馬鹿騒ぎ
64 暗闇水路に沈黙ふたつ
リアは時々、懐かしむように僕の頭を撫でることがある。エニスお姉ちゃんの前でわざと子供らしく振舞っている時だって、マイザーの前で素に戻っている時だって。いつだって子供扱いをするんだ。ただそれが、昔の僕を懐かしんでいるのか、はたまた別の誰かを思い出しているのか僕は知らない。


「結局寝てないの」


重たい角張ったケースをガラガラ引きずりながら先を行くリアに声を掛けた。困ったように眉をさげて振り向いた後、「さあ」と軽く流されてしまう。また子ども扱いされた。そう思ってしまう分には自分も子供のままなのかもしれない。

「自分の家なら寝れるでしょ。着いたらすぐに寝なよ」

「うん。きっと散らかってるだろうから、片付け一緒にお願いね」

「はいはい」


シカゴに着いて、タクシーを拾った。遠ざかってゆくシカゴの駅を見て数か月、いや半年前のあの列車の出来事を思い出した。フライングプッシーフット号。過度な装飾で煌びやかに走っていたあの列車。嫌な思い出しかない。もっと早くNYに渡っていれば、あの時あんな交渉を持ちかけなければ。そんな事を考えたって遅いのだけど、ついつい考えてしまう。タクシーは大通りをしばらく走ったかと思うと、細い路地裏へと入って行った。


「……古本屋?」

とある古本屋の前で降りると、狭い古ぼけたドアを開けてリアが入って行く。疑問に思ったけど、黙ってついていくことにした。こじんまりとした店内には、紙とインクの匂いが立ち込めていた。


「おかえり、久しぶりだねえ」

辿り着いた店の右隅には、しわくちゃに顔を綻ばせた女性がカウンターで編み物をしていた。

「お久しぶりです。゛下゛使ってもよろしいですか」

「もちろんだよ。ああ、それとねぇ息子がねぇおつかい片付けておいたよ」

「いつもいつもありがとう、ラリサさん」

「んん?今日は連れがいるのかい?」

「こ、こんにちは…!」


分厚いレンズ越しに覗いてくる瞳は興味津々といった様子で、僕にずいっと近寄るとにっこり笑ってキャンディを差し出してきた。


「こんにちは。この子はリアの友人かい?」

「そう、旧くからのね」

「ほー」

「チェスワフ・メイエルです…」

「なるほどねぇ、大人だ」

「は、?」

「目が、子供じゃない。キャンディなんて子供扱いしてすまないね」

「子供舌みたいだから大丈夫ですよ」


この人は知っている。僕が不死者だと言うことを。直感で気づいたそれを、リアに確かめようとするもニコニコ笑うだけで何も伝わらなかった。


「最近、郵便屋が遊んでるから気をつけなさいよ」

「ええ。こっちにお仕事の手紙来るくらいだもの、相当はしゃぎまわってるんだろうなと思ってました」

「帰る時は声を掛けな、チェスワフもおいでなさいね」



何も言えずにいる僕の頭を左手で一撫でして、しわくちゃのお婆さんはにっこりと深く笑った。



*

「リア、リアってば!」

お婆さんがいたカウンターの後ろには質素な扉があった。その扉を開いた先にあったのは、小さなキッチンと何の変哲もないリビング。呼んでも返事はなくて、部屋の片隅にあるチェストの前へとリアは向かっていく。僕らはリアの家に行くんじゃなかったのか、”下”って何だ、あのお婆さんは不死者のことを「チェス」


「これから先は良いって言うまで話しちゃダメよ」


そう言って人差し指を口に当てると、チェストを手前に移動し始めた。ぎこちない音を立てて現れたのは、行き先の真っ暗な冷たい階段だった。にっこり笑って、階段を指差すとリアは荷物を持って階段を降りはじめた。僕は慌ててその後をついていく。階段が終わると、広い空間に辿り着いた。どうやらそこは地下の用水路のようだった。申し訳程度の歩くスペースだけ残し、その他は勢いの良い水が流れていた。

階段を出てすぐの所にべこべこに凹んだクッキーの缶がぽつりと置いてある。リアはその中から小さな燭台と蝋燭を取り出し、マッチで火を灯して僕に手渡した。カツカツ、と響くリアのハイヒールの靴音と、ガラガラ鳴ってる荷物の音、そして水の音。申し訳程度に照らされる足元と、暗闇の中をずんずん進んでいくリアに頭が錯覚でも起こしているんじゃないかとクラクラしてくる。


「(話しちゃダメどころか水の音で話なんか無理そうだ)」


水量は多くないものの勢いが強い。流れに逆らう向きで進んでいく僕らは一体どのくらい歩いただろうか。突然、くるりとリアが振り向いて先ほどと同じように指でつんつん、と方向を指し示した。そこには、また階段があった。その階段は短くて、数段先には頑丈そうな鉄の扉が見える。上着のポケットをごそごそ漁ったリアが手にしていたのは、いくつもの鍵が通してあるチェーンだった。

鍵で開けられた頑丈な扉はギギギ…と鈍い音を立てて開いた。扉を開けて、その中に入るとリアは内側から鍵をかける。


「もう話しても大丈夫だよ。この先にまた階段があって、そこを上るとわたしの家に通じてる扉があるから、そこから帰りましょ」

「最初に説明が欲しかったんだけど、」

「ごめんごめん。後で通り方ちゃんと教えてあげるから、ね?」


リアの言った通り、階段の先には扉があって、その先にはふつうのアパートの一室が存在していた。





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