Echtzeit | ナノ
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2015 8th Apr.

いつぞやのメモ



 高い高い塔の天辺を埋める夜は宝石みたいな美しさのくせ、そこへたった一人で眠らなくちゃあならない小さな子は、寂しいなんて一言も言わずに伏し目で瞬きを繰り返してた。


「主に忠実な使い魔なのに、あの子を放っておいていいのかな?」

「ご心配どうも。でも、オレの御主人様にそれは要らないんだよ」


 あんたは知らないだろうけど。低く低く零した言葉は、冷気を孕んだ風に音を奪われる。
 肌に触れれば刺す様なのに、どこまでも澄んで透明な冷気は自分の主のものだ。
 個々人の能力がどういった訳で決まるかなんて知らない。ただ、この力を使う時の主は、綺麗だけれど温度を無くしたような瞳をする。それを見ていると少しだけではあるけれど、確かに息が詰まるのだ。
 どんなに術が強くなったってあまり喜べなかったのはそのせいだろう。けれど今は、この力を感じる限り彼の無事を信じていられる。

 だからこうして、主を一人にしても涼しい顔をしていられるのだ。


「気にしなくても用が済んだら飛んで行くさ。あんたを連れてね」

「そう。でも出来るとは思わないから、用件だけ聞いてあげるわ」


 この負けん気の強い目、とはまだは思った。
 浜田はたった一人の主にひたすら忠実な使い魔だ。その主はまだ小さい。そうはまだが思うのは、主を今よりずっとずっと小さな頃から知っていて、今も同じ気分でいるからなのだが、それはただの使い魔に庇護の感情を抱かせるのに十分な時間でもあった。

 出会った頃から、主は負けん気の強い目をしていた。風の中に身を置いているはまだの足元にいる彼女も、主と同じ色の目をしている。
 否が応にも血の繋がりを感じるというものだ。その他は彼女の長く真っ直ぐな黒髪くらいしか共通点を見出だせなかったが、それでも間違いない。

 彼女は主の、泉の母親だ。
 はまだの世界では彼女の存在こそが最も罪深かった。


「聞きたい事があってね」

「聞きましょうか」

「生まれたばっかりの自分の赤ん坊を置いていく気持ちってどんなもんだろうか、ってさ」


 冷たい風がはまだの四肢を掴まえては解けていく。
 もう、今すぐにだって主の元へ馳せたいが、こればかりは彼のいないところで済ませておかなくてはならない。

 その責を問うたつもりだが、眼下の彼女は今までと何の様子も変わらない。
 きっとそういう女なのだ。主を置いて行った時も、きっとそうだったに違いない。

 始まりは十年より前だ。あるところに、桁違いの力を持つ女がいた。
 開祖もそうだったとは言え、もう何世代も経って力は相当に薄まっていた時代、天才だって一生かけたってその手に出来ない力を彼女は持っていたのだ。
 それが始まりだ。いや、その彼女に、血を残すよう求めたのがもしかしたら始まりだったか知れない。

 どうせ自由恋愛ではなかっただろうが、それが理由かはわからない。彼女は一人の子どもを生んですぐ、生まれ育ったそこを出ていった。
 もちろん許可が下りた筈もない。逃亡だ。生んだばかりの子どもは置いていかれた。追っ手を振り切るには邪魔なだけのものだったろうから。

 その子どもは周囲の目論見どおり、彼女程でないが力は相当に持っていたから、大事に大事に育てられた。
 その子どもが、はまだの主の泉だ。
 そして彼の母親こそが、目の前の女なのだ。

 はまだが主の泉に抱くのは信仰に似た感情であるが、護りたい、幸せであって欲しいというすべての感情も彼一人が占有している。
 主が年端もいかない子どもだった頃、口にこそしなかったが、彼がどんな気持ちだったか、はまだは思い出すととてもつらい。
 だからこの女は責を負うべきなのだ。
 だのに目の前の咎人は、しれっとそれに答えてみせた。


「そのほうが良かったからね。私の子どもなんだから、あの人達が良くしてくれたでしょう。食べさせて着せて、力の使い方まで教えてくれた。違う? 私一人じゃとてもそこまで出来なかった」

「でも泉は寂しがってた。それは、母親のあんたじゃなきゃ出来ない事だったんじゃないのか」

「そうだね」


 はまだの主も、ああ言えばこう言う気性なのだ。彼女だって多少なりとも考えがあったのだろうから、持論を展開するだろうとは思っていた。
 その言い分はやはりはまだの神経を逆撫でするものだったが、言い返すとあっさりとそれを認めた。

 拍子抜けしたのを眉を顰める事で誤魔化したはまだに、彼女は笑ってみせる。
 あ、と思った。口の端を引いて笑うそれは、主も時々見せるものだ。
 これはいけない。挙げ足を取った時のように、いたずらがうまくいった時に、あの子はこんなふうに笑うのだ。


「寂しかったかも知れない。でもきっと、あなたが側に居てくれたんでしょう?」


 その言葉が終わると同時、冷たい風が止んだ。
 否、止んだのでない。冷気が中和されて不感の温度まで上げられたせいで、今は熱気がはまだの頬を撫でる。


「さすがにあの人達ほど子どもに稽古はつけられなかったけど、あの子たちだって私の子だからね。甘く見ないほうがいいよ」

「泉、」

「早く行ってあげなさい。幸い水と火みたいだし、大事には至らないでしょうけど、こっちはもう一人いるから」


 最早風は燃えるような金の色が付いている。流れさえ容易に辿ることの出来る風は、熱風と呼ばれるそれだ。
 ぎ、とはまだは彼女を睨めつける。この度はまだと主が受けた命は、彼女とその子どもを連れて帰る事だ。
 彼女には主の後に、二人子どもを作ったらしい。最悪その子どもだけでも連れて帰れという命であるが、彼らも主と同じく、彼女の血が流れている。
 決して軽んじたわけではないが、報告では力の使い方についてはあまり訓練されていないという事だったので、少しの間のつもりで主一人に対処させた。
 せめて拮抗状態くらいには持っていけるだろうと思って居たのだが、今の状況はあまり良くない。

 はまだの鋭い視線の先で、彼女はずっと挑発的な目をしていた。
 ぐ、と歯を噛む。彼女の為す事はすべて、はまだの神経に傷を付ける。


「……それであんたは、また自分の子どもを置いて逃げんのか」

「今度はいい年だし、親離れしてもらうだけ」

「それじゃあ可哀想だからな、親子四人連れて帰ってやるよ!」


 はまだは言い終わるや否や、彼女のほうへ片手を向ける。軽い音ながらけたたましく鳴るのは何十本もの細い鎖で、その手から解けて彼女を襲う為に放たれた。
 はまだは金属を操る力を持っている。変形や操作を自在にするが、最も好む型は鎖による拘束だ。
 絶対的な自由の簒奪。そのイメージが、細い鎖に悲鳴のような軋みを与える。


「そうね」

「……ッ!?」

「最後だから、もうひとつだけ教えてあげましょうか」


 一分の弛みも無く彼女へ向かっていた鎖が、その目の前で弾けて消えた。
 接敵など容易にする速度だ、鎖が弾けた時、剣の鍔が噛み合ったかのような硬質の音が響き渡る。
 まるでとても硬い金属に押し負けたような。
 鎖を構築していたものがばらばらに舞い散る。その光を纏いながら、彼女は宣った。 


「あなたはどうやって今のあなたになったのかな?」


 力らしいものを見せたのは今程の防御のそれだけだ。こちらからは何もしないというように手のひらを見せる。
 それでも彼女を窺いながら、はまだは散った金属の破片を手元へ呼んだ。一応刺激しないよう目視で辿るのが容易な程度にゆっくりとやったが、彼女ははまだを見上げてその返答を待っている。

 何のつもりか。こちらも彼女の力が全くわからないうちは下手に出られないので、はまだは鎖を再構築しながらその問いに答えてやった。


「何の事ァねえよ。死ぬまでボコられて、その後泉に使い魔にしてもらったんだ。普通だろ」

「うん、使い魔を作る時は死にかけの動物に『死にたくないだろう』って誘って契約するのが、一番逆らうリスクがないからね」

「そうかよ」

「だからあなたたちは、主の力で存在してる。常時注がれているそれは、主の余分に余っている力だから、大抵誰もが持ってる。力の強い人ほどたくさん使い魔が居たりするわけだけど」

「気にしてんのか? あんたにゃ居ないんだろ」


 に、と彼女は笑った。
 彼女には使い魔が居ない。彼女の言うように大抵は持っていて、基本的に主から離れはしないものだ。
 確かに力の強い人間ほど使い魔の数は多いようだが、それで言えば彼女など大した事が無いと言える。

 通説と合わないその事実がどんな意味を持つのかなんて、使われるだけのはまだがわかる筈はなかった。
 

「使い魔はリミッターでもあるんだよ。力が強いほど、自分に悪い影響が出ないように力の受け皿を増やす。受け皿の容量にもよるけど――」


 あなたがその大きさで居られるのは、あなた自身の容量の多さと主の力の大きさのせいだね、と彼女は呟く。

 そんな事は知った事じゃない。
 主の力が大きいのは良い。自分が受け皿として良く機能しているのなら、それも良い。
 ただはまだにとってそんな話はどうでも良かった。
 鎖を再構築しているのは右手で、隠した反対の手を微かに動かす。
 鎖はフェイクだ。本命は彼女の足元の地中に埋もれている鉄分で、それで捕縛する事を目論む。

 仕掛けるなら話をしているうちだ。
 準備は出来た。
 やるなら、今。


「私はね」


 その声は耳元で聞こえた。


「要らないの、そういうの。」
 

 息を奪うような圧迫感がはまだを襲う。次の瞬間、鎖が地面を突き破り一気に伸びるが空を掴んだ。
 そこには誰も居ない。ただ、重力を何倍にもしたような恐ろしいまでの力の大きさは、自分の後ろに居る。
 咄嗟に振り返るが再構築した鎖も彼女を捕まえる事が出来ず、最早金色の風の中に居るのははまだ一人。
 そこで喘ぐように呼吸をしながら考える。

 今まで誰かの力を感じる事はあっても、それは空気に色を付けるとか匂いを付けるとか、その程度のものだと思っていた。
 だのにこれはどうだ。空気それ自体、世界それ自体が変わったような、五感の全てで否が応にもその存在を思い知る程の力の大きさ。
 それに瞬間移動なんて、生身の人間に出来る訳が無いのだ。
 理論的には座標指定が出来れば空間の行き来はそう難しい事では無いが、不可視の速度には肉体がついて行かない。空間を繋げられれば或いは速度は関係がないが、そんな事が出来る人間は今までに存在していない。

 そんな事が出来るのはもう、人間じゃあない。
 そんなものは。


「……馬鹿、言ってんなよ……」

「そうだよ、早く泉君のところへ行ってあげなさい。私もあの子たちに一言言ってから逃げるから」


 その声が響くと、急に呼吸が楽になった。
 体にのし掛かっていた重さも無い。彼女がここを離れたのだろうその事に安堵してしまっている自分を噛み殺すように、浜田は奥歯を噛み締めた。


「ッ、……泉!!」



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メールの残り字数が心配なので、とりあえずここまで……
長いし疲れる文ですみません



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