憧憬/降谷零


折れない心はありますか


覚悟というものは、一度しただけでは足りないらしい。何度も何度も重ねて、更新しなくちゃいけない。薄れていかないよう、新たに覚悟を決め続けなくてはならない。

「行って、くだ……さい!」

はやく。はやく。乱れた呼吸でわたしを急かす部下たち。炎に焼かれ熱が照りついた瞳に映るのは、情けなく表情を歪ませることしかできないわたしの顔だった。遠くに伏せる彼はまだ息をしている。目の前のこの人は意識もある。その横では、少しでも抗おうと自らに覆いかぶさる鉄骨たちに手をかけている者もいる。皆わかってる。わたしも、理解はしていた。

「行って。行ってください。そして、必ず――……」

意識があっても、瓦礫の下敷きになっていては抜け出せない。息をしていても、頭から流れる多量の出血を止められる状況ではもはやない。あの人たちを救うことはできない。突如起こった爆発時、突き飛ばすように部下に庇われたわたしはここで視界にいるすべての人たちを見捨てて、走りださなくちゃならならなかった。
……それなのに。わかっていても、体が動いてくれない。あぁ、そっか。わたしは怖いんだ。見知った人たちを失っていくことが。ありえないことなんかない。何が起きてもおかしくない仕事をしているっていうのに。

鉄骨が倒れて天井が低い瓦礫の中。背後には這えば人ひとりは出られそうな隙間がひとつ。折れたまま落ちていきそうだった意識を呼び戻すために、強く目をつぶってからしっかりと目を見開いた。膝立ちをしてまっすぐ前を見据える。膝に瓦礫の欠片が刺さって痛い気がした。だけど、火傷と擦過傷でどこが痛いのかなんてもうわからない。そのまま横たわる部下たちに向かって敬礼する。

「ありがとう、ございましたっ……!」

震えてたんじゃないだろうか。わずかに揺れた視界に映るのは、指すら持ち上がらなくなってしまった部下の姿。息が、くるしい。早く逃げ出さなくちゃ。人が通れそうだった隙間は所詮偶然できただけの穴で、徐々にその形は小さくなっている。飛び込むように上体を滑り込ませても、すぐに抜けられない。息はしやすくなっても少しずつ狭くなっていく隙間に、だんだん前へ進めなくなっていた。少しずつ、少しずつ進んでいく中で、ジャケットでも引っかかってしまったのか、抜け出せる直前に進めなくなってしまった。

「あと、ちょっとなのに、」

わたしにはやることがある。あの人たちにもやることがあった。この爆発でやることは増えただろう。こんなところで、こんな瓦礫に潰されてたまるもんか。

手の届く距離にある瓦礫の欠片を掴んで穴の外へ滑らせるように投げた。3センチ大の欠片はまっすぐ転がっていく。勢いはそんなにない。勢いをつけるなら、もっと腕を振れるだけのスペースが必要だった。手の届く欠片は大小差はあれど結構な数はある。できるだけ規則的な軌道を描いてまっすぐ転がるように欠片を投げ続ける。煙を吸った喉じゃ大きな声は出せないから、何とかここに生きた人間がいることを伝えなくちゃならない。瓦礫の下敷きになるのが先か、わたしの意識が落ちるのが先か、誰かが気づいてくれるのが先なのか……。

誰かの声がした。転がす手は止めない。近づいてくる足音もする。おそらく複数いる。視界が暗くなった。あれは、誰かの靴だ。誰かの靴に向けて欠片を当てた。

「誰かいるな?!」

コツン。また、靴に欠片が当たる。靴が見えなくなった代わりに誰かが覗き込んできた、逆光で顔はわからない。助かるかもしれない、そう思ったら急に眠たくなってきた。大きな音がする気がした。腕を引っ張られる感覚もある。自分の身体が引きずり出されていくのをどこか他人事のように感じながら、瞼の重たさに耐えた。

突然の明るい光。逆光でも輝いて見えたのは――……

「よく、生きててくれたな、吉川……!」

怒りと悲しみと喜び。すべてをかき混ぜてそこに置いてきた。そんな目をした降谷さんの綺麗な瞳。落ちてく自分の瞼に抗いきれずに、なるがまま力が抜けていく。

降谷さんの、感情の渦が閉じ込められた瞳を見て思う。折れない覚悟なんてものは存在しないのだと。折れてしまったのなら、折れたままで終わらない強い心を持ち続けなければならないということを。




折れない心はありますか

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