ドラコ
ドライフラワーの行方
できもしないことを想像してしまう癖は小さな頃から治らないのね。そんなことをぼやいてしまえば、隣りでそわそわしながらベイクドポテトを頬張る幼馴染が余計なことに気が付いて、朝っぱらから決闘がはじまるに違いない。貴女のことを言ったんじゃない。意気地なしの自分へ呆れているだけよ。そう言ったって、彼女がすんなり頷いてくれないだろうことはわかりきっていた。

「ねえ、ドラコったら遅いと思わない?」
「いつもより早起きして、わたしを暖かいベッドから引きずり出した身分でよく言うわね。とうとう時計も読めなくなっちゃったの?」
「なによ、ピリピリしちゃって!いつもより丁寧に身嗜みを整える時間ができたんだからわたしに感謝しなさい」

フン、と鼻を鳴らしたパンジーはフォークを皿の上に投げ出すように置いてから、真っ黒い毛先が跳ねていないかつまんでは念入りに撫でつけていた。跳ねていたって、つややかで綺麗な黒髪だもの彼も悪い気はしないでしょうよ。なんだかとってもむしゃくしゃしちゃって、取り分けたサラダにザクザクとフォークを刺していた。

「朝から随分勇ましいじゃないか、コストス。今日くらいはしおらしくしていた方が愛を囁いてもらえるかもしれないぞ」
「へえ、一体誰が囁いてくれるのかしらね」
「……ドラコは違うと思うわよ」
「杖はしまえよ。パーキンソン、君に言ってる。大体誰もドラコだとは言ってないだろ、」

今日という日は自分がマルフォイに感謝と愛を伝えるのだと息巻いている人間を前に迂闊な言葉は控えてもらいたいところ。私達の目の前に座ろうとしていたのに杖を構えられては堪ったもんじゃないのか、ノットはじりじりとわたしたちから離れたところへ動いていった。

「パーキンソン。君は嫉妬しいなんだから、ひとりで挑んだ方がいいと思うけどね」

ああ、ほら言わんこっちゃない。燃やせるレポートがここにないのだからどうなることか。慌てて逃げようと立ち上がったノットの向こうから見慣れたブロンドがやって来るのが見える。朝から広間で燃やすのはリスクが高いと思ったのか、水責めにしようとしていたらしいパンジーが慌てて杖先をずらす。急な方向転換のせいで偶然通りかかったハッフルパフの下級生のローブがそれはもう重たげに見えるくらい水をかぶってしまった。

*

「あの……少し頭を冷やそうと思ったんです」
「ほう?」
「ほら、今日は、その……バレンタインですから。皆浮足立っているでしょう?わたしもその熱気にあてられてしまって、このままじゃいけないと思って」
「今日は魔法薬学のレポートの提出日ですしね」
「っそう!そうなんです教授!覚えてらっしゃると思いますけれど、前回の提出課題だった爪伸ばしの薬の出来がよくなかったでしょう?だから今回は落ち着いて課題を仕上げて、」
「ええ、全体的に黄ばんでましたわ」
「ちょっと、リアは黙って――……!」

朝から、愛の言葉を囁くキューピッドを模した吠えメールの亜種に追いかけまわされる輩が廊下を駆けまわっていて騒がしいことこの上なかったのに、スネイプ教授を前にしたパーキンソンの周りは静まり返っていた。クラッブとゴイルに至っては朝の挨拶もそこそこに「今日はいらない食べ物があればいくらでももらう」と自信たっぷりに言ってのけただけあって、食堂に着いたそばからチョコレートケーキを鷲掴みにしている。食い意地が張ってるのはいつものことだろうが。

「あいつらは朝から何をしたんだ?」
「この真冬に着衣泳がやりたくなったらしい。手本を求められそうになった」
「……お前が何か言ったな」
「さてね。別に事実を言ったまでだけど」
「パーキンソンが反撃しようとして、コストスが巻き込まれたのか」
「よくわかるな?」
「コストスが呆れた顔をしてるんだ、巻き込んだ側がそんな顔しないだろ」
「そりゃそうだ。コストスはいっつもあんな顔さ」

けらけらと笑うセオドールは、ケーキにがっつくクラッブたちにケーキの大皿を押し付けて、代わりにチキンの乗った皿を手繰り寄せた。

「で、今年のドラコの収穫は?」
「特に代り映えしないな。そっちは?」
「僕に聞くのか?」
「先に聞いたのはそっちだろう」
「僕も代り映えしないよ。つまりはゼロだ」

セオドールとバレンタインデーのカードの数を競い合うようになってから何年経っただろうか。愛を囁き合う日でもあるが、感謝を伝えることもある。つまり僕が手にしているバレンタインデーのカードの大半は後者だろう。

「水気の少ないレディからは?」
「ああ。今年も来てた」
「何の花?」
「知らない。白っぽくて、小さい花びらみたいだが」
「白い花なんて春になったらいくらでもその辺に生えるだろ」

水気の少ないレディ。何ともまあ可愛げのない呼び方である。バレンタインデーといえば、やはり愛を伝えてこそだと校内の至る所で小人たちが囁いていた。ホグワーツに入ってから毎年、バレンタインになると差出人不明の1通のカードが僕の元へとやってくる。

『親愛なる貴方へ』

わざと機械的に書いているような筆跡のそれに、糊付けされたドライフラワー。毎年、同じような花だけどどこか違っていて、丁寧に乾燥されているのが僕にでもわかった。熱烈に愛を伝えるわけでもなく、社交辞令じみた例文を書き連ねるわけでもない。一言と平たくのされた花だけ。返事をしてみようと思ったことはある。ただ、相手が分からないのであれば下手に返事をするのは悪手かもしれないと思って行動に移したことはなかった。

「まあ!ドラコ、いつの間に!」
「君たちが教授に課題の良し悪しの確認をしてる時にね」
「これは、その…ちょっと……!」
「パンジー。また邪魔が入って渡せないかもしれないんだから、早いところマルフォイに渡した方がいいと思うの」

呆れた顔。それから酷くつまらなさそうで、諦めている顔。バレンタインデーに浮かべる表情じゃないな。なんて思っているのがばれたのか、コストスは肩を竦めている。

「安心してマルフォイ。私は下手くそな歌を披露する小人カードも、小さなラッパを吹き鳴らす天使だらけのカードも送らないからね」





リアとのホグワーツでのバレンタインデーの記憶をひとつずつ思い起こしてみても、カードの交換こそすれど特別なにか起きたりはしなかった気がする。

「ドラコ、ありがとう!」

嬉しそうに頬を染めて、薔薇の花束を抱えているリアはパタパタと小走りで動きながら「パット!パット!見てご覧なさい、こんな素敵な薔薇をドラコが……」興奮しているようで、言葉尻が立て込んで何を言ってるのかわからないくらいだ。真っ赤な薔薇のシンプルな花束。これだけでここまで喜んでもらえるなら普段からもっと花を贈っておけばよかったな。白くて大ぶりな花も似合うだろうし、黄色い小花を集めて花束にしても似合いそうだ。

「お嬢様が嬉しいとパットめも嬉しい!」

キイキイとした声はいつにも増して明るくとんがっていて、鼓膜が破られそうになる。しゃがんで花束の天辺をパットに見やすいように抱えているリアに集中して何とか甲高い音から気を反らす。

「この花たちも干してみましょう、お嬢様!」
「これを干すのはちょっとどうかしら……ほら、覚えていない?伯父様の庭園からくすねた真っ赤な薔薇とピンクの薔薇の時よ」
「パットめの管理が至らないせいで萎れてしまった時のことでございますか……?」
「いいえ、パットが悪いんじゃないのよ。赤い薔薇は干すと、ほら……真っ黒になるでしょう?」

ハーマイオニーにも確認したんだから。と壁に頭を打ち付けに行こうとするパットの襟首を先に掴んだリアは、左に花束を右にパットを抱きかかえた。

「花を干すのか?」
「ええ、そうよ。よく水分だけ抜いた花のモチーフなんかがあるでしょう?」
「淑女向けのブティックに飾ってあるのを母上に連れまわされた時によく見たよ」
「そう。そういうショップにあるのが魔法で乾燥させたものだから色も褪せずにとっておけるのだけど……」
「お嬢様は花を平たくするのがお好きなのです!」
「その言い方だと語弊があるわね」

リア曰く、マグル式の花の保存方法があるらしい。ひもで結んでぶら提げて置いたり、分厚い紙の間に花を挟んで、重しを乗せて時間をかけて乾燥させていくんだそうだ。彼女の好きな物の話をし始めたパットがご機嫌になったので、抱きかかえていたのをそっと降ろして、花束をしっかりと握らせる。「これは花瓶に生けて頂戴ね」そう言うリアに小首を傾げたパットは「お嬢様がおっしゃるなら!」と胸を張って姿を消した。

「それはね、色鮮やかさは失われていくけれど、違った色味も出てきて私はとても好きなの」
「……それって、カードなんかに添えたりもするのかい」
「ええ!平たくなった花は糊で貼れるからカードに添えても素敵だわ」

ふと思い出したのは、ホグワーツ時代のこと。毎年バレンタインデーに贈られてくる小さなカード。平たくのされた乾いた花が添えられていたそれは学生時代だけ僕の元に届いた。

「昔、バレンタインデーの日に知らない人から毎年カードが届いていたんだが、そのカードにはリアが言うようなそういう花が添えられていたよ」
「そんな昔のこと、よく覚えてるわね?」
「だって、どこの誰かもわからないのに僕の健康を願ったり、身に覚えのないお礼を言われたりしてたんだ」
「……気味が悪いとか思わなかった?」
「いや?初めの頃はからかわれているか、悪いものの可能性があると思っていたが途中からは楽しみにしていたよ」

初めこそ白い花だったはずの小さな花はどこかくすんだ色をしていた。それが年を重ねるにつれて、すこし青みの強い花になっていたり、紫がかった花へと変わっていった。今年の花は何色だろうか。バレンタインデーの前日にはまるでクリスマスイブのように小さく乾いたプレゼントのことをぼんやり考えた。

「普通に仕舞うんじゃ、ただでさえ乾燥してる花が余計に乾くかと思って、密閉できる箱にしまった気がするけど……」

実家の自分の部屋に今も眠っているはずだ。今度帰った時にでも覗いてみてもいいかもしれない。リアもそういうのが好きならいくらかはコレクションしていることだろう。気が向いたら見せてもらおうと、リアの手を取った時だった。パタパタと、手の甲に水が降ってきた。

「泣いてるのか?」
「っ、」
「アー……すまない。いや、そのカードのことを自慢しようとか、昔はどうだったとかが言いたいわけじゃなかったんだけど、」
「ちがう!ちがうの、これは嬉しくて、」
「……うれしい?」
「わたし、知られないままでいいと思ってたのに」
「まさかあのカードの贈り主は君か?」
「貴方があのカードにどう思ってるかこれっぽっちも知らなかったから、ただの自己満足でしかなかったけど、ずっとこっそり送ってたの」
「普通にバレンタインのカードを直接交換したりしてたじゃないか」
「だってばれちゃったらダメだと思ったんだもの」

大体、学生の頃はわたしのこと何とも思ってなかったでしょ?となかなか鋭い言葉を投げられた。リアの感情が揺れる時はよくこの問いかけがされる。答えはイエス。けれどもそれは昔の話であって、今はそうではない。

「わたし、貴方にあげた分だけ貴方からお花がもらいたいって思ってたのよ」

カードをもらったのは学生時代のバレンタインデーだけ。そんなのさっきの花束の本数だけでとっくに超えている。涙は零れはしないけど目尻にたんまり残っていたから、流れてしまわないよう指の腹でそっと拭ってやった。

「ふうん。じゃあこれからは花じゃない方がいいのか?」

せっかく君に似合う花を色々考えていたのにな。なんてわざとらしく言いながら抱き寄せてみれば、リアは僕の胸元をぽかすか叩き始めた。

「いじわる!」

彼女のことを気に留めていなかった昔の自分にお前はなんてもったいないことをしたんだと詰ってやりたい。知らない所でそっと思われていたことを知るだけでこんなにも気分が高揚するとは思わなかった。

僕はきっとこれからも君のことをこうやってからかうし、花じゃない方がいいのか?なんていいながらこれからはきっと花束を用意するだろう。

「……今度はわたしに似合うお花をくれる?」

すべてを口にしてもいいけれど、あまり多くを望まない君が僕に望むなら僕はいくらでも応えたいと思う。

「もちろん!」
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