら明日の夕食一緒にどこか行きませんか」
「風見さん空いてるかな」
「いえ。吉川さんをお誘いしてるんです」
「……はい?」
「ですから、自分と明日食事に行きましょう」
「二人で?」
「二人で」
「……ランチじゃだめ?」
「いつも10分でかき込んでる人がよくランチ誘えますね」
「いや〜〜〜二人か。二人……二人?」

二人という言葉が崩壊しそうになるほど繰り返す。いやいや無理でしょ、上司と部下ですけどね?何が無理って零さんにバレたらまずい。私に浮気や何やらの意思が皆無でもまずい。だってここ警備企画のど真ん中で、何なら驚いた顔した先輩方が耳をそばだててる。そこは止めてよ皆!ここは、なんだ吉川困ってるんじゃないかって声をかけるところ!風見さんどこ行ってるのお願い帰ってきてー!

「二人じゃない方がありがたいんだけど、風見さんいれちゃいけない?」
「そこまで風見さんにこだわるってことは、もしかして風見さんと吉川さんって」
「ちょっとそれはないね」

ちょっと誰だ秒で噴き出した奴!聞いてるなら助けてよ!音のする方を振り向けば、そこら一帯のデスクの人間が一斉に顔を伏せた。ひとりじゃないのかよ!ひとまず自分の席に着くよう促して、ついでに書類も渡しながら考えを改めるように伝えてみた。ダメかよちくしょう。一体何のスイッチ入ったのこいつ。私も彼の隣りにある席につくと、キャスター付きの椅子を動かして、すすす…と近くまで寄ってきた。「あのねえ、大体私は、」ぴらりと渡されたメモに書かれていたのは、去年オープンしたイタリアンのお店だった。あ、一回零さんと行ってみようって言ってたとこだけど、何もう予約してるの?ちゃっかりしてない?いかんいかん、お店見て止まってしまった。メモを返そうとしても受け取らずにすぐさま戻ってくる。何なの!意地になって返そうとするから向こうも意地になって渡してくる。なんなのこのループ!

「ホォー…、お前か?俺の妻を職務中に口説こうとしてる不届き者は」

あっ。


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