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2015 3rd Mar.

【高校生と仔猫】



 まだ日は高いが、学校帰りの花井は住んでいるマンションの駐輪場へ乗り入れるべく、速度を落として自転車から降りる。
 その時だった。なあ、ちょっと、と馴れ馴れしい声がして、それを聞いた花井はうんざりした顔で無視を決め込んだ。


「うわっ」

「なあって。きこえねーの?」

「〜〜〜〜っ!」


 所定の位置に自転車を停めると、ハンドルから手を離さないうちに前カゴへ衝撃を受ける。
 そして今ほどの声。一度は無視を決め込んだ花井だったが、目を合わせてしまってはそうもいかない。
 盛大に溜め息をつくと、前カゴへ乗ったものの頭をひっ掴んだ。


「だから! うちマンションだから、おまえを飼う事は出来ねーの!」

「そこをなんとかさあ」

「……どっから覚えてくんだ、そんな言葉……。とにかく、ダメったらダメ!」

「けち! あんだよ、きのーも、おとついも、そのまえもダメだって言ったじゃん! けち!」

「昨日も一昨日もその前もダメだっつって、今日イイって言うわきゃねーだろーが! このチビ猫!」

「子どもなんだからチビに決まってんだろ、はげ!」

「剃ってんだよ! いーから退け!」


 短く刈り込まれた髪をぐしゃぐしゃにするよう押さえると、それは嫌がって駄々を捏ねる。けれどもみじみたいなちいちゃなお手手じゃ、高校一年生で身長一八○センチを越える花井の手を退かせやしない。
 結局なんだかんだとごねたって、脇の下に花井の手が入れられれば、簡単に前カゴから下ろされてしまう。
 花井が潰されたカバンを肩に掛けるのを、それは一所懸命作った「こわい顔」で睨み付けていた。

 彼こそは、野良猫様である。
 先日から花井の住むマンションの辺りをうろうろし始めた、まだちいちゃな仔猫。
 小学校に上がるかそれくらいの年の頃で、短パンからにょろにょろした尻尾と、茶のかかった黒髪から三角の耳を生やしている。
 それがこないだっから勝ち気な鳶色の瞳が瞳で、花井に自分を飼えととにかくうるさいのだ。

 花井だって猫は嫌いじゃないが、マンション住まいだ。確かめた事はないが、借家は大抵ペット禁止と相場が決まっている。
 それに部活が忙しいんだからペットと遊んでいる暇はないし、飼ってもいいかと家族の同意を得るのも面倒だ。そんな暇あったら寝ていたい。

 というわけで、花井はここ数日、年端もいかない仔猫からのプロポーズを断り続けていた。
 そもそも場所が悪いのだ。寝床と餌が欲しいなら、戸建ての団地でアタックしたほうが、成功率はぐっと上がると思うのだが。

 むくれる仔猫の頭を撫でてやって、花井は彼を駐輪場へ置き去りにした。

 そして帰宅した花井がした事といえば、昼寝だ。
 三時間という、母親が買い物に出て悠々と用事を済ませ、帰って来るまでの時間を寝て過ごしていた。

 というのも、花井を起こしたのは帰宅した母親がキッチンでごそごそやる音だった。
 冷蔵庫にものを片付けているのか。冷蔵庫の扉を開け閉めする音を聞きながら、花井はリビングのソファで午睡の余韻に浸ってうつらうつらとしていた。

 その時。


「ぅぐッ」

「えへへへへへえ。」


 突然衝撃が、無防備な腹の上に落ちて来た。
 花井は部活に精を出す健全な男子高校生である。筋肉もあるので備えてさえいれば多少は腹筋で防げるのだが、微睡みという無防備極まりない状況で、体重を全て乗せた小ぶりの尻が落下する衝撃は花井に大ダメージを与えた。
 ぐう、と唸りながら、傷めた腹を守るように丸くなる。が、腹に何か乗っているらしく上半身しか捩れない。
 クッションに指を掛け、うんとも言わなくなった花井に諸悪の根源である彼の声が掛かった。


「なー。だいじょぶ?」

「……お、まえ……」


 どこかで聞いたことのある声。それに目を開け腹の上を見ると、鳶色の瞳をくりくりさせた仔猫が覗き込んでいた。

 ここんとこうちの駐輪場で入待ちをしているあいつ。
 こいつがなんでうちのリビングにいるんだ。
 そう唸ったら、仔猫は真っ白い歯を剥き出して笑った。


「おかーさんがつれてきてくれた!」


 おかーさん。お母さんとは、この場合こいつの母親ではあるまい。
 その単語を花井が使っていたのはちょっと前になるので、使わないように、「こいつ」とキッチンに向けて叫んだ。


「こいつ、なんでうちに居るんだよ!」

「拾ったのよ。拾ってって言うから。こんなにちっちゃいのにねえ」

「うん、ありがとー!」

「あら! ゆうくん、いい子ねえ! おやつ食べる?」

「たべるー!」
 

 母親が答えながら、菓子を乗せた盆を持ちリビングにやって来る。
 彼女は「どうぞ」とチョコチップのクッキーが二枚入った袋を仔猫に渡し、花井には何もやらずにL字型をしたソファの対のほうへ座った。
 オレのは。そう思ったがこの猫の事が先である。
 うちはペット禁止なんじゃないのか、そう訊いたら、そんな事ないわよと言われた。
 最近のペット業界は、独居する幅広い年代に需要があり、それに対応するところが増えているのだとか。
 且つファミリー向けのこのマンションは、初めからペット禁止でもなんでもなかったらしい。
 そんなもんなのか。生まれてからずっとここに住んでいるが、知らなかった自分が悪かったのだろうか。

 なんかこの数日、仔猫に悪いことした気がする。
 元々猫嫌いというわけでもなかった花井である。家族がいいと言うなら反対するつもりはない。
 ちょっと申し訳なく思っていた花井に、仔猫が拙い手つきでぼろくそにして開けたクッキーを一枚差し出してくれる。

 破り捨てられた袋と同じく、クッキーも満身創痍である。
 けれど、きらきらした目で仔猫が差し出してくれるそれを、花井が受け取らないわけはなかった。
 ありがとう、と言って小さな手の持つそれを咥える。
 破顔してきゃっきゃと笑う仔猫にお返しのクッキーをあげると、母親が楽しそうに笑った。

 ちっちゃい弟が出来たような気分だろうか。
 なんだかくすぐったくて仔猫の頭をかき回すと、玄関の方で声がした。
 小学生の妹たちが帰ってきたらしい。双子の彼女たちは、同じ声でただいまを唱和する。


「おかえり……」

「あー! お兄ちゃん、それなにー?」

「ねこー?」

「お母さん拾って来ちゃった!」

「お兄ちゃん、私も抱っこするー!」

「貸してかしてー!」


 女が三人集まって姦しいという字になるわけだが、それが示す意味は今も昔も変わらないらしい。
 やかましさに白目を剥く花井と、仔猫はびっくりして目を丸くしている。
 彼女たちはあっという間に仔猫を拐っていくと、抱き上げたりこねくり回したりして彼女たちなりに「可愛がる」。


「お名前は?」

「ゆういちろー!」

「ゆうくん! ゆうくん男の子? 良かったねお兄ちゃん!」

「……何が良かったんだよ?」

「キャッチボールできるから!」

「ゆうくんは、なに猫? 茶色猫? ぶち猫?」

「おれ、しらねー」

「お母さん、ゆうくんはなに猫?」

「ぶち猫かしらねえ。三毛じゃないでしょ」


 なんで、と仔猫と妹たちが首を傾げる。
 三毛の柄は、遺伝子の問題でオスには滅多に生まれないのだ。
 もしそうだとしたらプレミアものである。だからぶち猫という事で落ち着いたわけであるが。


(三毛っぽいのは……気のせいだよな)


「なー、キャッチボールってなにー?」

「……ボール投げ合いっこの事。」

「ボール! おれボールとるのすきだぜ! な、やろうやろう!」

「こんな狭いとこでできるわけねーだろ」

「あらご挨拶ね。あんたがおっきいのよ」


 ボールと聞いて仔猫がまた腹へ飛び付いてくる。
 それをひっぺがしても、仔猫は歯を見せてにこにこ笑っている。

 うるさいのが増えた気がするが、まあいいや。
 頭を撫でたら、クッキーまみれの指でワイシャツをぐちゃぐちゃにされた。
 ……良くない気がする。そう思ったが後の祭りなので、花井は観念して天井を仰いだ。

―― He became my family.


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