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★ Room(2)



 腕の中が急に重くはなったがネコを抱いている両腕を解くわけにいかない。
 痛む顎先に手を当てたいのを我慢してそこを見る。と、黒いネコがいた筈のそこには、先ほどの少年が収まっていた。
 ドアを閉める為それに向かっていたから、彼はドアと浜田との間に挟まれるようにして、その狭い隙間でちゃっかり浜田の首に腕を回して笑っていた。和む目元が睫毛で縁取られている。


「わりいな。でもオレもおまえの顎が当たって頭いてーし、おあいこな。」

「おまえ、さっきの……! つーか今頭突きしたって言ったか?!」

「やりたくてやったんじゃねーよ。なかなか難しいんだよ、こっちの姿慣れてねえから」


 浜田は少年と距離を取る為身を引こうとするが、首ががっちりとホールドされていて逃げられない。
 これはまずい。急にまたどこから現れたのか気になるが、とりあえず裸の少年と抱き合っているこの図はまずい。
 焦る浜田と対照的に、少年はにこにこしていた。浜田の顎くらいにある真っ青の両目で真っ直ぐに相手を見つめ、楽しそうに口を歪ませる。


「んな嫌がんなよ。これから一緒に暮らすんだから。」

「ハァ?!」

「あんただってさっきウレシソーに、オレの頭撫でてたじゃねえか。好きなんだろ、ネコ。」
  
「ネコは好きだけど、おまえの頭なんかオレ撫でてねーよ! またどっから出てきたんだ……つーか、ネコは?! まさか落とし……」
 
 
 今までの人生、それなりに苦労して社会の荒波に揉まれた自負はあった浜田だが、さすがに今は混乱していた。
 荷解きもしていない新居で裸の少年が現れたり消えたり抱き合っていたりである。どうなっているのか訳がわからないし、拾った筈のネコはまた消えている。

 ここまで混乱していれば、悪友どものイタズラも大成功だろう。いたはずのネコを探して首を背けた浜田を、少年はきょとんとして見つめていた。

 体が密着している二人の距離はかなり近い。浜田は首を動かすが、腕でホールドされている為距離それ自体は変わらず、この至近距離では互いの表情がよくわかる。
 まさか、まだわかんねえのか、と今度は浜田の心中を察したらしい少年がその腕を解いた。
 放してくれたのは嬉しい。しかし距離が離れたら離れたで、今度は瑞々しい肌色が目に悪い。
 にっちもさっちもいかんな、と浜田がとりあえずTシャツを着せようと追うかたちをとると、同時に彼が後ろへ下がった。
 距離は変わらない。むしろ、次に彼がドアノブに手をかけた事で、更に距離は開いてしまった。


「いいか、よく見てろよな」


 ガチャ、と音がしてノブが回る。その次にとる行動はわかりきっている。掴んだノブを前へ押し、ドアを開けるのだ。
 しかしそれは現在一糸纏わぬ姿の彼には憚られる行動である。全裸で部屋から出てきたところなんか見られたら浜田の社会的地位は地に落ちてしまう。おいこらやめろ。


「ちょ、……っ?!」


 咄嗟に手を伸ばした浜田だったが、その長い腕でも彼には届かなかった。
 大きく開いたドアを追うように、先に右足が通路へ踏み出す。その隣へ、今度は左のそれが揃えられ、少年の体は完全に通路へ出た。
 と、彼の姿が消えた。
 その代わりに、あの黒ネコが通路に立っていた。
 見たか、とでも言うように高い声で鳴き、てくてく歩いて来て部屋に入ると、全身が玄関に入りきったところで黒ネコは少年になった。
 一体何が起きているのか。呆然と少年を見つめる浜田の視線を受け、彼は得意気に、その細い腰に両手を添えた。


「わかったかよ。オレはネコ。カジさんとウメさんから話聞いてんだろ、これからあんたに飼ってもらう予定のネコってのは、オレの事だよ。」

「え、いや……人間……?」

「ちっげーよばか! さっきから言ってんだろ、オレはネコ! この部屋にいる時だけ、人間の姿になれるんだよ」


 先ほどまでの楽しそうな表情はどこへやら、少年は薄い唇を尖らせる。
 少年は、自分をネコだと言う。この部屋にいる時だけ、この人間の姿になれるのだと。
 そんなもん嘘だ、と言いたいところだが、今ほど間抜け面のぽかんとした目で見たところである。

 ネコが飼いたいと思っていた。
 しかし、人間になるようなネコは求めていなかった。
 俄に返答できない問題だが、少年は困惑している浜田を見て、ふんぞり返ったままため息をついた。


「オレ飼えなきゃ、この部屋借りられない状況なんだろ。」

「うう……」

「オレだって変なヤツと暮らすのはヤなんだよ。その点あんたはカジさんとウメさんから安心していいって推薦されてんだから、飼ってくれないとこっちも困る。」


 なんだか立場がおかしい気もするが、問題はそれでない。このファンタジーなネコを飼うか否か、それだ。
 浜田はネコが飼いたい。しかしネコはネコでも部屋にいる間が人間では、もふもふ出来ないし添い寝も出来ない。
 食費は間違いなく二人分になるし、服から何から世話をしてやらなくてはならない。

 それはもはや、ネコではない。
 そう言おうと浜田が口を開くと、言葉を遮るように、ネコ少年の声がした。


「ああ、オレこの部屋の中なら人間になれるけど、別にこっちにもなれるから。」


 思い悩んでいつの間にか俯いていた浜田だったが、顔を上げるのと同時にその言葉が聞こえた。
 だから、自分より頭ひとつほど小さな彼がネコになるのを見ていた。浮いた体を慌てて手を伸ばしてキャッチする。
 手が伝えてくるのは触り心地の良い黒い毛並みであり、小さな頭を浜田の手にぐりぐりと擦り付けてくる。
 あの少年である筈だが、目の前のこれはどうしようもなくネコだ。おそるおそる喉を撫でると気持ち良さそうに目を細めて喉を鳴らすし、手を止めればその舌先よりずっと大きな指先を舐めてくる。

 ああ、ネコだ、ネコだ。
 これが恋い焦がれたネコなのだ。
 尚もくるくると喉を鳴らしているネコの頭へ、仕方ないなあ、と言葉を落とす。

 と、また腕の中がいきなり重くなった。


「おし、決まりだな!」

「へあ」

「よろしく頼むぜ、ご主人サマ。」

「えっ、イヤそれは……」


 またも人間になった少年に首を抱き締められる。
 至近距離で見る少年の顔は本当に嬉しそうで、浜田は小さくため息をついてしまった。

 すごく喜んでいるみたいだから、仕方ないか。
 ネコである事には変わらないし。

 そう思った浜田だったが、いざ一緒に暮らしてみると、ネコ少年はほぼ人間の姿で同じように過ごすのだった。すごく薄着で。


 でもそれはまた、別のお話。


―― Sweet home!





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