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★ Room : number-002

【猫マンション】



 浜田の、ネコの自分を見る目と、人間の自分を見る目が違う事なんて、結構初めからわかっていた。


「んなぉ。」

「ん……どーした、泉?」

「なぅ。」


 柔らかな毛に乗って艶の走る、泉の細い手足はカーペットの上を軽やかに歩く。
 ネコは狩人なのだ。しなやかな筋肉は見た目の美しさだけでなく、所作だってなめらかに、流れるように素早く動く。
 そのばねを少し利かせれば、別のどこかへ飛び移るのだって容易い。お目当ての膝へちょんと乗ると、大きな手が迎えてくれた。

 どうしたの、なんて、甘ったるい声。
 オレが人間の姿の時は、こんな声絶対に出しやしないのに、と泉は心の中で毒づいた。


「ちょっと待っててな。」


 泉が生まれた季節は、もうひとつ昔になった。だからといってすぐおとなになるのじゃないから、まだ子どもの仲間の泉は、浜田の膝だって大きいくらいだ。
 だからあぐらの太股に頭を乗せて寝そべる。おとなになったら、体がちょうどそこにすっぽり入るんだろう。
 今はちょっと座りが悪いが、ふかふかのカーペットよりソファより、泉は暖かくて浜田の匂いがするその膝が好きだった。

 んん、と鼻にかかった声が頭の上に落ちたので、泉はくりんと体をひねって仰向けになり、上を見る。
 浜田は大きな端末をいじっていて、なんだか忙しそうだ。
 元々外へ勤めに行っていた浜田だが、先日この建物のオーナーが一階でやっている店に勤め始めた。それから仕事が忙しいようで、部屋にいる時も、尻ポケットによく入っている電話とよく似た平たい大きなやつをいじり倒している。

 まあそれも、オレに勝てやしないんだけど。
 手にした端末の下、腹を見せて仰向けた泉に気付いた浜田がにこっと笑って腹を撫でる。
 ほらな。浜田は、ふかふかしたのが好きなんだ。あんな端末はつるつるで、てかてかして、魅力なんかオレの半分もありゃしない。

 真剣に画面を見ていた目が、泉を見るとふっと和む。
 浜田は人懐こい性格もあって受ける印象は柔らかいが、少し目尻が吊っているから、真剣な表情をするとわりと顔つきが鋭くなる。
 しかし泉を見る目は別だ。
 かわいくって好きで堪らないというような弛んだ顔をして泉を撫でる。浜田の手は大きくて、指もそれなりにごつごつしているのだが、手仕事が得意なだけあって泉を撫でる手つきはとても繊細にしてくれる。

 これだけ浜田に愛されているのに、けれど泉はおもしろくない。
 泉は、先日飼い主になってくれた浜田が好きだった。浜田のごはんはおいしくて、よく遊んでくれて、その大きな手のひらが撫でてくれるのが気持ちよくて大好きだ。
 けれど浜田はネコの姿をした泉にはにこにこして撫でてくれるのに、人間の姿の泉にはぜんぜん優しくない。
 嫌いなのに服を着ろとか口うるさいし、撫でてもくれないし、くっつくと嫌がる。
 なんでこんなに違うのだろう。
 自分はおんなじ泉なのに。
 毛の柔らかい腹を撫でられながら泉はそれを考えて、とてもとても、おもしろくなかった。


「うお?!」

「……。」

「なんだよ、いきなりこっちになるなっていつも……っ?!」


 ぽん、と猫の姿をしていた泉は一瞬で人間の姿になった。
 この部屋の中なら自在に姿を変えられる。浜田に横抱きにされた格好の泉は、浜田が嫌がる裸であるが、そんなことは構っていられない。
 平たい端末を取り落としかけて驚いた顔に、ちゅ、と唇をくっつけた。
 人間になった泉の唇はふかふかだ。毛は生えていないけれど、浜田はふかふかしたのが好き。だから。


「いっ、泉?!」

「……浜田のばか、ばーか。知らねー!」


 泉は浜田の膝からするんと抜け出し、振り返りもせず寝室のほうへ歩いていく。
 浜田にはなぜ泉が不機嫌なのかわからないのだ。泉にだってよくわからないのだから、当たり前だけれど。

 なんだか胸がもやもやして嫌だ。
 でもそれも、いつもすぐに消えるから、泉はいつも深く考えない。
 ベッドに飛び込んで不機嫌なふりをしていると、すぐに浜田が追いかけてきて、どうしたんだよ、なんて甘やかしてくれるのだ。

 だから泉は考えない。
 浜田の視線でふわふわして、浜田の手のひらでうれしくなる理由なんか考えずに、近付いてくる浜田の足音を、瞼を閉じて待っている。


―― Reason why?


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