30万打リクエスト小説

愛を遍く



忙しいことが悪いことだとは思っていない。やるべきことが多くても、やらねばならないことばかりだと思えば仕方のないことだと諦めがつく。昔からその考えを持っていたけれど、30歳も超えた今になって、時間が惜しいと思う瞬間が少しずつ増えてきた。

「明後日の夜はどうだ?」
「例の件でガサ入れ予定です」
「それじゃ、週末は?」
「風見さんとこに預けた一件がどうやら伸びそうなので、それ次第ですかね。来週の頭はいかがです?」
「そこは会議が詰まってる。水曜か木曜はどうだ」
「協力者と会う予定になってまして……」
「どっちもか?金曜はどのみち定例報告会だしな」
「ですね。土日は風見さんに代わって出張いくのでわたしはこっちにいませんし」

休みがどうにも合わない。例の組織を解体まで持って行ったはいいものの、残務をひたすらに片づけ一息ついたところでこれだ。恋人同士で直属の上司と部下で居続けるのは難しい。紗希乃本人の実績も考慮して、昇級とともに俺の手元から彼女を離すことになった。そうなると互いの抱えている内容も共有できる範囲が限られてきてしまって、休みも被らない。……まあ、以前は休みどころじゃなかったけども。
全休とはいかなかったが昼過ぎから帰ることができた。連絡してみれば偶然向こうも休みができたそうで、そうとなったら会わないわけがない。どこかに出かけようかと思ったのに、すぐさま返ってきた返事には、家に向かってます!と一言に不思議なキャラクターが動き回るスタンプが三つ。尻尾をふる犬が頭に思い浮かんでしまうほど喜んでいる紗希乃を迎えに行って、今日は適当に俺の家で過ごすことにした。

「もしや、今日たまたま会えたのって奇跡なのでは……?!」
「奇跡なものかと言いたいところだが、確かにな。前と比べたら顔を合わせる機会は多いけど」
「前はすれ違うどころか顔すら見れなかったですもんねー。そう思えばいくらかマシ?いや〜、でもなあ……」

並んでソファに座っている紗希乃が急に首を左右にブンブン振り回し始めた。なにか思いついたらしい。照れながら慌てふためいているところをみると俺にとって悪いことじゃなさそうだ。そんなのを見たら少しからかってやりたくなるもので。

「今何を考えてたんだ?」
「秘密です……!」
「ホォー…秘密、ねぇ。まあ、秘密にしなくちゃならないことはもちろんあるけど」
「そうなんです、秘密なんです」
「フーン。こんな奇跡かもしれないってくらいに久しぶりに会った恋人相手に君は隠しごとをするわけか」
「えっ、いや、その!」

わざとらしく言って見せれば、面白いくらいに表情がころころ変わっていく。一方的にからかって悪趣味だって?そりゃ、からかってみたくなるものさ。あんまり長くからかうのはかわいそうだから、あともうすこしだけ。

「ねえ、教えて」
「っ……それ!それいけませんって、首傾げてそれ言うとかわかっててやってるんでしょ零さん〜〜〜!」

きゃー!と顔を覆って、俺のいない方に倒れていく紗希乃の背に腕を回して腕の中へと回収した。はは、もごもごまだ何か言ってるな。すっぽり収まった彼女の声が拾えるように顔を摺り寄せて耳を傾けた。

「もう一度言ってほしいな」
「〜〜っ。何回も言うの恥ずかしい!」
「知ってる」
「たち悪い!」
「だろうね」
「最後の一回ですよっ」
「ホー、言ってくれるんだ」
「えっ、言わなくていいの?」
「だめ」
「ううっ、結局か!」

落ち着こうと深呼吸している彼女の息が胸元をくすぐってきて、こそばゆい。これを言ったら勢いよく離れていってしまうんだろうな。絶対に言ってやらない。きっと、自分の顔が恐ろしく緩んでいるんだろうけど見えてないからいいか。ようやく落ち着いたらしい紗希乃は姿勢はそのままで、ゆっくり話し始めた。

「あのですね。お付き合いする前は連絡もとれなかったし、顔だって今ほど合わせることもなかったじゃないですか」
「まあ、お前は俺の写真を集めてたみたいだけど」
「うわああ黒歴史!!とっ、ともかく!それは抜きにして、本物の貴方を目にする機会が非常に少なかったわけですよ」
「うん。それで?」
「……今は前よりか顔は見れるけど、前よりももっともっと会いたくなって……物足りないなって……思ってしまいましてっ……くっ、恥ずかしいっ!」
「おわっ、」

腕の中に納まっていた紗希乃が急に腕を伸ばして、首に手を回してきた。恥ずかしさが飛びぬけて、もうどうにでもなれとヤケを起こしたらしい。目一杯ぎゅうぎゅうと抱きしめてくる愛くるしい彼女に応えるよう再度抱きしめ返す。

「そんなこと隠すまでもないよ、紗希乃」
「やっぱり〜!わかっててからかったんでしょ」
「そうだよ」
「いじわる!」
「意地悪でいいさ。だってあんな照れた顔で隠されちゃ、期待しないわけないだろう?」
「……やっぱり期待してたんです?」
「それはもう」
「ふふ、何それ。全然違うことだったらどうするつもりだったんですか」
「手応え十分だったから俺にとって良い返事が聞けると確信があったんだよ」

目一杯ぎゅうぎゅうと抱きしめてくる愛くるしい彼女に応えるよう再度抱きしめなおす。不思議なくらいに満たされていく時間が過ぎていくのがとても惜しい。顔を見るだけじゃ物足りないなんて俺だって同じ。どうにかして時間を作れないものか、と考えるけれど今すべきことじゃないな。今はとにかく……

「紗希乃だって、俺が喜んで聞いてくれるって確信があったから話してくれたんだろう?」
「……だって、なんだか楽しみにしてそうな顔だったから」

言ってみたくなっちゃった。と零した紗希乃の言葉に思わず笑ってしまった。……うん。これからのことは一先ず置いておこう。そしてやっぱり、今はとにかくこの幸せな時間を堪能させてもらうことにする。


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