憧憬/降谷零


冷たい夜に再び会えたら


継続している揺れに起こされた。体中が痛くて、もう一度気を失いたくなる。けれど、ズキズキと主張が強くなってくる痛みはそんなことさせてくれなかった。わたしが居る所はどのあたりなんだろう。正面には夜空が見える大きな穴が空いている。銃声はここよりも遠いどこかを狙ってるみたい。

「あー……」

最悪だ。情けない声は地鳴りのような音にかき消されていく。ノックリストを奪われて、捕獲したキュラソーを取り逃がした。失態どころの騒ぎじゃない。ホバリングしている音も聞こえてくる。奴ら、空からあのゴンドラを狙ったのか。キュラソーを取り返したら後は必要ないから落としたのかな。でも銃声は続いている。しかも何かを狙っているように銃声は動いていた。

「……止血されてる……?」

背中の痛みに耐えながら体を起こすと、ネクタイのような布が自分の左太腿を縛っているのに気付いた。血を多く吸ったらしく冷えた布は鉄くさく黒ずんでいる。すこし掠っただけで深い銃創じゃなかったはずだった。あれくらいなら大丈夫、痛いのは生きてる証拠。風見さんの姿は見えないけれど、無事でいてくれるはず。信じなくちゃ何も始まらないよ。それに降谷さんも観覧車に来ているはずなんだ。奴らの攻撃が止まっていないのは観覧車内にいる降谷さんに気付いて攻撃してるからなのかもしれない。だったら行かなきゃ。何をできるかなんてわかんないけど、現状一人じゃ立ち向かえない。あの人を守りに、助けに……!


*

転がっていた鉄骨を拾って、杖代わりにして先を急ぐ。無くても立てるけど、これがあれば左太腿に余計な負荷をかけずに済む。元々通路だったらしいそこは足場が崩れかけているところもあって、時折踏み外しそうになっては、踏みとどまる。どれくらい進んだか、急に足場が途切れてしまった。2メートル近く空いた空間を挟んだその先にはちゃんと足場が残っている。ここを飛び越えられたら、その先に降谷さんがいるかもしれない。助走をつけて受け身をとればこの足でもいける……!鉄骨を軸にして踏み切り宙に浮かんだら、スローモーションで遥か下の地面が目に入る。喉がひゅ、としまる。右側から受け身をとろうと思ってたのに、バランスが崩れた。転がる様に着地したら、ぶちぶちと嫌な感覚が左足を襲う。くそ、傷が広がったのかもしれない。傷を見たら、立てなくなるかもしれない。大丈夫だよ、わたし。一度蹲ってから、思い込むように目をきつく閉じて立ち上がろうとした時だった。

「……吉川!?」
「ふ、降谷さん……?!」

あれ。降谷さんがいる。探してたはずなのに、いざ目の前にいるのを見たらまるで夢を見ているような感覚に陥ってしまった。白いTシャツを着た降谷さんが驚いた顔で駆け付けてくる。力がすとんと抜けて、座り込む。「大丈夫か!」肩を掴んでくる降谷さんの顔を思わずまじまじと見つめた。夢、じゃないよね。めちゃくちゃ痛いもの。それでも未だ尚遠くで聞こえる銃声と目の前の降谷さんがなかなかリンクしなくて、降谷さんの顔をぺたぺた触る。

「い、生きてる……本物だ……!」
「こっちの台詞だバカ!」

息が詰まりそうになるほど降谷さんに抱きしめられた。ふるやさんいたいです。背中も痛いし肩も痛いし、色んなとこ痛いんですから抱きしめるなら優しくしてくださいよ。そう思うけど、降谷さんがここにいて、触れるってことを考えたらそんなことどうでもよくなるくらい嬉しくなった。

「すみません、キュラソーを取り逃がしました」
「いい。まだ奴らは近くにいる、それを仕留めればいいだけの話だ」
「仕留めるってどうやって……」
「それは俺たちだけでやるわけじゃないな。……これを背負え。俺がお前を背負う」
「ライフルバッグ…?!これってまさか、」
「説明は後だ、早く」

言われた通りにバッグを背負うと、しゃがんだ降谷さんの背に負ぶさった。「足を前に回せ、振り落とされるなよ」言われるとおりに足を降谷さんの腰に巻きつくように前に回す。降谷さんが走りながら、状況説明をし始めた。

「観覧車に仕掛けられた爆弾を回収しながらコナンくんと赤井と合流を目指している」
「やっぱり、赤井さんが来てるんですね」
「……あとで詳しく説明しろよ」
「え?何をです?」
「しらばっくれても知らない」
「はい?」
「少し先に爆薬のコードがある。それを引っ張れるか」
「了解しました。両手離します、落とさないでくださいね」
「ああ、落としてたまるか」

壁が崩れてぷらぷらと下がっているコードを両手で掴む。動くぞ、という降谷さんの声に合わせて思いっきり引っ張った。宙に浮くコードを手繰り寄せていると、降谷さんが何かに気付いた。

「コナンくんの声がする。あっちだ」
「はい!」

コードを抱きかかえ、振り落とされないように降谷さんに身体を預けた。そういえばあんなに続いていた銃声が止んでいる。いた、と降谷さんの小さな呟きすら耳に届くくらい周りは静かだった。

「そのライフルは飾りですか?!」
「安室さん!それに紗希乃さんも!」
「コナンくん無事だったんだね、よかった」
「それはこっちの台詞だよ!」
「反撃の方法はないのか?FBI!」
「あるにはあるが、暗視スコープがオシャカになってしまって使えるのは予備のスコープのみ。これじゃ闇夜のどでかい鉄のカラスは落とせんよ」

軍用ヘリのローター部分を5秒照らせれば暗視スコープがなくとも撃ち抜けるという。どうやって照らせば…と各々悩んでいると、止まっていた銃声が再び聞こえはじめる。

「この観覧車ごと破壊するつもりか?!」
「まずい……車軸にはまだ半分爆弾が残ってる……」

降谷さんの腰に回した足を緩めると、はっとしたような降谷さんがわたしをおろし、ライフルバッグに手をのばした。

「貸してくれ」
「何をするつもりです?」
「見えないのなら照らすしかない。なら、これを使うしか現状を打破する手はないだろ?」

「大体の形がわかればいいんだったよな!?」

バッグから顔をだした爆弾を降谷さんがカチャカチャいじりはじめる。液晶パネルに流れる〈SYSTEM−STANDBY〉の文字を確認すると、ライフルバッグのジッパーを急いで閉めた。

「見逃すなよ――!」

ヘリへ向けて降谷さんがライフルバッグを放り投げる。当然届くことはないが、宙で爆発したその光でヘリの全容が姿を現した。

「見えた!」

コナンくんが出したらしいサッカーボールが宙ではじけて大きな花火になる。それによってさっきよりも鮮明に照らされたヘリのローター部分を赤井さんのライフルが撃ち抜いた。

「やったか?!」

左右に大きく揺れる機体はぐらつきながらも最後の力を振り絞る様に攻撃を再開する。

「掴まるんだ!」
「ぐっ、」

降谷さんに急いで抱きかかえられ足の傷が痛んだ。耐えてくれ、と辛そうに呟く降谷さんの首に抱き着くようにして掴まると、降谷さんが走っていく。激しい地響きと、崩れ始める壁に降谷さんが大きく舌打ちをした。突然大きなガレキが目の前に落ちてきた。慌てて止まるけれど、今度は足場もろとも崩れていく。落ちて、地面にふれるその時、降谷さんがとっさに下に入り込んだ。苦しそうに顔を歪める降谷さん。このままじゃ、わたしは足手まといになるだけなのは明白だった。

「置いていってください」
「連れていく」
「ダメです。貴方はわたしを置いてかなくちゃいけません。それで、赤井さんとコナンくんに手を貸さなくちゃ」
「……っ、くそ!無事でいてくれ」
「当然です。降谷さんも……」

どうかご無事で。言い切る前に力強く抱きしめられてからすぐに離れる。地面にゆっくり降ろされて、座ったまま走り去っていく降谷さんの背中を見つめる。舞い上がる粉塵に邪魔されて見えなくなった途端に身体の力が抜けていく。痛い、怠い、眠い。寒くなってきた気がする。本格的にやばいのかもしれない。最初はかすり傷だったけれど、撃たれてから時間はまあまあ経過している。出血量もそこそこ。飛んだ後に着地を失敗した時に傷が広がっているはず。崩れるように倒れこむのを自分の手じゃ支えきれなくて、ざらついた地面が頬に食い込むのすら止められない。

「……お願い、みんな無事でいて」

うるさい音が遠巻きになっていくのを感じながら、わたしは崩れた壁をぼうっと眺めることしかできなかった。




冷たい夜に再び会えたら

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