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「ごめんなさい」

顔をあわせてすぐ、そんなことを言われ思わず瞬きをした。
一拍遅れて、それが昨日口論したことだと思い出す。
申し訳なさそうに顔をゆがめるその姿に、つい笑ってしまった。
あんなに激怒していたというのに、一晩でこうもしおらしくなるとは。

「気にしてないよ」

一歩歩み寄り、俯き加減のその顔を上げてやると、彼女はほっと息をついた。
そして、いつも通りの智に満ちた輝きが目に戻る。

「どうしてさっき笑ったの?」
「ロウェが意外に可愛いから」

にやりと笑って言えば、その年に似合わず、ロウェナはかっと頬を赤く染め上げた。
年上とは思えない反応だ。
それがまたおかしくて、くっくと笑う。

「君がそんな反応すると、面白いなぁ。ヘルガに言っても、冗談だと思われてね」

そう呟くと、頬の色をいくらか平静に戻し始めたロウェナは、鋭くこちらを睨んだ。

「冗談でしょ?」
「どうだろう? 本気だったら?」

混ぜ返すように、揶揄を飛ばす。
ロウェナは、ぐっと拳を握り締め厳しい声になった。

「どっちにしても、とりあえず一発お見舞いするわ」

― 医務室 ―


アラシは教授と一緒に医務室のベッドへリーマスを横たえた。
相変わらず顔色は悪く、ぐったりと体に力が無い。
マダム・ポンフリーに何が起こったのか教授が説明しているので、その間アラシは医務室を見回した。
特に何か変わったものがあるわけではない。
棚に整然と薬瓶が置かれ、ベッドはいつも清潔だ。
ベッドに周りにはカーテンレールがあり、周りから隠せるようになっている。
それから洗面台や、マダムの使う机などが置かれていた。
定期的に睡眠薬をもらいに通い続けているが、これらが変わることはきっとずっとないだろうと思う。

「カンザキ、ここに座ってください」

ポンフリーの声でアラシは視線を彼女へ移した。
どうやら教授は授業へ戻ったらしく、姿が見えない。
アラシは言われたとおり、背もたれの無い椅子に腰掛けながら、ポンフリーに言った。

「俺より先に、リーマスを視て下さい。酷い顔色だから」
「ええ、もちろんです」

ポンフリーは力強く頷くと、リーマスの容態を確かめることなく、迷いなしに薬棚へ足を向けた。
その手は、どこに目的のものがあるのかしっかりとわかっているのだろう、棚の置くから五センチほどの瓶を取り出す。
その一連の動作を見て、アラシは彼女がリーマスの事情を知っていることに気付いた。
普通、原因不明にこんな状態になっていれば、少なからず焦るはずだ。
それが無いと言うことは、想定内だったのかもしれない。
ぼんやりとポンフリーを観察しているうちに、彼女は薬をリーマスに飲ませ(ドロリとした赤紫の液体だった)、アラシの前へ戻ってきた。

「さあ、どこに怪我をしたのですか?」

じろりと目を据えられて、アラシはのけぞるように少し背をそらした。
怪我を隠していたことまで、教授がご丁寧に説明したらしい。
ポンフリーの目は、全部見せなさいと無言の圧力がかかっている。
ここで逆らったら、何かとてつもなく恐いことが起きそうだ。
アラシは慌てて袖を巻くり上げ、両腕を彼女に差し出した。

「リーマスを受け止めた時に衝撃を。そのあと、人を一人持ち上げました」

正直に白状すると、ポンフリーが呆れたようにため息をつく。

「……無理をしますね」
「命が関わってれば、誰でも同じことをしますよ」

笑顔で誤魔化すと、ポンフリーはさらに深くため息をついて、腕の具合を調べ始めた。
ぐ、と押されて走る痛みに思わず顔をしかめる。
しかしポンフリーはそんなことなどお構い無しに、アラシの表情を観察しながら、いくつかの場所を押した。
それが終わると、彼女はふ、と息を吐いてアラシの手首の辺りを持つ。
瞬間、右手首に痛みが走った。

「いっ……!」

あまりの激痛に声を上げると、ポンフリーは納得したように頷いて、手を離した。
納得していないで、さっさと治してくれないだろうかと思いながら、診断の言葉を待つ。

「おおむね打撲ですね。右手首は骨が多少ずれていますし、左腕も多少骨にヒビがあるでしょうが、どちらもすぐに治りますよ」

ポンフリーは朗らかに言った。
すぐに治ると聞いて、安堵の息をつく。
ポンフリーが立ち上がり、薬棚からいくつかの薬を持ってくる。
それをテーブルに並べると、彼女はアラシに向き直った。

「治療を始めます」

薬を塗られて間もなく、痛みが次々と消えていく奇妙な感覚に陥った。
しかし左腕の痛みはひいてきたものの、手首の痛みはほとんど変化が無い。
その状態で十五分も経った頃、ポンフリーは別の薬を取り出した。

「骨のズレを治すには、少々荒療治が必要です。マグル方式ですけど、これが一番ですよ」
「……痛かったりしますか、もしかして」
「麻酔用の薬を塗りますから、それは無いでしょう。ズレが戻っても、しばらくはあまり動かさないように。またズレてしまいますからね」
「わかりました」

ポンフリーは安心させるようににこりと笑ってくれる。
アラシもへらりと笑い返した。
いざ麻酔薬を塗りこみ、それが神経に浸透するのを待ってから、ポンフリーは真剣な顔つきでアラシの手首を握った。
しかし、彼女が行動を始める前に、がらりと、医務室のドアが開く。

「二人とも、大丈夫かい!?」
「静かにしなさい。治療中です」

にべもなく、ジェームズの叫びはポンフリーに却下される。
アラシは入り口の方を見て、思わず顔を緩ませた。
大きくドアを開けたジェームズの後ろには、シリウスとピーターがいる。
そしてその後ろ――廊下の端に、そっぽを向いたリリーがちらちらとこちらを見ていた。

「まだ終わって――」
「終わっていません。お見舞いはあとですよ。いるのは構いませんが、静かにしてください」

ジェームズが言いかけたところを、ポンフリーが素早くさえぎって、手首を握る力を強めた。
麻酔が切れ掛かっているのか、鈍い痛みが走り歯を食いしばる。

「少しの間の我慢です。いきますよ」

一体何をするのかと、かすむ目で手元を見れば、ポンフリーはいきなり手首をもみほぐすようにぐりぐりと動かした。
痛みがそれに同調するように、ズキズキと脈打つ。
どうやらジェームズ達の乱入で、麻酔は本当に時間切れだったらしい。

「つっ……」

思わず声を上げるが、ポンフリーの力は弱まらなかった。
しかし次の瞬間、何かがはまるような感覚がして、その手が止まる。
まだ痛みは続いていたが、ぐりぐりが終わったことにアラシはほっと息をついた。

「骨の位置は戻りました。痛み止めを塗って、固定しておきましょう。飲み薬も出しましょうか?」

ポンフリーは瓶のコルク栓を抜きながら問いかけてくる。
一瞬迷ったが、首を横に振った。

「いえ。えっと……ほら、他の薬も飲んでいるので。なんか薬漬けみたいじゃないですか」

もちろん睡眠薬のことだ。
ポンフリーは一瞬驚いたようにアラシを見たが、ふっと目を細めて頷いた。

「そうでしたね。そういう生徒は私も好きです。そろそろ無くなっているのでは?」
「今日の分はあります」

頷きながら答えると、彼女はそれではと立ち上がった。

「薬は自分で塗ってください。新しい睡眠薬を出しましょう」
「ありがとうございます」

頭を軽く下げ、アラシは薬瓶を持つ。
しかしそれを、後ろからにゅっと伸びてきた手に取り上げられてしまった。
驚いて振り返ると、ジェームズが複雑そうな顔でそこに立っている。
椅子に座っているため、いつもよりずっと顔を上に向けながら、アラシはぽかんと彼を見た。
ため息をついたジェームズは、先ほどまでマダムが座っていた椅子に腰掛ける。
さらにぞろぞろと周りに友人たちが集まって、ついに囲まれてしまい、アラシは困惑した。

「えっと……」
「薬は僕が塗るから」

ジェームズは有無を言わさぬ口調で唸ると、ぐいとアラシの手を引っ張り手首に塗り始めた。
全くその意図がわからないが、なんとなく嬉しいので黙って従うことにする。

「アラシ、睡眠薬ってどういうこと?」

厳しい声で言ったのは、ピーターだった。
いつもは穏やかなその眉が、少しだけ釣りあがっている。
そういえば何も言っていなかったことを思い出し、へらりと笑った。

「ホームシックで眠れないんだ」

自分でも驚くほどすんなり出てきた言い訳。
ピーターの隣で、シリウスが「ホームシック?」と胡散臭そうに声を出した。
アラシは考えるより先に、口を動かしていた。

「文化の違いがありすぎて、ちょっとね。料理はこてこてだし、靴はずっと脱がないし、言葉も違うだろう?」
「カンザキ君がそんなことを思ってたなんて意外だわ。いつも楽しそうだったし」

リリーが少し輪から離れたところで呟いた。
思わず、笑い声を漏らす。
確かに、あまりそういう感慨に浸ったことが無いのだから、彼女の言っていることは正しいのだ。

「まあ、ね。休暇中にも色々あったから。やっぱり帰ればよかったかな」

適当にでまかせを言っていると、ずっと黙っていたジェームズがぼそりと言った。

「来年は帰ればいい」

どうやら薬を塗り終わったらしく、アラシの手を離す。
腕は重力にしたがって、だらりと下に垂れた。
そこでジェームズとはここ数日ほとんど話していなかったことに今更気付き、彼の無言は気まずいからなのかもしれないと思い当たる。
コルク栓を閉めるジェームズを見て、アラシはふ、と肩の力を抜いた。

「ありがとう、ジェームズ」

ジェームズは視線を不自然にそらし、「どうしたしまして」と小さく答えた。

「カンザキ、手を貸しなさい」

ポンフリーがずい、と輪の中に入ってくる。
その手にはサポーターのようなものが握られていた。
手首の辺りがすっぽりと隠れる形で、指の無い長い手袋のようだった。

「さあ、これをして。そしたら手首がよく見えるようにこちらへ」

アラシは言われたとおりにサポーターをし、手首をポンフリーへ差し出した。

「他の人は下がりなさい。間違ってあなた方に魔法がかかったら、大変ですからね」

ポンフリーがそう言ったので、皆は三歩ほど後ろへ下がる。
アラシは何をされるのかと、緊張しながら彼女の行動を待った。
自分の杖を取り出したポンフリーは、アラシの手首を杖先で軽くつつきながら呪文をとなえた。
そのぼそぼそとした内容から、サポーターを固くし手首を固定させるものだとすぐに合点がつく。
マグルの世界で言う、ギブスのようなものだろう。
一瞬青白い光が走り、すぐに魔法は終わった。

「薬を取りにくる日に、状態を見ましょう。それで良ければ、これをはずします」
「はい」

彼女の言う薬が睡眠薬だということに気付いたアラシは、すぐさまこくりと頷いた。
ポンフリーはちらりと時計を見て、声を張り上げた。

「次の授業が始まっています。教室に行きなさい」
「げっ」

シリウスが顔をしかめる。
そういえばまだ授業があったのだとアラシは思い出し、慌てて立ち上がった。

「今行けば、あと三十分は受けられるはずです。ルーピンはしばらく寝かせますから」

それぞれ頷いて、早足で医務室を出ようと踵を返す。

「ああ、カンザキ。忘れていますよ」

ポンフリーの声でアラシだけが振り返った。
彼女の手には、見慣れた瓶詰めの睡眠薬がある。
慌ててそれを受け取り、軽く会釈をして友人たちを追った。
五人揃って廊下を小走りに向かうというのは、どこか異様な光景だ。
それも授業中のため(特にリリーの目が厳しいため)、あまり口を開かないで黙々と変身術の教室へ向かう。
しかしそれでもアラシは嬉しかった。
ジェームズとシリウスは執拗にアラシを避けるようになっていたので、彼らとこうして廊下を歩くのは久しぶりだ。
静かに廊下を歩くというあまり体験できないことをしていると、ふいにジェームズが叫んだ。

「アラシ!」

いきなり名前を呼ばれた驚きのあまり、危うく躓きそうになりなる。
廊下に飾られた絵画たちもこれには驚いたらしく、ところどころから「静かにしないか!」と罵声がとんだ。
そんな中、アラシはかろうじて返事を返した。

「な、なに?」
「悪かった!」

数歩前を行くジェームズはずっと前を向いたまま、振り向かない。しかし声は、確かに彼のものだった。

「……へ?」

あまりの唐突さに驚きを重ねていると、ジェームズはさらに続ける。

「スネイプは陰険だし嫌味だし、基本的に気に入らない! っていうか、ホグワーツからいなくなれ、グリフィンドールの敵!」

リリーが「ポッターこそ勝手な人だわ!」と悲鳴を上げた。
アラシも思わず、「さっき謝ったよね?」とツッコミを入れてしまう。
しかし、どうやらジェームズは聞こえていないらしい。とても都合のいい耳をしているようだ。

「でも、アラシは別だ」

ぼそりとジェームズの隣を歩いていたシリウスが言った。

「さっき助けてくれたこと、本当に感謝してる」

ジェームズと比べればとても小さな声で、シリウスは続ける。
照れくさいのか、彼もまた前を向いたまま。

「僕らずっと、君の事を責めてたのに」

すぐ隣にいたピーターが、こちらを申し訳なさそうに見た。

「まるで、裏切り者みたいに無視したりしたのに」

そこでリリーがまた割って入る。

「またそんなことをしたの!?」

どうやら彼らは、前科者らしい。
三人は、リリーの言葉をさらりと無視した。
この妙な雰囲気の中、どう返したらいいものか考えをめぐらせる。
しかし考えがまとまらないうちに、ジェームズがいきなり足を止めた。

「改めてわかったんだ」

階段を登りきってすぐ、彼が立ち止まったので、一番後ろにいたリリーは階段を登りきらずに、途中で足を止めなくてはならない。
アラシがちらりと後ろを振り返ると、リリーが気に入らないとばかりに顔をゆがめるのを目撃することになった。
誰もが足を止めたジェームズを不思議に見ていると、彼はくるりと勢い良く振り返る。
そして、大袈裟に両手を広げ、輝かんばかりの笑顔で言った。

「君は最高にいい奴だ!」

唐突なそれに、返す言葉が見つからない。
どうやら他の四人も同じらしく、ぽかんとジェームズを見ていた。
しかし次の瞬間、この沈黙を思わぬ“者”が破ることになる。
彼はふわふわと壁を抜けて、アラシたちの前へ現れた。
こちらに気付くと、深いしわをさらに深めて笑みを浮かべる。
――そう、アラシに向かって。

「授業中だというのに、あなたという方は。昔から変わらないですね、ミスター?」

とんでもないタイミングで出てきたファウェット・ライデニーネ伯爵に、アラシは一瞬喉を詰まらせた。
どうも最近運が無いったらない。

「あ、はは」

喉から乾いた笑いが漏れる。
どうか状況に気付いてくれまいかと期待してみたものの、しかし伯爵の目にはアラシしか映っていないらしい。
彼は得意げに言った。

「先日、やっと言葉の意味がわかりましてね。なるほど、あなたの言うとおりだ。お久しぶりです」

覚えていてくれたことも、思い出してくれたのも嬉しいことは嬉しい。
アラシは回れ右をして医務室に駆け込みたくなりながらも、なんとか取り繕うように笑うことに成功した。

「伯爵? 俺たち今急いでいるので、お話はまたあとで――」
「誰だこのおっさん」
「ゴースト?」
「カンザキ君の知り合いなの?」
「君はこんな人――いや、人じゃないか。えっと、ゴーストとも友達なのかい? 交友関係が広いね」

シリウスの失礼すぎる発言を皮切りに、呆気に取られていた友人たちが口々に言った。
それでやっと彼らの存在に気付いた伯爵が、山高帽を持ち上げ綺麗にお辞儀をする。

「お初にお目にかかります。私はライデニーネと申します。友人がお世話になっています」

アラシはぺちっと、右半分の顔に手を当て俯いた。
この空気の読めない性格は昔からなので、今更注意しようもない。
それに、元々彼に過去をほのめかすようなことを言った自分が悪いのだ。
彼らにまだ知られたくないなら、もっと慎重にするべきだった。

「友人って、アラシのことですか?」
「アラシ……ああ、そうですね。アラシです」

ピーターの問いに、にこにこと愛想良く答える旧友をもう止めることは出来まい。
アラシは思わぬところで正体がばれるかもしれないと覚悟を決めた。

「でもなんで。だってアラシは、今年初めてここに来たんじゃ……」

ジェームズが不可解そうに硬い声で言う。
そこでやっとファウェットは状況がわかったらしく、面食らったようにアラシを見た。
力なく笑ってやれば、彼は申し訳なさそうに顔をゆがめる。
アラシは深くため息をついて、変身術はサボりかなと現実逃避をし始めた。


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