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2014 21st Aug.
(梶と梅) 愛や恋ではないけれど
【刺青彫師と練習台】
腰が痛痒い。
痛いならまだしも痒いというのは嫌なもんだ、と梅原は思った。傷みはある程度我慢が出来るが、痒みというのは意外と痛み以上に耐え難い。
その気持ちを正直に口にすると、この痒みを与えてくれた梶山は当たり前だが「掻くなよ」と言った。
「わかってんよ……つーかオレの腰ってどうなってんの?」
「動くな、狭ェんだから」
狭いのは梅原がうつ伏せているベッドに梶山が腰を下ろしたからであって、梅原のそれに比べればベッドも部屋も梶山のもののほうが大きい。
そこからの景色は見慣れたものだ。広い部屋には物がそれなりにある為雑然とした印象を抱くが、部屋の主には出したものをちゃんと片付ける癖があるので散らかってはいない。
あまりキレイな部屋では落ち着かないので、これくらいが居心地が良い。それだけの理由で昔から入り浸っているから、他人のベッドなのにこれほどリラックスできるのだろうなと梅原は思った。
梶山とは高校からつるみ出して、社会人となった今でも親しく付き合っている。
連絡を密に取っている、というよりは下らないことで端末を鳴らすから、ここ一週間以内に相手の身に起きた事は互いに把握している。家族以外では最も親しいと言って良い間柄だろう。
そんなもの、同性同士では無意味にも程がある事だろうに。
しかし気が置けない、心地の良い関係であるのは事実なのだ。
だから狭いベッドで二人、体がくっついていても何も感じないのだろう。ぼんやりと部屋の隅を見ていたがふと嗅ぎ慣れた匂いを感じ、梅原が振り向く。
「あ。」
「……、ん?」
「テメ、何一人で煙草吸ってんだよ! オレにもよこせ」
「あー、うるせぇ……。」
閉めきった室内で流線を描くような煙が見えたと思うと、鼻に触れたそれから紙煙草独特の匂いとメントールが香る。見れば梶山が紙煙草を咥え、作業後の一服をしていた。
オレがこんなに痒みを堪えている(一瞬ぼんやりしていたが)というのに何してるんだ、と梅原が俄かに煩くなる。
梶山はそんな友人を見て、吸った煙をため息のように大きく吐き、逃げるようにベッドから腰を上げた。
そうして去り際、自分が吸っていた紙煙草を、半開きの梅原の唇に挟んだ。
「ン。」
「やる。」
梶山の動向を見ようとした梅原と、彼に煙草を渡した梶山の視線が合う。
銀縁の角眼鏡越しの梶山の目。お世辞にもぱっちりなんて言えない細いそれは、煙草を取られたことに対してか言外にやれやれと言っている。
が、そんな視線は慣れてしまっている。何か言い返すでもなく見上げていたら背を向けられたので、梅原は喫煙に専念することにした。
まだ火を点けたばかりの紙煙草の吸い口は、吸いかけであるのを示すように梅原のものでない唾液で湿っている。
フィルターに残る湿り気に触れるように上下の唇をぴったりと付け、煙を吸うと、まだ長い紙煙草の先端が赤く燃えた。
火が燃えた後は、灰になる。急速に色褪せ、輝くような赤色がなんの味気もない色に変じてしまうのを脳裏に描いて、梅原は紙煙草を唇から離した。
ふう、と煙を吐いて、煙草を持つ手と反対のそれで頬杖を突く。マットレスの上ではあるがある程度は硬いためそこで頭を支え、梶山の後ろ姿を追った。
「リキ君、なにしてんの。」
「気色ワリィ呼び方すんな。」
「リッキー、それオレの端末。」
ラフな格好の梶山は、卓上に投げてあった梅原の端末を手に取り勝手に操作していた。その後ろ姿はあまりに自然で一瞬見逃しかけたが、ちらと見えた端末は梶山ではなく梅原のものだ。
おまえのものじゃないと言っているのに梶山はそれを聞きやしない。彼は操作しながらベッドのほうへ戻ってくると、端末の背を梅原の腰へ近付ける。
すると、カシャ、とシャッター音に似せた電子のそれが狭い部屋に響いた。
どうやら腰の彫り物を撮ったらしい。煙を吸いつつ一連の動作を黙って眺めていた梅原に、梶山は用済みの端末を投げて寄越した。
「おお。ナニ、羽?」
「トライバル、つったってわかんねぇだろ。実際見ようにも見えねーだろうし、写メで我慢しとけ」
「おー。つーかおまえ今なんかバカにしたか?」
「してないしてない。」
何だかギョーカイ用語でばかにされた気がしたが、してないと言うので忘れることにする。梅原は誤魔化されついで、頭を軽くたたかれたため乱れたくせ毛を手櫛で後ろへやりながら画面を見た。
大きな液晶には、自分の腰らしい人間の一部が写っている。凹凸に乏しく細くはないため男性のものであるとしかわからないその一部には、彫り物が入っていた。
それなりに親しい友人である梶山は、この度彫り師としてやって行くことを決意した。
とはいえまだ一通りに技術を修めただけで、やっとスタートラインに立ったところだ。そんな彼に、悪友の梅原ともう一人が練習台として名乗りを挙げた。
まあタダで彫ってもらおうという悪友らしい魂胆だ。もう一人の悪友は背中一面を預けたが、梅原はなんだかんだとあまり人から見えない腰に入れてもらうことにした。
腰であれば裾さえきちんとしていれば見えないし、それに上着の裾やパンツからちらりと見えたときにセクシーだ。自分がセクシーになるかは知らないが、映画や雑誌なんかで見かけた際にはそう感じた。
けれどデザインなんかまるで思い付かなかったので、梅原は大まかな場所の指定以外を梶山に丸投げした。
いちおうデザイン案も見せてもらったが、成人した今でもファッションにはあまりこだわらない梅原である。いまいちぴんと来ず、また梶山なら自分に似合うものがわかっているだろうと丸投げついでにどんなものを入れてくれるのか楽しみにすることにした。
だから入れてもらって、初めて梶山が自分に宛がってくれたものを見た。
それは翼、のようなものだった。やたらとトゲトゲした、流線型の矢印で翼が表現されている。
腰の中央から外側へ、黒一色の茨に似た両翼をいっぱいに広げた意匠。
その意味など素人の梅原は知らない。だから、入れられたばかりの今はそれが赤い色で縁取られており、これが痒みと痛みの原因かと画面をまじまじ見ながらそんなことを思った。
「……勝手にやったけど、気に入らねえ?」
「いや? まあ、オレにゃカッコよすぎるんじゃねーかとは思ったけど。」
「カッコいいならいいじゃねぇか。あと、指は? 腰よか痒いんじゃねーの。」
「ああコッチはもーカユすぎてワケわかんなくなってる。」
「なんだそりゃ。」
まじまじと端末を見ていた梅原だったが、梶山の一言でもう一ヶ所入れてもらっていたことを思い出した。
梅原が頼んだのは腰であるが、梶山がもう一ヶ所入れたいと言ってきたのが指だった。腰に比べればだいぶと小さく、時間もかからなかったのですっかり忘れていた。
しかしこちらなら自分で確認出来るし、梅原の目は端末からそちらに移る。
端末を持つ手と反対側、左手の甲を自分に向けると、小指に入れられた小さな彫り物があった。
「あ、腰のと似てる?」
「基本は同じだな。リングっぽく細めにした。」
ふうんと眺めると、指輪のようにしたとの言葉どおり、指の付け根にそれはぐるりと入っている。
腰のものに比べればかなり身を削がれてシンプルになった茨の矢印は、背側のみと半分だけのリングだ。本物のリングであれば宝石の来る位置に黒い星があり、シンプルながらなんだかポップでもある。
体の末端だからか腰よりも痒みが甲高く悲鳴をあげているのだが、しばらく経つので慣れてしまった。それでも皮膚から浮き彫りになったそれが真っ赤に縁取られているのを見ると痒みを感じるので、梅原は体を起こしているのをやめて、枕に顔を埋めた。
だいぶ狭まった視界で梶山を探すと、彼は自分の作品を見ているようだった。
再びベッドに腰掛けて、梅原の腰を見ている。別に今さら恥ずかしさも感じないが、梶山の名を呼んだ。
彼の視線と目が合った。
「梶ィ」
「あんだよ。」
「ユビワの位置ってよー、なんか意味あんだろ。小指ってナニ?」
「あーなんか、左の小指は変化とか変身とかそんな感じだったかな。お誂え向きじゃん」
「おまソレうろ覚えじゃね?」
「まあだいたい合ってんだろ。」
いい加減なヤツがいたものだ。けれど自分から調べる気もないので、この外せないリングの意味は梶山のそれで覚えることにした。
変化、変身。確かに今の自分には似合いのそれだ。ただ、梶山が墨を入れた梅原を表現する為にこの指を選んだのか、それとも何かの変化を願って選んだのかはわからない。
訊いてみれば、わかるだろうか。
でも言葉をもらったところで、それが本心かどうかはわからない。
だから梅原は訊かなかった。
訊いてみれば何かがかわったかも知れないが、かわってもかわらないだろうから、訊かなかった。
「梶ィ」
「だから何よ。」
「眠ィ。一緒に寝ようぜえ。」
「あほか、このくそ狭ェベッドで。」
「いいじゃん、オレ眠いもん。梶ィー」
「だあぁ、もー、うるせえ!」
駄々をこねたら体が押されたので、ベッドの端に寄る。そうして乱暴に横たわった友人を見て、梅原はげらげら笑いながら煙草を灰皿に押し付けた。
梶山との距離感は、ベッドの上でのそれに似る。
狭いベッドの上で二人、恋人でもないのに限りなくそれに近い距離で、そして恋人ではないから服は着ているし触れもしない。
彼との距離は、それが好ましい。
互いが互いに一番近いものでありたい。
それは、愛や恋ではないけれど。
ここが一番、楽に呼吸が出来るのだ。
―― We want to stay here.
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