11 「生徒、増えてきたわね」 言いながら彼女はそっと、近くの子供の羊皮紙を覗き込む。 彼女らしい優しくさとすような言い方で、なにかを口出しているようだ。 教えられている子供の方は、真剣に頷いていた。 「ああ」 彼女の言葉に返事を返して、彼は仏頂面のままこちらを見た。 黒髪がゆれ、その赤い瞳が射抜くように見据えてくる。 何か言いたそうだが、口を開く様子は無い。 きっとまた、マグルのことだろうから無視を決め込んでおく。 これだけは譲れないからね、サラザール。 「ねぇ、ゴドリック」 ドアを開けて入ってくるもうひとりの仲間に、なんだい、と顔を向ける。 すると彼女は思い切り眉を寄せていた。 「そろそろ教える方も増やしてみない? 私たちだけじゃ足りないわ」 「知識が?」 聞き返すと、彼女はますます眉間にしわを寄せていく。 「まさか。人手が、よ。誰に向かって言ってるの?」 「そう言うと思ったよ。知識に長けた魔女サマ」 こぼれる笑い声。 そうだな、それもいいかもしれない。 ― 朝 ― 「眠い」 「同感」 あくびをそろってするジェームズとシリウスに、アラシは呆れたと笑った。 昨日。初めての夜、彼ら二人はアラシやピーターの忠告も聞かず遅くまで語りあっていたのだ。 聞けば、明け方近くまでずっと話し込んでいたらしい。 「今日から授業が始まるんだよ? だから、昨日言ったのに」 ピーターがアラシと同様、呆れた表情で二人に声をかける。 朝食を摂りに大広間に向かって歩きながら、そんな他愛の無い会話。 今日から、と。ピーターの言葉に胸に広がっていく興奮。 ――夢を見た気がする。 まるで体験したようなリアルな感覚。会話と、弾む心を。 きっとそれは、ゴドリックの記憶。彼の胸の内だろう。 それに同調するように、アラシは“今日”が楽しみでならなかった。 「へいへい。どうせ自業自得だよ。ピーター、お前うるさい」 ワンテンポ遅れたシリウスの返事で、思考から現実へ引き戻される。 気づけば、大広間はすぐそこだった。 「うるさいって……それはひどいんじゃないかなぁ」 アラシは苦笑交じりにピーターを庇う。 するとシリウスは、むっと眉を寄せた。 「別にいいんだよ、コイツは。昔っから、うるさいんだ」 ――いや、だからそれは心配してるんだって。 口に出そうとしたが、言ったところで彼は考えを改めないだろう。 アラシは「まったく」と呟くに留まった。 大広間の扉を開けて入っていく三人に続き、アラシも昨夜宴が行われた場所に入る。 ピーターの手から離れた扉を押さえ、続いて入ってくるであろうリーマスのためにそれを支えた。 朝も「おはよう」以外は何も話さなかった彼の顔色は、優れないように見えた。 横をお礼を言いながら通り抜けるリーマスに、アラシは「どういたしまして」と呟いた。 それから、先に行ってしまった三人を横目で見る。 ジェームズもシリウスも、そしてピーターも立ち止まったアラシには気づいていないようだった。 彼らが意気揚々と席に座るのを確認して、そのテーブルに向かおうとするリーマスを引き止める。 「リーマス、調子悪いの?」 うつむき加減だった彼は、弾かれたようにこちらに顔を向けた。 やわらかそうな鳶色の髪が、その拍子に飛び上がる。 「大したことないよ。昨日、なかなか寝付けなかったんだ。それだけ、だよ」 彼は、にこりと優しくやわらかい笑みを浮かべた。 そう? と小首を傾げると彼は「そんなに病弱じゃないからね」と笑い声をもらす。 それもそうだ、と笑い返して、アラシはリーマスと並んで三人が座ったテーブルに向かった。 「最初はなんだっけ?」 テーブルに座る早々、シリウスがぽつりと問いかけた。 隣にいるピーターは、すでにパンを一切れ食べ始めている。 「呪文学だよ。“妖精の魔法”」 ジェームズがパンにべっとりとジャムを塗りながら答えた。 それを見て、シリウスがさっと顔を青くする。 「そうか。ってか、お前塗りすぎだ」 あらぬ方向へ視線を泳がせ始める彼を見て、アラシは小さく笑い声を漏らした。 そういえば、昨夜も彼は甘い物には一切手をつけていなかった。 苦手なのだろう。 アラシの様子に気づいたのか、左隣に座ったリーマスがこちらを見た。 笑うアラシを、不思議そうに眺めている。 「シリウス見て、シリウス」 小声でそうささやくと、リーマスは首をかしげながらも正面へ顔を向けた。 そこには、ジャムをさりげなく遠くへ置こうとしている青い顔のシリウス。 彼のその様子でわかったのだろう、リーマスはアラシに視線を戻してわずかに口元を緩ませた。 「アイコンタクトしてるよ。実はラブラブだったんだね」 と、ジェームズの声。 今度は自分たちが笑われる番になってしまい、アラシは表情をゆがめた。 「違うって。ただ、シリウスがあんまりにもおもしろいからちょっとリーマスと」 「アイコンタクトしてたの?」 言いかけたところをさえぎり、ピーターがきょとんと、問いかけてくる。 アラシはため息をついて、皆と同じようにパンを手に取った。 「もうどうでもいいや、俺」 リーマスはくすくすと笑うきりで、何か言い訳をするつもりはないらしい。 アラシは初めて彼がまともに笑ったのを見て、心の中で安堵の息をついた。 どこか暗い雰囲気をまとっているように見えたのは、きっと気のせいだったのだろう。 「最初の授業は呪文学かぁ。僕、上手く出来るかなぁ」 ピーターが、話題を元に戻す。 と、シリウスがぐしゃぐしゃと彼の頭を乱暴に撫でた――というより、ぐりぐりと押し込んだ。 ピーターは背中を丸めて、「いたいいたい」と繰り返す。 けれど、その声はどこか弾んでいて、ふざけているのがわかった。 「今からんなこと心配してどーすんだよ。七年やるんだぞ、七年」 最後にバーカと付け加え、シリウスはコーヒーカップを傾ける。 アラシはその様子が、どこかうらやましかった。 こんな友人、自分にはいただろうか。 「だから心配なんだってば」 ピーターが口を尖らせて言い返す。 「ピーターは心配症だなぁ」 ジェームズが言いながら、二枚目のパンにもジャムをべとべとと塗る。 シリウスがおえーとわざとらしく舌を出して見せた。 「甘すぎだろ、それ。じぇーむ……」 と、そこまで言ったところでシリウスの視線は別の方向へ向かう。 アラシが彼の灰色の瞳の先を追いかけると、自分の隣にいきついた。 リーマスが、チョコレートホイップをたっぷりと塗った(というより盛った)パンを食べている。 ピーターやジェームズもその様子に、言葉が出てこないようだった。 けれど当の本人は、一口飲み込んだあと、きょとんと目をしばたかせる。 「どうしたんだい?」 「いや、どうしたもこうしたも……」 シリウスが声を詰まらせ、そのまま顔を逸らした。真っ青だ。 彼でなくても、見ているだけで胸やけがする。 アラシは息を呑んで、リーマスの手にある物体を指差した。 「チョコレート、好きなの?」 「うん」 満面の笑みで頷くところから見ると、それを不自然だとか、異常な味覚だとかは思っていないようだ。 それはそれで大問題のような気がするが。 アラシはそうなんだ、とかすれた声で言って、他の三人を見た。 必死に朝食に集中している。 アラシもそれに習い、フォークを手に取った。 「……リーマス」 ジェームズが眉根を寄せて声を出す。 搾り出したような、ひどく低い声だった。 「なんだい?」 リーマスはパンを飲み込んで、ふわりとわらう。 が、その口の端にはチョコレートがついているからあまり格好がつかない。 「明日からはさ、朝からチョコレートってのは控えてくれないかな」 「え? どうして?」 「シリウスが死ぬから」 そこでシリウスを出してくるあたり、ジェームズはずるがしこい。 つんと隣に座る彼をつつき、ジェームズは満面の笑み(アラシとピーターからみれば、作り笑いだったが)を浮かべた。 「どうやら彼、甘いのが駄目みたいなんだ」 「そうなんだ? これからは気をつけるよ」 といいながら、最後のひとくちを口に放り込んで、砂糖がたっぷりと入った紅茶を飲む。 そんなリーマスの素直さにアラシは、ため息をついた。 安堵のためか、それとも呆れたのかは自分でもわからないが。 ――というか、その二つが混ざり合ったのかもしれない。 そんな朝食もなんとか終わった。 シリウスは最初から最後まで顔色が悪かったが、今は大分落ち着いている。 今は、授業まで時間があるので、食休みをしながら、魔法界について色々聞いている最中だ。 ふいに、目の前を何かが通り過ぎた。 驚いて、その『何か』を視線で追いかけると、鳥だということがわかる。 鳥は、アラシたちから二メートルほど離れたところで、何かをテーブルに落とし、生徒の肩に止まった。 「……な、なに今の」 「ふくろう便っていうんだ。ほら、あっち」 ピーターがそう言って、アラシが見ていた方向とは反対方向を指差す。 促されるまま、広間の入り口の方へ顔を向けると、そこには青空の天井を飛び交う、沢山のふくろうがいた。 そういえば、自分に手紙を持ってきたのもふくろうだった。 とアラシは今になって思い出した。そのあとの衝撃で忘れてしまっていたのだ。 どうやらこの世界では、郵便システムは全てふくろうが担っているらしい。 そこまで考えたところで、また先ほどのように風を感じた。しかも今度は、近くで。 それもそのはず。向かいに座るシリウス宛に、手紙が届いたのだ。 彼のふくろうはなかなかに立派で、それを褒めると、ジェームズが「鷲ミミズクだね」と解説してくれた。 「手紙は家から?」とアラシは何の気なしに聞いた。どっちにしろ、そろそろ話題が尽きていたのだ。 「ま、そんなところだ」 シリウスが差出人のところを見て、顔をしかめつつ頷く。 「それより、そろそろ行こうぜ。時間だってたっぷりあるわけじゃない」 シリウスは誤魔化すように言って、立ち上がった。 封も開けていない手紙は、くしゃりとポケットへ突っ込む。 そこでアラシはやっと、シリウスと彼の家柄の微妙な関係のことを思い出した。 色々なことがありすぎて、すっかり頭から抜け落ちてしまったらしい。 昨日の夜、あまりにも打ち解け合ってしまったから、何を言っても平気な気がしたのだ。 けれど、それは違うことに気づいた。 「ごめん、シリウス。俺……」 「別に。気にされると、余計むかつくからやめろ」 それは彼なりの優しさなのか、それとも本当にそうなのかはわからないが、シリウスは背を向けてひとりさっさと行ってしまう。 呆然とそれを見ていると、ピーターも慌てて席を立ち、アラシの方を申し訳なさそうに見た。 「ごめんね、アラシ。シリウスも悪気があるわけじゃないんだ」 まるで保護者みたいだと思いつつ、アラシはひらひらと手を振った。 「いいよ、ピーター。追いかけるんでしょ? 早くしないと、シリウス行っちゃうよ」 ピーターはもう一度「ごめん」と謝って、駆け出した。 すでにシリウスは広間を出て行こうとしているところだ。 「さてと。そろそろ僕たちも行こうか」 ジェームズが何事もなかったかのように声をかけてくる。 彼は本当に変わり者だと、アラシは失笑した。 「リーマスも、手紙読み終わっただろ?」 ジェームズが言って初めて、アラシはリーマスにも手紙が届いていることを知る。 いつの間に届いたのだろう。 シリウスとの話(というか半ば口論)に気を取られ過ぎていた。 リーマスは、手紙から顔を上げて、うんと頷いた。 羊皮紙を丁寧にたたんで、封筒に戻し、彼は大事そうにポケットに入れる。 「呪文学の教室に行けば、二人にも会えるよ」 ジェームズが励ますように言うので、アラシは自然と口元が緩んでしまった。 「ジェームズって、優しいのか冷たいのかわからないね」 立ち上がり、二人が出て行った方向へ向かいながら、口を開く。 後ろで、リーマスがくすりと笑ったのがわかった。 「それが魅力だろ? 惚れた?」 眼鏡を押し上げ、ジェームズが冗談っぽく言う。 アラシは笑い声を上げた。 「悪いけど、そういう趣味はないよ」 わずかに声が上ずったが、二人は態度を変えない。それがありがたかった。 シリウスとのことを気にしているのを、あからさまに示したくなかったのだ。 なんとなく、格好悪いと感じて。 廊下に出て、最初の授業に向かう。 そこですでに沈黙は訪れて、教室に入ってシリウスとピーターの姿を見つけるまで、三人は一言も話さなかった。 - 11 - しおりを挟む/目次(9) |