12 「どうしてそこまで純血にこだわるのか理解できないね」 刺々しい言葉が、つい漏れる。 「お前とて、知らぬはずがない」 「ああ、知っているとも」 彼のかたくなな考えの意味も、わかっているつもりではあった。 けれど、それではいつか魔法族は滅びてしまう。 それを君がわからないはずがない。 「だからこそだ、サラザール」 君は、こだわりすぎている。 「未来のことも考えなくちゃいけないだろう」 「くだらない魔法を己にかけたお前に言われたくない」 「……それは失態だったと反省してる。だから今は、先を考えるようになったのさ」 ――ゴドリック? それとも俺? 自身にかけた呪いとも言うべき魔法が、己を苦しめるとは考えなかった。 ――彼は俺であって、俺でない。 それは、なんと歯痒いことか。 ― 妖精の魔法 ― 呪文学の教室で、シリウスがむすっとした顔で窓際の席に座っている。 その隣には、どうにかして機嫌を取り直してくれないかと、明るく話しかけているピーターがいた。 教室内は、廊下や広間、そのほか城のさまざまな部屋と同様、魔法で溢れていた。 それに加え、先生が立つだろうその場所には、本が山と積まれている。 けれど、それらを観察するほど、アラシには余裕がなかった。 一瞬足が止まる。どうやって声をかけたらいいのか、わからない。 けれど、ジェームズは先にずんずんと行ってしまうし、リーマスが後ろにいるから、いつまでも立ち止まっているわけにもいかなかった。 諦めて、ジェームズの後に続いてシリウスたちに近寄る。 彼ら二人を囲むように、それぞれ腰をかけた。 ジェームズがシリウスの前、リーマスがその隣で、ピーターの前。 そしてアラシは、ピーターの隣だ。 ピーターは、困ったようにこちらをみた。 「ごめんね、シリウス」 ピーターの向こう側にいるシリウスに、もう一度謝罪の言葉を述べる。 けれど、反応はなかった。 「ピーター、場所変わってもらえないかな」 小声でピーターに言うと、彼は戸惑いながらも席を変えてくれる。 アラシが隣に来たことに驚いたのか、シリウスはこちらを見た。 けれど、その切れ長の目は睨みつけるように鋭い。 「ごめん。謝るよ、心から」 返事はない。 ちらりと横目でジェームズたちを見ても、どうやら口は出さないことに決めたらしかった。 アラシは深く息を吸って、背筋を伸ばした。 「正直言うと、忘れてたんだよね。その、君があういうのすっごく気にしてるってのを」 シリウスは不機嫌に歪められた顔を、こちらに向けた。 「言っただろ。気にされると、余計気分が悪くなるんだ」 思わぬ言葉に、まだ彼が怒っているのかと思ったが、どうやら見等違いのようだと、ピーターに肩を叩かれてさとった。 最初から彼は、怒ってなどいなかったのだ。 「気分が悪いからひとりになりたい」とでも思ったのだろう。 アラシはほっと息をついた。 「じゃ、俺のこと怒ってないんだね?」 「なんでお前に怒んなくちゃいけねェの?」 逆にそう問われてしまうと、返事に困る。 アラシはあいまいに笑って、ピーターと場所を元に戻した。 「シリウスって、いつもそうなんだ。機嫌が悪いときって、ひとりになりたがるんだよね」 ピーターがそう言って、苦笑する。 それから、アラシにしか聞こえないように、ひそひそと耳打ちした。 「彼は自分が周りに八つ当たりしちゃうこと、わかってるからだと思う」 驚いて顔を離し、ピーターを見る。 つまり、「彼なりの気遣い」ということだろう。 アラシはピーターに向かって頷き、顔を緩ませた。 悪い人ではないのだ。ただ、変に不器用なだけで。 「またアラシとピーターが怪しい密会してるよ」 ジェームズが、今気づいたとばかりにこちらに体を向けた。 彼の前にはすでに、授業に使う『呪文集』と『魔法論』が揃えられている。 それはリーマスも同様で、それに加え彼は羊皮紙と羽ペンまで丁寧に用意していた。 「何の話をしてたんだい?」 「シリウスの話さ」 ジェームズの問いかけに簡潔に答えると、シリウスがばっとこちらを向く。 「はァ? 俺?」 「ん、ちょっと君の秘密をおしえてもらったよ」 ついでに、にっと笑ってみせる。 シリウスの目はピーターに移ったが、彼はくすくすと笑うばかりだ。 「安心して。変なことじゃないから」 「……ピーター、あとで覚えとけ?」 シリウスが迫力に欠ける声を出す。 と、そこで呪文学の教授――フリットウィック先生が入ってきた。 とてつもなく背が低くて、驚きのまなざしで追うと、フリットウィックは積まれた本の上によじ登る。 そのための本だったのかと妙に納得しながら、アラシは羊皮紙を広げた。 一通り呪文学こと妖精の魔法についての説明を受け、授業内容に入る。 物を動かす基礎的な魔法であると、フリットウィックは言った。 どうやって動かすのかを長々と説明し、黒板に図を書く。 丁寧に写し取る生徒も何人かいて、その中にはリーマスも入っていた。 それはらフリットウィックは、実践すると言い、杖を持つように指示をする。 生徒の中で歓声が上がった。 「いいですか? こう、杖を使います」 杖を慣れた様子ですばやく動かしたその様子に、アラシはやっと「魔法」の勉強をしているのだと実感した。 が、次の瞬間杖を振り切った拍子に勢いあまったのか、フリットウィックはバランスを崩し、後ろへ倒れてしまう。 「キャッ」と声がして、瞬間生徒の間で小さな笑いが広がった。 もちろん、ジェームズも、シリウスもピーターも、アラシも笑った。リーマスでさえも、口の端を歪めたくらいだ。 「失礼。改めて。発音の練習をしましょう」 コホンと咳払いをして、フリットウィックは何度か発音の練習をさせる。 それから杖と手首の動きを確認させたあと、やっと実践のための羽を配ってくれた。 「では、練習してみてください。発音を間違えないように。医務室に行きたい人がいないことを願います。ひとりひとり、見て回るので質問があったらどうぞ」 いい終わったのが合図で、持っていた杖をきゅっと握り、意識を目の前の羽に集中させる。 ビューンヒョイ、だ。と自分の中で言い聞かせ、それから杖を持った腕を上に上げた。 聞こえてくるのは、若い見習い魔法使いのたどたどしい呪文のはずだった。 けれど、妙に手になじむ杖に、自然と腕も動く。 それは、口や喉も例外ではなく、アラシの呪文は、フリットウィックのお手本とほとんど変わらなかった。 頭の中が、白くなる。 何度目かの慣れた感覚に、アラシは「またか」と呟いた。 魔法という存在を認めてしまえば、その事実だって認めるほかない。 ―「いいぞ、上手い」 嬉しそうに顔をほころばせる生徒。 それはこっちだって同じだ。 教え子の成長は、嬉しい以外の何ものでもない。 ―「だけど、少し甘いな。いいか? 良くみていなさい」 杖を持つ。慣れた感触が、手のひらにじんと広がる。 呪文が、口をついて出てくる。腕を振る。 そのひとつひとつの感覚が、“過去に体験”したものであることが、遠く意識で感じ取った。 「すごいね、アラシ」 「……ありがとう、ピーター」 もう、慣れてしまったからだろうか。 それとも、別の変化がおきたのだろうか。 かつてゴドリックであったことを、自然認めてしまっている自分がここにいる。 羽は見事に右から左へ動き、ぴたりと止まった。 なんの不安定さもない、見習いとは思えぬほどの手際のよさ。 ところが、それに驚く者はどこにもいない。 教室を見渡せば、すでに魔法を成功させている生徒が何人かいた。 ジェームズとシリウスも、得意顔で杖を操って、羽をいったりきたりさせている。 リーマスも、何度目かの挑戦で成功したようだ。 「皆すごいなァ。僕なんて、びくともしないや。ねぇアラシ、コツとかないかな?」 ピーターが、杖を「ビューンヒョイ」で振りながら問いかけてくる。 アラシは、「そうだな」と頷いて机の上に杖を置いた。 「まず、動きをイメージするんだ。想像力を働かせて」 アラシは、“昔”教えていた頃を思い返した。 出来ない“生徒”へのコツの教え方など、何度繰り返しただろう。 「それから、羽を見て……深く考えなくていい。ただ、動けって念じる」 ピーターは真剣に頷いて、ぐっと羽を睨むように見た。 それから目をつむり、また開く。 そして、彼は魔法を成功させた。 「わ、出来た! アラシの言うとおりだ!」 はしゃぐピーターに、アラシは薄く笑ってみせる。 フリットウィックは、なかなか出来ない生徒を熱心に見て回っていた。 おかげで、マスターしてしまった生徒は暇で仕方ない。 五人もその例外ではなくて、ジェームズとシリウスなど、雑談を始めてしまった。 その中にピーターも入り、やがてリーマスまで巻き込まれる。 アラシは窓の外を眺めた。 鳥が飛ぶ姿を目で追いかけながら、思考にふける。 魔法。 マグルとして生活してきたはずなのに、当たり前のように使う自分がいる。 かつて、この城で同じように魔法を使い、それを教えた自分もまた、ここにいる。 「どっちが、本物なんだろうなァ……」 小さく呟いて、アラシは息を吐いた。 喧騒な教室で、それに気づく者はいない。 別人と思っていた最初の頃の方が、気楽だったかもしれない。 「なにがだ?」 いきなりシリウスがこちらに話しかけてきて、アラシは目を瞬かせた。 一瞬沈黙し、そしてなんでもないと首を振る。 話すにはまだ早い気がしたし、なにより授業中に話す内容でもない。 「ちょっと考え事をしてたんだよ。ところで、ピーターと君はいつの間に場所を変えたの?」 気がつかないうちに、隣に来ていたシリウスへ問いかけを投げかける。 すると彼は、表情をしかめてピーター(ジェームズと何か話し込んでいる)を横目で見やった後、言った。 「ジェームズの奴の話に興味があるんだと。んで、俺と場所交代」 ふーんと頷き、アラシはジェームズとピーターを見た。 ジェームズが何か言うたび、ピーターが頷き相槌する。どうやら相当おもしろい話らしい。 リーマスはどうしたのかと視線を移すと、彼はフリットウィックに何か質問をしていた。 そのリーマスの様子を眺め、シリウスが頬杖をつく。 「練習時間もそろそろ終わるから、授業の終わりまでこの位置だと思うぜ」 彼が言い終わるか言い終わらないうちに、フリットウィックが前へ戻った。 何度か「静かに!」と繰り返し、それから今日のまとめを始める。 今日やった杖の動きを忘れないようにと何度も繰り返され、授業は終わった。 がたがたと席を立ち、次の科目――変身術へ向かう生徒たちの列に、五人も加わる。 「ジェームズと何を話してたの?」 「うん、クィディッチの話だよ」 「クィディッチ?」 ピーターは興奮した様子で、アラシにクィディッチを説明し始めた。 クワッフルというボールで点数を取るチェイサーのこと(ピーターの贔屓するチームのチェイサーが優秀だということ)。 そのチェイサーのゴールを妨げるキーパー(ピーターの贔屓するチームのキーパーが、どんなに鉄壁の守りか)。 暴れ玉ブラッジャーを跳ね返す、ビーター(ピーターの贔屓するビーターは力が強く、どんな玉でも打てること)。 それから、勝利に大きく左右するスニッチを掴む、シーカー(ピーターの贔屓するシーカーは、いつでも勝利をもたらす)。 と、彼の私情がたっぷりと入ったクリディッチの説明を、アラシは相槌しながら聞いた。 どうやら、ジェームズもクィディッチには詳しいらしく、先ほどもその話で盛り上がったらしい。 「クィディッチを知らない魔法使いはいないよ」 と、ピーターはそう締めくくり、変身術の教室に入って行った。 アラシは四人の後ろを歩きながら、クィディッチについて頭の中で整理する。 “以前”はなかったものであった。 飛べる箒さえまだ無かったし、移動手段は“姿現し”が主流だったのだ。 ずいぶんと様変わりしたものだと、自然と笑みが浮かんだ。 しかしそうしていると、やはり自分が「どちら」なのかわからなくなる。 それでも、クィディッチシーズンが始まる十一月が楽しみなのは間違いなかった。 - 12 - しおりを挟む/目次(9) |