憧憬/降谷零


正しさだけじゃ救えない


「大丈夫か、吉川」
「え、」

会議室にいる全員がわたしを見ていた。慌てて、頭を動かす。どうやらわたしは話している途中で止まっていたらしい。らしいというのは、周りの目が続きを催促するようなものだったから。そうだ、続き、続きを話さないと……

「すこし休憩しようか」
「…っすみません」
「いいよ。大体の報告は済んでるし、焦らなくていい」

本部長に会ってくる、と山中さんが席を外し、他の府警の刑事たちも事情聴取や事件現場の現況確認をしに皆会議室から出て行ってしまった。ひとりになった会議室で、わたしはぼうっと座ったまま。何にも実感がない。犯人を捕まえたことも、あの子がもういないことも、何もかも。
皆が戻って来て、報告会の続きが始まる。もう止まってはいけない。これが休日の突然のことなんかじゃなくて、普段の任務の一つだったのだとしたらわたしはあの子を捨ててでも犯人を追わなくちゃならない。結果的に捨てたと同義になってしまったわけだけど、悔やんでいる間もあってはだめだ。わたしのすべきことをちゃんとやりきらないと……。

「吉川、今から少しいいか」
「はい」
「本部長がお呼びだ」
「……わたしを?」
「ああ。犯人逮捕の礼と、個人的なお礼をしたいそうだ」
「個人的?」
「行けばわかる」

*

呼び出された部屋にノックをして入ると、そこには大阪府警本部長と刑事部長が二人で待っていた。

「今回の迅速な犯人逮捕、誠に感謝する」
「恐れ多いお言葉です」
「それと、うちの愚息共が世話になったようやな」
「……息子さん?」
「君が背負うて避難させてくれたんがうちの娘で、火元に近づかんよう誘導してもろたんが平蔵のとこの倅でな」
「大方、遠山の娘を助けに行く言うて無闇矢鱈に近づこうとしたんやろうが、それをアンタが止めてくれたと」
「……二人は無事だとは聞きましたが、怪我などは?」
「和葉が捻挫しとったくらいで他は何てことあらへん。君の友人が身を挺して助けてくれたおかげや」
「彼女のことは残念やった。本人に直接礼を伝えられへんのが申し訳ない、代わりに――」
「失礼ですが、そのお礼は必要ありません。わたしは彼女の命と共にお二人のお子さんたちを残して職務をとりました。守ってなんかいません。お礼を言われるべきなのは死んだ彼女だけです」

あの時、あそこで立ち止まらなかったら。もっと先に進んだところに彼女たちがいれば結果は違ったかもしれない。幹線道路まで連れて行けばよかったんだ。だけど、わたしはそれをしないで男を追う方をとった。

「置いていったことを悔やむっちゅうことはまだ覚悟が足らんようやな、お嬢さん」
「……申し訳ありません」
「なに、責めようとしとるわけやない。そないなもんこれからや。覚悟せんといかん場面なんてこれからゴロゴロ出て来よる。それを逐一後悔するつもりなら、転属を勧めるがね」
「君の判断は間違ってなかった。それだけは彼女を亡くした暗い気持ちに紛れんようちゃんと伝えておくで。なあ、平蔵」
「ああ……。それと、アンタあの二人には会わへんと大滝に言ったらしいな」
「はい」
「いい判断や」
「つまりは本部長はわたしと息子さんが接触することを好ましく思っていないと」
「平次の奴に面と名前が割れればアンタの仕事の邪魔をしかねへん。それにな、」

「アンタが相手にするんは国を脅かそうとする者たちであって、危険度も増す。そこに無鉄砲なクソガキを近づけたいとは一人の親として思えへんのや」

*

確かになあ。なんて他人事のように思いながら車に揺られている。二人に会わないと言ったところで、搬送先で息を引き取ったあの子の側にずっと二人はいた。それじゃわたしはあの子に会えない。葬式も何も出れない身としては最期に会っておきたかった。それを汲んでくれたらしく本部長が人払いをしてくれた。大阪府警を出る前に渡されたのはわたしの鞄。友人を搬送する時に回収したんだそう。あの子は逃げるのに必死で、わたしの鞄は持ってくれてたのに自分の鞄をどこかに置いてきてしまっていたみたいだった。中身を確認すると、見覚えのある友人のスマホが一台入っていた。そういえばこれを使ってわたしに連絡が来たのか。なんて思っているうちに迎えの車が来て押し込まれるように乗りこんだ。

車の後部座席に座って、ロックのかかっていないスマホを眺めた。わたしの連絡先を消しておこう。彼女の身内に探られたら厄介だ。わたしのことを葬式にも出ず、会いにも来ないやつだと軽蔑するだろうし、そんな奴に会うために出かけたせいで死んでしまったのだから恨まない訳がない。

連絡先のデータを削除し、わたしとのメッセージのやりとりも消した。写真のフォルダも削除する。ごめんね。どのみち、今日の食事が終わったらずっと会えなくなること、連絡すらとれなくなる可能性があることも伝えるつもりだった。本当に会えなくなるなんて思ってもみなかったけど。

最近じゃ別のメッセージアプリばかりで滅多に使わないメールボックスを開く。そういえばあの子、大分長い間このスマホ使ってたなあ。古い順に並べ替えた受信ボックスにはわたしが送ったメールが何個も残っていた。受信ボックスと送信ボックスの中身も削除する。

「……あ、」

ふと開いてみた下書きフォルダにたくさん並んでいた未送信のメールたち。あて先は全部わたしのアドレスだった。

『最近連絡ないけど、ご飯食べてる?忙しいと紗希乃ってば食べないから心配だよ』
『みんなで集まって東京で飲もうって連絡きたけど、忙しくて行けないよね?』
『今日さ紗希乃の好きだった俳優さん大阪でみたの!』
『おーい、ちゃんと元気にしてるー?』

送信されていないそれらは、大学を卒業してからほとんど連絡を取れていなかった期間の日付で、いくつも下書きとして保存されてた。ほとんど送らずにこうやって溜めてたのか……。

病院にあっという間について、あの子が安置されている場所を案内される。空気を読んでなのか、案内してくれたナースは気付いたら居なくなっていた。薄暗いそこで、さっき読んでいたメールがまるであの子が話しているように頭の中で木霊する。

『ねえねえ、本読んで気付いちゃったんだけどさー、もしかして紗希乃すごい部署に配属されちゃったんじゃないの?なんちゃってー』
『じゃーん!紗希乃の誕プレ買っといた!あたしとお揃いだよ喜べ!』
『ライターって郵送できるよね?オイル抜いとけばできるよね?』
『やっぱ今度会う時にするわ。ねえ今度いつ会えるんだよー大阪来てよお』
『ちゃんと弱音はける人、いる?パンクしてない?』

うん。もしかしてじゃなくて、すごいとこに配属なっちゃったんだよ。想像してた警察の世界と全然違うの。ていうかわたしの誕生日まだまだ先だよ何言ってんのさ。ライター送れると思うよ。もしかして送って来なかったのってそれを気にしてたからなの?大阪にやっと来れたのにね。もう会えなくなるね。弱音はける人、いなくなっちゃったよ。パンクしそうになったらどうしよう。

真っ白い布。おかしいなあ。派手な色の服とか、派手な花柄とかそういうのばかり身に付けてたってのにね。『白は似合わないから!』って言ってたけど本当だよ。

布を外しても、ただ眠っているだけにしか見えなかった。看板の部品がぶつかった所が悪かったんだっけ。いっそのこともっと見れないような姿だったならあきらめもついたのに、とってもきれいなんだもん。

「わたしは日本を守る警察官になるよ」

何かを守ってみたい、そんなざっくりした曖昧な正義感だったけどちゃんとなってみせるから。ちゃんとなれるって信じてくれてありがとう。もっともっと後にお礼を言いたかったんだけどね。

視界が揺れて滲むけど、零さないよう瞬きをした。ごめんね、ありがとう。布をもう一度かけてから部屋を出る。さっきまで誰もいなかった廊下にいつの間にか降谷さんが立っていた。

「いいのか、もう」
「……はい。これで、お別れです」
「もう二度と会えなくなるんだぞ」
「知っています。元よりそのつもりでした。覚悟は足りてなかったようですが」

迎えに来てくれたらしい降谷さんについて歩く。外はすっかり日が落ちて暗くなっていた。病院の前でタクシーを待っている間に降谷さんへ今日のお礼を言っていなかったことに気付いた。

「あの、降谷さん。遅くなって申し訳ありません、今日は本当にありがとうございました」
「……"今後一切信じてくれなくてもいいから"って本気で思ったのか?」
「信じてくださいって言われてすぐ信じられますか?降谷さんとわたしが会ったの1回きりですよ」

特に降谷さんは警戒心強そうだし。ポロリと呟いたのがばれたらしい、降谷さんは一度びっくりした顔をしてから、小さく笑った。

「確かに。ふつうは信じろと言われてすぐ信じたりなんかできないさ。だけど吉川、覚えておくんだ。俺たちの仕事は互いを信じないと成り立たないものだってことをね」

信じるって単純なようでいて難しい。今日は犯人を捕まえてから、回収するまでが早かった。降谷さんがわたしを信じてくれて、わたしを信じてくれた降谷さんを皆が信じていたからできたことだ。これができていなかったら事態は変化していたかもしれない。

「だから、あんなこともう二度と言うんじゃないよ」

本部長や刑事部長…、他の府警の刑事や山中さん。今日は色んな人に正しい判断をしたと褒めてもらったけれど、全てを救えたわけじゃない。ていうか物事には優先順位がある上に全てを救うなんて無理に決まってた。守るとすれば何か捨てなければいけないものがでてくる。一度に全ては救えない。……全ては救えないけれど、捨てなきゃいけない範囲は最小限に抑えたい。それにはやっぱり仲間を信じることが重要になってくるんだろう。

「はい、言いません。もう二度と……」




正しさだけじゃ救えない

←backnext→





- ナノ -