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そーいや、光彦たちが明日もポアロに行くって言ってたな。学校も休みだし、藤丸も安室さんに会いに行きたいかもしれない。だったら今のうちに声をかけといてやるか。別れてから間もない今なら難なく追いつける。そう思って藤丸が進んでいった道を追いかけるように歩く。すこし先に藤丸の後姿が見えて、声をかけようとしたところで歩くスピードがすこし速くなっていることに気付く。
「何してんだアイツ…?」
先にマンションに入ってしまわれては困る。だって、部屋番号とか聞いてねーし。早歩きをしてる藤丸を追いかけて、こちらも少し歩調を早めた。すると藤丸の向こうから一人の男の人が歩いてくるのがわかった。あれ、あの人って……。
「は?!どうした藤丸?!」
男の人とすれ違った瞬間、藤丸が大声で叫んで猛ダッシュし始めた。すれ違いざまに大声で逃げられたその人も驚いて慌てて追いかけ始める。
「風見刑事!」
「君は…!」
「これって一体どういう状況?」
「それが、わからないんだ。すれ違ったところで彼は突然、」
男の人こと公安警察で安室さんの部下の風見刑事と会話しながら藤丸を追いかける。藤丸に呼びかけても必死なあいつには声が届いていないようだった。このままマンションに入られたら色々と厄介だな。風見さんがただの不審者扱いされたままになる……と、考えていたところで突然転機が訪れた。……転んだ。藤丸のやつ、思いっきり転んじまった。しかもマンションの門まで残り1mというところで小学生特有の転び方を披露してくれた。背負ったランドセルのフタと一緒に中身が勢いよく呼び出して遠くへ飛んで行く。門にうまいこと入れたのはさんすうの教科書だけだった。
「君、大丈夫か?」
「わああっ!」
「藤丸!大丈夫だ、この人は悪い人じゃないから!安室さんの知り合いだから!」
「えっ」
本当に…?と風見刑事から距離をとりつつ尋ねてくる藤丸にしっかりと頷いてやれば、へなへなと崩れるように座り込む。心配性な母親の教育の賜物か不審人物を見かけて逃げようとしてたのかもしれない。
「このマンション知り合いしか住んでないし、この辺に住んでる人たちは大体知ってるから変な人かと思ったんだ」
知り合いしか住んでない?5階建てのそこに知り合いしかいないって藤丸家の人脈どうなってるんだ?マンションを見上げると、どの部屋もカーテンが取り付けられている。全部同じ柄だから元から取りつけて貸し出してるのかもしれないけど、空室らしき部屋はここからじゃ見当たらなかった。
「ごめんなさい、おじさん」
「おじ…?!」
「この先は突き当りだし、見たことのない人がいたら驚くかもしれないね」
「大袈裟なことして本当にごめんなさい。それにしても、どうして安室さんの知り合いがここに?」
「…この近くに用事があってこの辺を歩いていたんだが、通り抜けようとしたら行き止まりでね。引き返してきたところで君とすれ違ったんだ」
「そうだったんだね。ほんっとーにごめんなさい!悪気はなくて、」
「いいんだ。誤解を招いてこちらこそ申し訳ない。荷物を拾うのを手伝うよ」
「ありがとうおじさん!」
「風見裕也だ」
「うん、ありがとう風見さん」
オレも加わって、三人で散らばった教科書たちをかき集める。あとは門の内側に入ったさんすうの教科書だけだ。それを取ろうと門に向かって一歩踏み出した時、ピリッと何か、目の前に突き出されたような感覚に思わず後ずさりする。
「待ってコナンくん。中のはオレが取るからいいよ」
「……おう」
一体何だったんだ、あれ。藤丸はなんてことないようにスタスタと門の中へと進んで、地面に落ちた教科書を拾い上げた。それから――……
「あらあら、まあまあ」
音もなく、その人は現れた。オレの隣りに立つ風見さんも驚いているのがわかる。あらあら、と言いながら藤丸の真後ろにいる女性は気付けばそこに立っていた。
「お怪我はありませんか?」
「あー、すこし膝すりむいちゃったかも」
「それはいけません!今すぐに治療して頂かなければ」
「あとで絆創膏でも貼っとくからいいよ」
「ふ、藤丸…その人は…?」
「母です」
「ちがいます」
母?母って心配性で、多国籍な料理を作るのが得意な藤丸の母親?にしても秒で訂正している様子を見ても本当の母親じゃなさそうだった。だったら何なんだこの人。着物を纏うその人は頬を染めて微笑んでいる。
「ほら、飲み屋とかでさ女将さんのことママって呼ぶじゃん?そういう感じなんだけど」
「……小学生が出す例えとは到底思えないんだが……」
「えっ、風見さん?ひいてる?!」
「私、源頼光と申します。此度は可愛らしいこの子の助けを呼ぶ声に出てまいりました。以後お見知りおきを」
「よ、よろしく。頼光さん……。ボク、江戸川コナン!藤丸くんの友達だよ」
「通りがかりの風見裕也と申します…」
「お二方とも今後ともよろしくお願い致しますね」
「頼光ママありがとー。今日の夕食はエミヤでしょ?てっきりキッチンに行ってるんだと思ってた」
「幼子がお遣いに出たまま戻って来ませんの。ですから迎えにでもと思っていたところでした」
幼子。そのワードが彼女の口から零れ落ちた時、遠いどこかから歌が聞こえてきた。
「London Bridge is broken down,Broken down, broken down.」
聞こえているのはオレだけじゃないらしい。みんな、声のする方を探して視線を彷徨わせている。今度は声のする場所がはっきりわかった。オレたちがやってきた通りを進んで、歌っているその人はやって来る。鈴を転がしたような、可愛らしく高い声を響かせて。
「London Bridge is broken down,My fair lady!」
フレーズの最後を自信満々に歌い切ったのは、白い髪でふたつの三つ編みを両サイドに垂らしている女の子。真っ黒いワンピースを着て、歌に合わせて立ち止まる。
「おかえりなさい!お茶会でも、始めるの?」
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「あぁ、こっちは滞りなく進んでいる。情報が膨大すぎて真偽のほどは定かじゃないがな。……なに?またそいつか?いや……、こっちの情報でも何度かその名を目にしている。随分と大きな名を名乗るものだと思ってはいたが……。ひとまずマンションから一度帰庁してくれ、情報を擦り合わせたい」
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大事なマスターのオトモダチ!初めて出会うオトモダチ!お茶会しなくちゃもったいない。夢のゆりかご携えて、今夜は楽しくティーパーティー!そしてナイショの話をするの。おかあさまとおとうさまの物語。バッドエンドはもうおしまい。変身するわ、変身するの。ハッピーエンドへ大変身!素敵な話に変えちゃおう。きらきら星も負けるくらい、眩しく煌めく蒼の色。きっと喜んでくれるよね?
「真面目そうなおじさまに……不思議な不思議な男の子。保証期間は過ぎたのに、やさしい世界に戻って来たの?それとも瞳は覚めたまま?」
どちらにしても楽しいわ!これから一緒に遊びましょう?