18


恵まれた環境で育ったとはいえない。
お金はなかったし、迫害もされた。
マグルが魔法を嫌悪している限り、その中では平和に暮らせるはずなどなかった。

けれど。
その代わりではないけれど、仲間に恵まれたことは事実だ。
出会えた運命に感謝した。
柄にもなく、ほんの少し神というものも信じてみた。
彼らが好きだし、信頼している。
共にいられて嬉しいとも思う。

― 現在進行形で ―


だからこそ――失うのが怖い。


「い……おい、起きろ! アラシ!」

罵声と、額に走る鈍い痛み。
アラシは重いまぶたを持ち上げ、罵声の主を見つめた。
……うわ、綺麗な顔。

「今日も綺麗だね、シリウス」
「……キショイ。そんなに殴られたいのか」

否定する前に、先ほどと同じ額に痛みが走る。
アラシは小突かれた箇所を軽く押さえ、上半身を起こした。

「褒めたんだよ」
「それが気持ち悪いって言ってんの」

朝から嫌なあいさつだな、とシリウスはぶつくさ文句を言ってアラシのベッドから離れた。
時計を見ると、すでに朝食の時間だった。
慌ててベッドから降り、身支度を始める。
シリウスが呆れたように話しかけてきた。

「お前が寝坊だなんて、信じられねぇ」
「ちょっと夢見が悪くてね」

そう返し、アラシは今日使う教科書を焦りながら突っ込んだ。
髪を適当に整えて、部屋を見渡す。
そして、気づく。

「あれ、他の三人は?」
「俺がじゃんけんで負けた」

シリウスがぶすくれた声で「まだか」と付け加える。
アラシは失笑し、慌てて荷物を持った。
靴のかかとを踏んだままだったが、授業に遅れては減点されるのが目に見えている。

「なんでもっと早くおこ」
「起きなかったんだよ、お前が。俺、十分くらいずっとお前の頭叩いてたんだけど」
「……どうりで痛いはずだ」

階段を降りながらそんな会話をして、シリウスの一歩後ろを走る。
廊下にはもう教室に向かう生徒も居て、それが余計にアラシたちを焦らせた。
まだ朝食を食べる時間はあるはずだが、急がなければ最初の授業に遅れてしまうだろう。
角を急いで曲がり、大広間に飛び込む。
生徒たちはまばらだったが、まだ食べている者もいた。
その中に、友人たちの姿を見つけそちらに向かう。

「ずいぶん遅かったね」
「もう少し待ってこなかったら、先に教室に行こうと話してたところだよ」

ピーターとジェームズへ適当に頷き、アラシは少々切れ気味の息を整えようと深呼吸した。
シリウスはすでに席に座って、早速オートミールを食べ始めている。

「おはよう、リーマス」
「おはよう」

アラシは隣の席にいたリーマスに声をかけて、座った。
リーマスとは、あの一件が過ぎた後も変わらなかった。
ほとんどの時間、彼ら四人と行動を共にしていたし、特に違和感は感じない。
十月に入ってすぐ、リーマスが“母親のお見舞い”にホグワーツをしばらく離れていた他は、特に何の変化も無かった。

アラシは腕にした時計を見た。
ないと不便だということに気づいて、つい一週間ほど前ジェームズからもらったものだ。もちろん、彼のお古である。
時間はあるにはある。
けれど、いつもと比べると大分遅れていた。
シリウス同様、少々手早く朝食を済まさなければならないようだ。
アラシはほとんど味わいもせず、サラダとオートミール(この味に最近やっと慣れてきた)を胃の中に送り込み、最後にゴブレットの水を飲み干した。

「ごちそうさまっ」

ぱん、と手を合わせすぐさま立ち上がる。
時間はギリギリだ。
すでに他の四人も立ち上がり、早足気味に歩き出していた。

「ごめん、つき合わせちゃって」
「いいよ、別に。なんか久しぶりにのんびりしたなぁ」

ジェームズが気楽そうに答えてくれるので、幾分かほっとする。
彼は寛大の時もあるのだ。

最初の授業「闇の魔術に対する防衛術(略してDADA)」を受けるため、階段を上った。
ピーターが息が切らしていたけれど、アラシを含む四人はこともなく授業に間に合った。
防衛術の教授は、厳しい。
間違いをすれば容赦なく減点されるし、この科目が大の苦手であるピーターはそのうえに罰則を受けることもあった。
教授はそれでいて無口で、大切なことはあまり口にしない。黒板でさえめったに使わない。
とどのつまり、生徒にとってはあまり好きになれる授業ではなかった。
アラシにとっては、簡単な内容のはずだったが、その空気のせいなのかやたら緊張する授業だ。

「……うあーやっと終わった」

盛大にため息をつきつつ言って、伸びをする。
アラシは首を曲げて筋肉をほぐすと、くるりと首をめぐらせた。
視線の先には、ダンブルドアに呼び出される前に図書館で会ったスリザリンの生徒――スネイプがいる。
スリザリンの次の授業が防衛術なのだ。
防衛術は時間いっぱいまで使うことが多くて、こうやって次の生徒と鉢合わせることも少なくない。
スネイプの方はアラシに気づいていないらしく、同寮の誰かと言葉を交わしている。
アラシは目を細めて彼をじっと見た。
見れば見るほど似ている気がした。動作や表情、本好きな性格やぶっきらぼうな物言いまで。
だからといって、どうということはないのだけれど。

「アラシー? 行こうよ」

ピーターがそう言ってとんと肩を叩く。
アラシは彼に頷いて、立ち上がった。
荷物はすでにまとめてある。

「やっべぇ。次、遅れるぜ。急ごう!」

廊下に出たところで、シリウスがわめいた。
よりにもよって、次はまたも厳しいマクゴナガルの「変身術」だ。
どうやら今日は廊下を走らなければいけない日らしい。
アラシは苦笑して、四人の後ろを駆けた。

昼食のあとの「薬草学」も難なく終わり、五人はグリフィンドール塔へ戻ろうと一番近い階段を上り始めた。
温室の中は、外の空気と打って変わってやたら生温かく、さらに分厚いドラゴンの皮の手袋までさせられた授業だったので、五人ともうっすらと額に汗を滲ませている。
特にひどいのはピーターだった。

「うえー気持ち悪い」
「何で今日の温室あんなあっついわけ?」
「そういう植物を育ててるんだから、仕方ないでしょ」
「そうそう。でもさすがに暑かったね」
「寮に戻ったら、窓全開にしよーぜぇ」

ピーターのぼやきから談話が始まり、階段をのろのろ上りながらそんな他愛のない話をする。
と、そこでシリウスが「あ」と声を上げて立ち止まった。
階段の中ほどでいきなり止まった彼に、どうしたの、と振り向く。
シリウスは顔をしかめて言った。

「俺、教科書忘れてきたっぽいわ。取ってくる」
「うん、じゃー先行ってるね」

シリウスは「面倒クセェ」とかなんとか言いつつ、今来た道を引き返していく。
その後姿を見ているうち、アラシははたと自分の手にも教科書がないことに気づいた。

「ってか、俺も忘れてる」

苦笑して言うと、ジェームズが「すごい偶然だね」などと茶化してくる。
アラシは彼を軽くあしらって、階段を降り始めた。

「三人は先行っててよ。俺も温室に行ってくるからさ」
「わかったー」

ジェームズの返事を背中に浴びて、アラシは自然と駆け足になった。
早く寮に戻ってのんびりしたい。
またあの温室に戻るのかと思うと、気がめいったけれど、そうも言っていられなかった。

「ええっと、確かここの温室……」

自分の古い記憶とはほとんど別のつくりになってしまった温室で、アラシは迷うことも多い。
慎重に先ほど授業で使っていた温室を探し、アラシは扉をあけた。
それにしても、何故シリウスとすれ違わないのか。
わずかに違和感を感じつつ、温室に足を踏み入れる。
そこで、アラシは瞠目した。

「リリー!」

友人の名を呼んで、慌てて駆け寄る。
シリウスが、彼女を助けようと必死に“それ”に知る限りの攻撃魔法を使っていた。

「アラシ! どうしたんだ?」
「いや、俺も教科書忘れて……って違う! そうじゃなくて!」

アラシは慌てて杖を取り出した。
リリーが、今にも“それ”――巨大な植物に襲われそうだ。
急いで拘束の魔法をぶつけ、アラシは瞠目しているシリウスに言った。

「急いで教授を呼んできて! 出来ればスプラウト先生か、ダンブルドア校長を!」
「お、おう……っ。でも、お前そんな呪文どこで――」
「いいから!」
「わ、わかった」

アラシは、気絶しているリリーの前で動けなくなっている巨大な植物を見て、ため息をついた。
シリウスがイタズラ心で上級生用の植物を入れたのかもしれない。
その温室に、偶然リリーが残っていて、大方彼は彼女の悲鳴を聞いて慌てて中に入ったのだろう。
そのリリーはと言えば、ぐったりと壁にもたれかかって気絶している。

「さて」

杖を構えたまま、それに近寄り、植物の茎の部分(とてつもなく太い)に触れた。
ざらざら……というより、ちくちくする。
アラシは拘束の呪文を解くと、ふたたび暴れそうになるそれの背を撫で落ち着かせてやった。
鋭い表面に手のひらが切れたが、かまわずに続ける。

「アラシ!? 何やってるのっ」

そこでまた、別の声がした。
リリーじゃない。リリーより、甲高い声だ。
アラシはピーターの声でまた暴走を始めた植物の攻撃をかわそうと、慌てて飛び退った。

「ピーター、どうしたの?」
「それはこっちの台詞だよっ。アラシこそ、何やってるの!? それ、何?」
「えーあー……あとで説明するよ。とにかく、危ないから下が――」

アラシが言い終わる前に、ピーターが悲鳴をあげた。
植物とは思えない素早い動作で、巨大なそれから伸びたツルが彼をがんじがらめにして宙に持ち上げる。

「く、くるしっ……!」

声を出すのさえままならない友人の姿を呆然と見上げた。
怖い、とたいした敵でもないのに恐怖が心を支配していく。
それと同時に、アラシの中でふつりと何かが切れた。

「っの……!」

今まで慎重に“新米魔法使い”を演じてきたことすら忘れ、低い声で呪文を口にする。
あふれ出す魔力で、髪やローブが風もないのに揺れた。

「わっ」

どすん、とピーターが地面に落ちた。
けれどアラシは、すかさずもう一度縛り術をかける。
植物は大人しくなり、ピーターがほっと息を吐いた。

「アラシ、さっきの――」
「アラシ!」
「カンザキ!」

ピーターが言いかけたところを、タイミングよく戻ってきたシリウスとスプラウトがさえぎる。
アラシは彼らへぶっきらぼうに、全員無事であることを告げた。
シリウスが顔をしかめ、打ったらしい腰を撫でているピーターに問いかける。

「なんで、ピーターがいるんだ?」
「僕ら全員教科書を忘れてたんだよ。ほら、同じ場所に一緒に置いたでしょ? それで、僕が二人の分も取ってくることになって」

ピーターがそう説明すると、シリウスも納得したようでそうかと頷いた。
スプラウトが顔をしかめ、ピーターを襲った植物を調べている。

「それにしても、何故上級生用の植物がこんなところにいるんでしょう」

シリウスがバツの悪そうに頬をかいたのが見えた。
だが、彼は自首するつもりはないらしく、「さぁ」などと言っている。
アラシは壁際でぐったりしているリリーに歩み寄ると、肩をゆすり起こそうとした。
が、その顔色があまりにも悪いので、そのままスプラウトを振り返る。

「先生」
「なんですか?」
「リリーの様子が良くないようですので、医務室に運びたいんですが」
「わかったわ。あなたたちは寮に戻っていなさい。もしかしたら、まだ危険かもしれませんからね」

それはないだろうとアラシは思ったが、シリウスが自分から言わない限り、スプラウトはそうは思わないだろう。
肩をすくめて、シリウスとピーターがいる入り口付近に戻る。

「行こうぜ」

一刻も早く去りたいのか、シリウスがそういうなり歩き出す。
慌ててあとを追おうとして、アラシはまた振り返った。

「スプラウト先生、俺たち教科書を忘れたんです」
「それなら、私が預かっています。あとで職員室に取りになさい」
「わかりました」

アラシは苦笑を浮かべ、前に向き直った。
ピーターがシリウスの隣を歩き、何か詳しく事情を伝え合っている。
その二人の後姿に、アラシは口元を緩ませた。
まあ、無事ならいいか。
切れた何かが、再びつながる。

「ねえ、アラシ!」

そこでいきなりこちらを向かれ、思わず瞠目した。
ピーターが好奇心旺盛な少年の目で、じっと見ている。

「さっき、なんであんな呪文知ってたの?」
「あんなって?」

とぼけると、ピーターは眉根を寄せた。

「発音が早すぎてわからなかったけど、僕らが知ってる呪文じゃないみたいだった」
「まさか。授業で習ったやつだよ」

肩をすくめ、二人を追い越す。
納得のいかない顔をしている彼らの視線を背に感じ、アラシは体ごと振り返り後ろ向きに歩いた。

「全員無事でよかったね」
「まあな……」

複雑に返事をするシリウスに、アラシは小さく笑い声を上げて付け加えた。

「今度は気をつけてよ、シリウス」

「ああ」と、小さく返事が返ってくる。
そこでアラシは、豪快に尻から地面に転げた。
朝、靴のかかとを踏んだまま一日を過ごしていたことを、すっかり忘れていたのだ。

「って……」

顔をしかめ、打った場所をさすろうと手を伸ばしたところで、激痛が手のひらに走る。
アラシはさらに顔をゆがめ、伸ばした手を顔の前に持ってきた。
無数の浅い傷から、血が滲んでいる。

「忘れてた」

植物をなだめようとして、傷が出来たことを今思い出す。
それと同時に、痛みも戻ってきたみたいでアラシはため息をついた。
すると、シリウスがずいとアラシの手首を掴んで声を上げる。

「うっわ。なんだよこれ。見てるだけで痛いな」
「アラシ、怪我してたの? なんで言ってくれないんだよ?」

ピーターも、地面に座り込んだアラシに目線を合わせるようにしゃがむ。
そんな風に心配されるから、あとでこっそり治そうと思ってたんだけどなぁ。
とかそんなことを考えながら、アラシはへらっと笑った。

「いやぁ、忘れてた。ピーター助けようと必死だったし」
「バカだな。お前も医務室行きじゃねぇか」

シリウスが手首を引っ張り起こしてくれる。(結構強い力で実はちょっと痛い)
アラシは医務室に行くことを告げると、ピーターが言った。

「だったら僕付き合うよ」
「そ? シリウスはどうする?」

問いかけると、彼は即答した。

「先に戻ってる。ってか、エヴァンスもいるだろ、医務室」

やっぱり犯人は君なんだ、と思ったが口には出さない。
代わりに、ため息をつくにとどまった。

それからしばらく歩いて、玄関に入ると、遅くなったのを心配したのか、ジェームズとリーマスがいた。
彼らは輪になって、先ほどあったことを話し始める。
その様子を一歩下がって見ながら、思う。

――怖い、と感じるのは
失うことで、この傷のような痛みを生むからだろうか。
それとも純粋に、誰かがいなくなるのが、嫌だからだろうか。
否。きっと、その両方なのだ。

全てを預けられるほど、とはいえないけれど。
それでも、この四人と一緒にいられるこの時が楽しいと思える。
だからこそ、記憶が戻り、失う怖さを知っている今。
この楽しさには、常に恐怖が伴ってくるのだろう。

「おーい。久しぶりにイっちゃってる?」
「え、あ。ごめん。話は終わった?」

ジェームズは眼鏡を押し上げて、「大変だったね」と労わってくれた。
それから彼は、自分も一緒に医務室に行くことを告げてくる。
アラシはそれに返事をして、他愛のない話をまた始めた四人を眺めた。
そして、ふと気づくのだ。

昔同じように考えていたことを、わずかではあるけれど彼らにも感じていたと。
――それは、現在進行形で。


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