憧憬/降谷零


こんにちは再び出会う日


地図で見た目的地の近くでタクシーから降り上を見上げるとポアロという喫茶店の上の階には毛利探偵事務所という名が掲げてあった。毛利って、あの眠りの小五郎?そういや降谷さんって今……あ、いけない。あと5分で約束の時間になっちゃうや。だけど喫茶店の窓ガラス越しに覗いたところでお客なんて一人もいない。先に入っちゃっていいのかな。

「いらっしゃいませ。1名様ですか?」
「ええと、待ち合わせで…後からもう一人来ると思います」

待ち合わせだとわたしが伝えると、店員の女性はなぜか振り向いてから納得したように笑顔になった。

「もうすぐ17時30分…安室さんのお客様ですね!」
「あ、安室さん?」
「あら、勘違いでしたか?」
「当たっていますけど、」

なぜこの女性がそんなことを知ってるんだろ。降谷さんってばここの常連になってるのかな。4人掛け用のテーブル席に案内されてメニューを開くと、店員さんが灰皿を持ってきてくれた。わたし喫煙者だって言ったっけ。

「安室さんが灰皿をセットしてあげてって言っていたので」
「なるほど」

店員さんに指示出しをするってどれだけ通いて詰めてんのかしらあの人。あきらか年下だろう女性に詰め寄ってるんじゃないだろうな。なんてありもしないことが頭をよぎる。うそうそやめてそういうのむり。膨らむ嫌な想像に目を瞑ってコーヒーをひとつ頼み、灰皿を手元に手繰り寄せる。煙草に火をつけて煙を一気に吸い込んだ。嫌なことは煙と一緒に吐き出してやるんだから。お気に入りのフルーツフレーバーの煙草はわたしの意識を明るく引っ張り上げてくれる。

「時間までには戻ってくるって言ってたんですけど、やっぱり間に合いませんでしたね。まさか安室さんの待ち合わせの人が女の人なんて思ってませんでした!」
「はあ。あの人はどこへ?」
「いくつか在庫が足りなくて、近くの商店街に買い物に行ってくれてるんです。わたしが行きますって言ったんですけど……」
「へえ……まるでここでバイトしてるみたいですね買い出しなんて」
「してるみたいも何も」
「え?」
「ここでバイトしてるんだよ」

ラフな格好で買い物袋を手にした降谷さんが入り口近くのカウンターに荷物を置きながら立っていた。え?バイト?なんで降谷さんがそんな…っていうか降谷さんの私服の趣味そんなだったっけ。しれっと会話に混ざってるけどもしや店内に盗聴器でもしかけてた?

「ほら、きょろきょろしない。何もないさ、梓さんとお前が話すとしたらそんなところだろうと思ったし」

そっとドアを開けたから二人とも気付いてなかったしね。と見慣れぬ営業スマイルを輝かせて降谷さんがカウンターの中に入って行く。

「おかえりなさい安室さん。片づけはわたしがやるのでもう上がってください」
「ではお言葉に甘えて……すみません、色々買い込んでしまって」
「大丈夫ですよ、むしろありがたいです」

降谷さんからビニール袋を受け取った店員さんが裏へと引っ込んでいく。少しどころか両手にぶら提げられたビニールはそれなりの大きさだった。ちょっとの買い出しでまとめ買いしすぎじゃないですかね。……わざとか。わざと時間をずらすためにそんなことしたのかもしれない。この人はそういうことを普通にやる人だったよ。

カウンターの中にいる降谷さんはわたしのコーヒーを入れてるのか、手慣れた動きでコーヒーを淹れていた。「灰が落ちるぞ」と言われ慌てて煙草の先の灰を灰皿へ振り落とし、もう短くなってしまったそれをぐりぐりと押し消す。ふたつのコーヒーを手に降谷さんがやってきて正面に座った。

「お久しぶりです。まさかこんなところでバイトしてるなんて思ってもみませんでした」
「風見から聞いてると思ったんだけどね」
「なんもですよ。どーせわたしのことは降谷さんに筒抜けなんでしょうけど」
「こら。何もないとは言ったが何があるかわからないんだからな」
「はあい、安室さん」

はぐらかされた、と思う。実際に筒抜けなのかはわからない。風見さんが降谷さんと連絡を取り合っているのは知っているけどあくまで仕事のやりとりだけなはず。なんてたって風見さんだ。あの人がそういうとこうまく立ち回れなさそうだし。余計なことを言っていないことを祈ることしかできない。

「探偵の方は続けてるんですよね」
「ああ。上の毛利探偵事務所の毛利小五郎の一番弟子さ」
「……あなたが弟子入り?」
「そう。僕が弟子入り。おかしいかい?」
「いろいろとおかしいところがありすぎてどこからつっこめばいいんでしょうこれ」
「後でちゃんと話すよ。ここで話すには込み入った内容だから」

悪戯っぽく笑って人差し指を口元に当てている。あっれえ降谷さんてばこんなに気障ったらしい男だったかな。まわりに誰もいないとしても安室透から抜けきれてないこの人は、わたしが見ぬ間に安室透と結合して人間変わっちゃったんじゃないだろうか。得体の知れないものを見る様な目で見てしまっていたのかもかもしれない。降谷さんは肩をすくめていた。

「こういうのは嫌かい?」
「べつに嫌とかじゃないですよ。ただ、降谷さんのそういうの見慣れてなくって…」
「寂しそうだったって聞いたんだけど」
「風見さんてばやっぱりそういうこと言ってたんだ!」
「ちがうよ。江戸川コナンくんさ」
「……誰です?」
「誰って先週会ったんだろう?公園で」
「公園って……あっ!あの少年たち?!」
「『篠原っていうストーカー女を知ってる?』って聞かれてね」
「すっストーカーじゃないって言ったのにいいい」
「一応訂正しておいたけど、納得していないようだったから誤解は自分で解くように」
「解いたつもりだったんだけどなあ…」
「お気に入りの写真の解説されたって聞いたけど?」
「……ノーコメントで」
「だいたい本物と連絡とれるんだから連絡してくればいいだろ」
「いやです」
「どうして?」
「……」
「いいさ。今回のことでわかったこともいくつかあるしね」
「わかったこと?」
「秘密だよ」

そうしてまた口元に人差し指を持って行く。今度はウインクのおまけつきだった。降谷さんはわたしの反応がうすいことが面白かったのか、実に楽しそうに笑っている。

「おかしいなあ。これ、わりと反応良いんだけど」
「何の反応ですか何の」
「言わないとわからない?」

なんてね。と笑う降谷さんに貰い物の煙草を一箱差し出して、自分の分はシガレットケースから一本取り出す。

「銘柄変えたのか?」
「貰い物ですよ。喫煙所でこないだ貰ったんです。わたしには重たすぎるのであなたにあげます」
「有難くもらっておくよ」
「どーぞ」

降谷さんは受け取った箱を開けるでもなく、手元で弄んでいる。ふうん、"安室透"は吸わないのか。降谷零はそこそこ吸ってる人だったけども。煙を吸い込み正面に座る降谷さんから外して息を吐きだすと、煙の先に見えたガラスの向こう側には先週会った少年たちのうちの一人がいた。驚いた顔でこっちを凝視している彼はランドセルを背負う姿に似つかわしくない表情をしていた。なんていうか、こう。人生終わったって感じ。

「あ、」
「どうした?」
「あの子って」

煙草の箱を弄んでいた降谷さんの視線がゆらゆら揺らめく煙の向こうへと定まった。ここにきて安室透モードの最高級スマイルを見たかもしれない。てらてら輝く笑顔で少年に手招きをしている姿は吐き気がするほど別人だった。うえっ。





こんにちは再び出会う日

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