馬鹿騒ぎ
72 喰べられたのは心か人か*
地下の事務所の客室にて、居心地が悪そうに肩を竦める男を前に紅茶を一口飲んだ。美味しくない。相手は自分よりいくらか年上の男で、面倒な案件を前にしているのだから当然なのかもしれない。ここ最近、暇を持て余したリアさんがガンドールにやって来ては事務仕事を捌いている私たちにお茶を入れてくれることがしばしばあった。その時の芳しい紅茶の匂いを思い返しては静かに息を吐く。


「我々はいつまで待てばいいんでしょうか。これでもひとつのファミリーを束ねている身でしてね。このようなことに割く時間が非常に勿体ないのですが」
「……」
「お前、頭足りてねえんじゃないか?オレよりも気の長い長いソイツが痺れをきらしてるっつーのによォ」


座っている男の後ろに立っていたベル兄が、見せつけるようにソファを蹴りつけた。蹴られたことで怯え、ますます縮こまった男はウロウロと視線を彷徨わせる。別に殺すと言っているわけではない。男が隠し持っていた銃は流石に回収したが、手足を縛るようなこともしていない。さっさと吐いてしまえばいいんだ。

この男はうちのシマでここ数日の間徘徊していた。それも、ガンドールとマルティージョの境目スレスレを行き来するものだから、マルティージョからも怪しまれ、余計な仕事を増やしてくれた。住人の不安を煽るには十分すぎるほど恰好はマフィアのそれであったし、見ない顔だったことも相まって早々に捕まえねばならない状況だった。


「いいですか、大したことではないのなら我々としても事を大きくしたくはありません。つまり、見逃すと言っているのです。こうして他所のファミリーのアジトでボス二人に挟まれて怯えている貴方には願ってもみない話だと思いませんか」
「っ……」
「もう一度問います。あなたは何処の誰で、うちのシマで何をしようとしていたのですか?」
「……」


馬鹿な男だ。瞳の奥は恐怖に侵されているのに、言葉すら発しようとしない。何か吐いてしまえば楽だったのに。時間切れだ。


「ベル兄」
「おう。余計な時間くわせやがってこのオヤジが」


縫い付けられたようにソファから動かなかった男が、逃げようと立ち上がる。しかし、その判断は既に遅く、男が立ち上がった時にはもうベル兄はめいっぱい腕を振りかぶっていた。振りかぶった腕は男の頭に容赦なくぶち込まれる。上からの衝撃で、まともに立っていられなくなった男は、ソファになだれ込むように倒れた。口を切ってしまったらしく口の端から血が伝っている。口を右の掌で覆って血を拭っている男の右手首に、刺青のような模様が見えた。


「…残念ですね。口を割らないその忠誠心、他のファミリーでなかったら買っていたのに。おっと、そのソファを汚さないでくれますか。何せ、大事な友人のお気に入りでしてね。こんなことになるなら最初から拷問部屋に連れていけばよかったです」
「う、あ…!」
「何ですか?今さら声なんか出して…ああ、そうだ嬉しいニュースがありますよ。うちの拷問係…チックさんという方なのですがね、彼がちょうど道具に差す油を買いに外に出ておりまして。帰ってくるのは何時になるやら…。でもよかったですね、ベルガ兄さんの腕力以外にもよく切れる鋏の味も堪能できますよ」


鋏に反応したのか、わなわなと体を震わせてまた逃げ出そうともがき始めた。だから、そのソファを汚すなと忠告したでしょうに。ベル兄が尚ももがく男の胸倉を掴んで壁の方へと投げ捨てる。倒れこんだ男に馬乗りになって、顔面に拳を数発うち込んだ。


「悪ィなラック、嬢ちゃんに謝っといてくれ。このクソの血がついちまったみてーだ」
「後でマリアにでも血抜きさせるよ。それよりベル兄、掃除が大変だから拷問部屋に移そう。きっともうすぐチックさんが帰ってくるだろうし、キー兄もDD社から戻ってくる頃だ」

殴られて、飛び散った血が乾く前に掃除しなければ。ここは仮にも客間で、血なまぐさくないこともここで執り行うのだから。ベル兄が男の襟を掴んでずるずると引きずる。部屋の掃除を部下たちにさせようと、ベル兄よりも先に客間の扉を開けて出た。


「あれ、ラックさん。今日はそちらにいたんですね」
「リアさん?貴女、シカゴに帰っていたのでは…」
「昨日こちらに戻りました。明日からまた仕事があるので」
「それはそれは、本当に短い帰省でしたね」

リアさんがいたことで、反射的に客間の扉を閉めてしまっていた。扉越しに、「なに閉めてんだよラック!」とくぐもった声で訴えられてから気づいたそれに反応したのは彼女の方だった。

「なんだ、ベルガさんもいるんじゃないですか。ファミリーの皆さんが揃っていないって言うからこうして待っていたのに。誰かお客様ですか?」
「そうですねえ…呼んで損したところです」

ベル兄がイライラし始める前に開けてしまおう。彼女殺し屋だから、特に気にすることではないんだ。明日から仕事ということはもっともっと血なまぐさい所へと向かうのだろう。正直、行ってほしいとは思わないのだが私がそう望んだところで彼女が受け入れてくれる可能性は少ないんだ。扉を開いて、現れたベル兄を見て、「あらまあ…お取込み中だったんですね」とぽつり呟いた彼女が、裏社会の人間として頼もしいようで、逆に恐ろしくも見えて、心の奥が少しざわついた。

「嬢ちゃん来てたのか。悪ィな、アンタのお気に入りのソファに血が飛んじまったよ」
「ソファよりもベルガさんの袖の方が血抜き大変そうですよ?」
「ハハッ。ちげーねえ。嫁にこってり絞られとくよ」

客間から男を引きずりながら出てきたベル兄を、普段と一切変わらない眼差しで見ているリアさんの目が、一瞬曇った。それは、顔をぼこぼこに殴られて血を流している男を目で捉えた瞬間だった。

「リアさん?」

目を細めて、何かを思い出そうとしている素振りの彼女は、私が名前を呼んでも何の反応も示さなかった。ベル兄は何も気づかずに、そのまま拷問部屋へと男を引きずっていく。殴られても未だ意識があるらしい男は肩で息をしていて、ベル兄に襟首を引っ張られているせいで、喉元はかなり閉まっていた。そんな男の、腫れ上がった瞼がぴくり、何かに気付いたように持ち上がった。

「あ、ああ!ぐあっ!ま゛ァッ!」

男は急に堰が切れたように声を荒げ、投げ出されていた両腕を必死に伸ばし始めた。

「あァ?どうしたイキナリ。女だからって嬢ちゃん襲って逃げようとでも思ったか?馬鹿言うんじゃねーぞ、この嬢ちゃんはなァ…」
「ベル兄。ソイツ、何か喋ってる」

これまで、声を発する程度だった男が何か単語を話している。喉元が締め付けられているせいで、何を言っているのか聞き取れない。ベル兄が男の襟首から手を離して、代わりに右腕を掴んで持ち上げた。

「っほ。げほ、ごほ…!」

急に楽になった喉で、息を吸い込みすぎたのか男は咽ている。その様子を冷ややかな目でリアさんが見つめていた。

「ま、ます、マスカ、」
「…そうね、周りはわたしを魔女(マスカ)って呼ぶけど」
「返して…ほしいんだ!」
「返すって、何を」
「骨でもいい、髪の毛だって、服の布きれだっていいんだ!」
「……」
「どこかに埋めたなら教えてくれ!どこかに流したとしても教えてくれ!仮に、ぐちゃぐちゃに、切り刻んだり、磨り潰したのだとしても!あいつの死が確認できなきゃ、ボスは殺されちまうんだよ!!」

話せるんじゃないか。そう思ってしまうくらいには大きな声で男ははっきりと話した。話の内容からして、リアさんの仕事に関する逆恨みだろう。それで、彼女を探してうちのシマを徘徊していたってことか。でも、それならばマルティージョにある彼女やフィーロのアパートに近づいている一派はこの男とは違うのだろうか。

「おいおい…殺し屋が殺した相手全員を覚えてると思うのか?オレだったら覚えないぜ。だいたい、いつの話だよそれ」
「49年前だ…!」
「49ぅ?そんなもん覚えてるわきゃねーだろうが」
「魔女は、死なないんだろう!おとぎ話の魔女みたいに何百年と生きているからそんな風に呼ばれているんだろう?!だったら、お前は49年前の出来事を覚えているはずだ!」
「リアさん、覚えてますか?」
「その人の腕にある刺青が本物なら、思い当たることがあります。けど、」

「なあ、返してくれよ…!お前がアントーニオの死を確認できるものを持っていれば、すべてが上手くいくんだ…」
「49年も前に死んでいるかもしれない人物の体の一部を手に入れてどうするっていうの」
「うちのファミリーは血が大事なんだ!跡継ぎには必ずボスの血の分けた子でないとならない…でもその息子は!49年前の抗争の時にお前が連れ去った!だからずっと…ずっとお前を探していたんだ…息子の死を信じられないボスと血は関係なく後を継ごうとする一派で抗争が始まろうとしている!オレは、ボスにはやく諦めさせて、殺される前に退かせたいんだ!」

先ほどまで、絶望したかのように濁っていた瞳は、わずかな希望の光によって爛々と輝いていた。それに相反するように彼女は瞳も、纏う空気さえも更に更に冷ややかになっていった。


「それは無理ですね」
「なっ…!覚えていないからか?何でもいいんだ、死体を埋めたところとか何か断片的なものでも…!」
「まず、わたしは彼を埋めてはいないし流してもいない。切り刻んでも磨り潰してもいない」
「なら、どうして?何のために連れ去った?」
「結果的に彼は"この世にはもういない"。証拠を見せることはできません」
「お前が殺したんだろう!それなら、お前をボスの元へ連れていく!ボスの前でアントーニオを殺したことを自供しろ!」
「いいですよ」
「…よくそんな面倒なことできんな嬢ちゃん」
「どのみち、その方のファミリーに明日からお邪魔する予定だったんです」
「…どういう、ことだ…?」
「数日前ですかね、依頼の手紙がありました。あなた方が内輪もめしている間に隣りのファミリーは懸けに出たようですよ。明日、潰しにいく予定です」

潰しに行く、そのひと言でスイッチが入ったように男が暴れだした。ベル兄は無理やり男の両手首を右手でまとめ上げ、左腕で顔を数発殴った。息も絶え絶えになった男を持っているのが疲れたのか、ぱっと手を離し、床に落ちた男をベル兄が踏みつけた。苦しんでいる男のそばに、リアさんが近寄り、しゃがんで男の顔を覗き込んだ。不死者といえど、危ないことはしてほしくない。肝が冷えるのは人間だって不死者だって変わらないんだ。ずいっと男を覗き込んでいる彼女を制して、少しだけ離れさせた。

「あなた方もかつてはあくどい組織と仲良さげにしていたじゃありませんか。どうやら、捨てられてしまったようですけど、その時のツケが回ってきたのではないでしょうかね」
「……」

ベル兄に踏みつけられても、反応が鈍い。どうやら、意識を飛ばしてしまったようだ。さっきの彼女の言葉は本人に届いているのかどうか。

「すみません、ガンドールの手を煩わせてしまって。」
「気にするこたぁねーよ。クレアの逆恨みだってうちにくることがあるもんだ。そんなモン気にしねーよ」
「この男、どうしますか」
「ラックさんたちに任せます」
「チックが帰ってきたら鋏の試し切りさせたらどうだ?」
「ほどほどにしてくれるならいいかな」

リアさんのさっきまでの冷ややかな目はいくらか温かみを増していた。困ったようにくすりと笑い、立ち上がる。

「なあ、本当に覚えてんのか49年前に殺したヤツのこと」
「覚えてますよー」
「200年もあったら記憶なんて曖昧になりそうなものですがね」
「忘れられませんよ。"ここ"に居ますから」

"ここ"と言って、リアさんは自分のこめかみのところをトントンと指でつついた。


「諸事情で、喰べちゃったんですよ」


だから、証拠なんて何も出せやしないんです。そう言ってまた、困ったように笑うのだった。











_72/83
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