晴れ間に/式の前日

あれから



『あれから』

もうあれからどれくらいになるのだろうか。私は数年前、男に拾われた。私が鳴くのをすべてメシの催促だと思っている阿呆な男。毎日日が暮れてから帰って来ては、決まった物を飲んでは飲み足りなさそうに床へ転がる。飲み足りないなら好きなだけ飲めばいいものを。そう思ってからもかなり経つ。そんな男との暮らしは平坦だ。慌ただしく出て行く男を見送れば後は私の時間。いつものつめたいちゃぶ台の上に寝転ぶのが日課だ。それと、隣りの部屋の障子の見回り。触って確かめれば時々穴が空いてしまうけども、私の知ったことではない。穴の空いたそれを見た男は頭を抱えるように唸っていたが、あまり怒った様子はない。怒られても私は元に戻す術は持ち合わせていないのだからどうしようもないが。


「わあ。この子が噂の猫ちゃんですね!」


知らない人間だった。この家に来るのは、男の姉とそれの連れ。それからその子供。子供はいつも私の尾を握りしめる。嫌だと顔を顰めてもお構いなしに近づいてくるのだ。だから子供の襲来は気を付けなければならない。そんな数少ない来訪者がある時から増えた。まるで子供のように笑って、私の傍へやってくる女。阿呆な女かと思えば、「ちゃぶ台の上は寝る所じゃないんだよ」と見かける度に床へ私を引きずり下ろす。なんて女だ。私がどこでなにをしようが人間には関係ないだろうに。まあいい。家主の男が出てからまた登るだけだ。そう思ってから数日後、またあの女はやって来て私にある物を差し出した。

「猫ベッド買ってきたの。ちゃぶ台じゃなくて、こっちに寝てみない〜?」

女はふわふわした布団を目の前に置き、ぽふぽふと叩いている。自慢げにも見えるその表情に押し負けて、私は重い腰を上げた。……隣りの箱の中に。

「なんでベッドじゃなくてダンボールに入るの?!」
「柄が気に入らなかったんじゃね」
「え〜。猫って柄とか気にします?素材……素材かなあ」
「冷たいのが好きなんだろ」
「ダンボールだって冷たくないですよ〜。そっちじゃなくて、こっちだよこっち」

首を背けてみれば、悲しそうな声が聞こえる。「しょうがないですね、今度使ってるところ見たら写真撮って送ってください」男も阿呆だが、やっぱりこの女も阿呆だ。もう帰ろうとしていた女の足元をするりと一周してから真っ赤なそれに前足を乗せてみた。

「わ!今乗るの?!」

やっぱりやめておこう。わかりやすく目を輝かせた阿呆な女の前で欠伸をして、足を降ろす。残念がるかと思ったが、女は男と笑っているだけだった。

そういえば女が来るようになってから、この男は変わったもしれない。帰ってきてから、いつものあれを飲む前に、何かをちゃんと食べている。時々、鳴いてみればやっぱり阿呆な男は催促していると思ってちょっとだけ私に分けてくれる。まずくはない。休みの日は布団から全然出て来なかったのに、今じゃちゃんと起きてくる。それと――、


「これからよろしくね。お世話になります」
「お世話すんのこっちだけどな」
「いーんです!これから家族になるんだから、」

お互い様ね。私を抱き上げて女はそう言った。あまりにも顔が近いから、鼻を舐めてやった。くすぐったそうに笑う女と、おかしそうに笑う阿呆な男。そうだ、男はよく笑うようになった。元から笑わないやつでもなかったが、今ではもっとよく笑う。そして、いつの日か見たうれしそうな顔をよく目にするようになった。私は何も変わらず今まで通りに私のしたいように暮らしていくだけ。お世話になる気もする気も何も無いが、この阿呆な人間たちも変わらずそこにいればいいとだけ思う。






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