指に触れる愛が5題 | ナノ


4.薬指にくちづけを

【高校生と高校生】



 自分と彼との間に約束なんてあったろうか、と三橋は考えていた。

 三年間怪我をしないという約束をした。
 けれどそれは半年も経たないうちに叶わぬものとなり(そもそも無理な約束だったのだ)、今は目標はあれど、自分たち二人だけの約束などはない。

 それに焦ったのか、寂しくなったのか、自分の事ながらわからないのだが、三橋はひとつの事を考えていた。
 考えすぎて彼に怒られるくらいに。


「何ムスッとしてんの。」

「……?」


 部活の最中。ベンチで、汚れてしまったボールを阿部と二人できれいにしていると、そんな事を言われてしまった。
 ムスッとしている。それは、不機嫌な状態を表す言葉だ。それは知っている。
 わからないのはその言葉が自分に向けられた事だ。
 別に機嫌を損ねた出来事なんかない。ついでに言うと怒ってもいないし、ただ少し考え事をしていた。それだけだ。

 手まで止めてぽかんとしている三橋を見て、阿部も変だなあとは思った。
 普段よりむっつりしているから機嫌でも悪いのかと思ったら、目をぱちくりさせてこちらを見ている。
 何だろう。
 同じ瞬間に同じ事を思った二人だったが、次の行動に移るのは三橋の方が早かった。

 あべくん、と声を掛ける。
 そして左手を拐う。ボールをいじっていたので土が付いているが、そんなのは自分も一緒だ。

 少し二人の手を見比べてみたが、大きさに違いはそう無いような気がする。
 それでも食っちゃ寝期間、もとい怪我療養の安静期間を過ぎた辺りから阿部は背も伸びたから、三橋の手よりも少し大人っぽくなった気がする。ごつさではマメだの何だののある自分のそれも負けていないが、形とかの話だ。

 その阿部の指を、三橋は人差し指で撫でた。
 阿部は怪訝な顔をしているが、好きなようにさせてくれている。
 だから、三橋はやめなかった。
 手の観察や指が撫でたかったわけじゃない。

 撫でた阿部の指の付け根、拳の骨が出っ張る山より少し指のほうへ下りたところへ、三橋は唇を落とした。


「え」

「うん」

「うんじゃねえだろ、」


 いつも、阿部くんにする時みたいに。
 そう思って口付けたら、軽く付けただけなのに、ちゅ、と小さい音がした。
 小さく声を上げた阿部のほうを見たら、何をしてんだと怒られてしまった。
 でも別に怒っているわけじゃないらしい。周りに誰かいなかったか確認して、そうしてこの行動の意味を三橋に問う。

 そう言えば理由とか目的とかを言わなかったな。
 請われた三橋はそれを一から話した。


「女の子たちが、こないだ、」


 事の顛末はこうだ。
 クラスの女子の一人が指輪を薬指にしていたようで、その友人たちが何やかやと賑やかにしていた。
 指輪くらい彼女たちはいくらでもしているだろうが、薬指となるとそれは彼女らの好み以外に、別の存在が関わってくる。
 ものが贈り物にしろ自前にしろ、薬指に嵌めるとなれば、浮かぶのは交際相手の存在だ。
 前者は言わずもがなだし、後者だって「私にはもう相手がいるのよ」という意味を持つ。
 恋愛ごとにはいつだって敏感な彼女たちだ。華やかな声で話すその内容だってしあわせいっぱいなそれで、あんまり賑やかだったからその気はなくとも三橋は始終を聞いてしまった。

 で、考えた。なんだって薬指ばかりそんな意味を持つのだろう。
 親指にしていたって小指にしていたって気にも留めないのに、なぜ。
 それは結婚指輪だか婚約指輪だか、その辺から来ているだろうというのは、三橋にだって想像がついた。
 三橋の両親だって指にくっ付けている。母親はあまり化粧っ気のない人だが、飾りのないシンプルな指輪だけはいつだって付けていた。

 あの指輪なんて言うんだったか。田島に訊いてわからなくて、それを聞いていた泉がエンゲージリングだろうと呆れ顔で教えてくれた。
 そこで電子辞書の出番だ。あれは便利なもので、ちょっと検索したら意味から綴りまで出してくれる。春から電子辞書を用いて自発的に調べものをしたのが初めての三橋はあれの有能さに驚いた。

 エンゲージ。Engageとは、婚約している、従事させる、契約など。
 要するに所属している事を指していたり、それが契約の関係であるとか、そういう事だ。
 どうも結婚という言葉のイメージとは違う気がするのだが、世の中の人たちはこれで納得してエンゲージリングという単語を使っているのだろうか。


「あーなんだ」

「うえ、」

「おまえが薬指に嵌める指輪の云々についてなんかこう……まあいろいろあったのはわかった」

「あ、そ、それで」

(……続きがあったのか……)


 三橋は取った阿部の手に目を落とした。
 あの手は未だに三橋のものだ。三橋が離さない限りは阿部も引くつもりがないし、素手に触れる彼の熱は心地が良い。
 それで、と言葉を促したら、三橋はまた話しだした。伏し目の睫毛は蔭にいるから濃い濃い金の色だ。細くて、長い影を目に走らす。


「もう、約束。ないでしょう」

「約束?」

「もう、オレたちに、約束。」


 三橋が唇から落とした言葉は、阿部の薬指へ落ちた。
 約束。そう、到底叶わない約束を、阿部は三橋にした。三橋が愚図るから何も考えずにした約束だったが、破ったのは自分で、その罰かそれなりに痛い思いもしたが、三橋は気にしていたみたいだった。
 三橋のせいじゃないのに。


「……。」

「三橋、」

 いつの間にか二人で視線を落としてしまっていた。
 それに一足先に気付いた阿部が三橋の名を呼ぶ。
 約束を無くした二人に、契約を司る薬指に唇落として、きっと三橋は新しい約束を決めたのだ。
 要約するとそういう事だろう。おまえは何の約束をしたんだと問うと、三橋はちらと阿部を見て笑った。
 二人だけの時にしか見せない、少し大人びた笑い方。


「オレはずっと、阿部君のもの、って。」


 あの金色の陰から、相手をくすぐるような目をして三橋は笑う。
 全くとんでもないやつだ。それを真正面から受けて立った阿部も、唇の片方を吊り上げる意地の悪い笑みを向けた。


「ふうん。ずっとって、目下三年のハナシ?」

「ずうっと。」

「じゃ、おまえ、とりあえずは花井にも沖にも負けねえんだな。そのうち後輩だって入ってくんだぞ」

「……」

「あんだよ」

「……阿部君が、正捕手でいる限り、は。」

「てめえ言ったな」


 珍しくいたずらっぽい目をして言った三橋の手を、阿部は拐う。
 もちろんそれは左の手で、左の手の薬指、指輪を嵌めるならその位置に唇を落とす。


「オレも約束してやるよ」

「なんて?」

「てめえと一緒。」


 手を解放してやると、三橋がくすぐったそうに笑ってその薬指を撫でた。
 表立っては活躍しないその指に灯るのは、二人しか知らない約束。
 向かい合った時にしか互いのそれは重ならない指が、小さな火でも灯したようにしばらく甘く痺れてみせた。


―― Right a Delight at the finger.

指に触れる愛が5題より
「4.薬指にくちづけを」
最近のお話の記憶が曖昧なんですが、他に彼ら約束してましたでしょうか。
突っ込みお待ちしております。

これ前半まですごく無機的に書いてました。
感情0〜2mgくらいしか乗せずに、淡々と書いてました。こんなの初めて。

普段はお話それ自体がニアリーイコール感情です。
グラムにするとたぶん3000mgくらいです。
わたしはお話をきっちり書く事が出来ません。どちらかというとポエマー気質なので、その時の感情で言葉を選んで繋げていくイメージなので、ニアリーイコールなんですね。

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