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2012 18th Nov.
川の流れる音と、夕日の強いオレンジ色。
その陰に隠れるようにした橋の下の草むらで、誰かの肩に寄りかかったままぼんやりしていた。
「シュンくん。」
「ん…。」
なんだかとても億劫な気分で、となりのそのひとが名前を呼ぶのにオレときたら返事もしない。そのせいか、となりのひとはオレを草むらに倒してしまった。
「ねぇってば。…イタズラ、しちゃうよ。」
「三橋さ、」
「ふふ。」
どさぁ、とオレを草むらに押し倒し、そのひとが覆い被さる。
その瞬間下に敷いた草が舞った。みどりの葉っぱがぱっと散り、そのひとの輪郭を撫でてオレのおでこに落ちる。
きれいに唇でわらうひと。このひとは三橋さんだ。兄ちゃんと付き合ってる、高校生の三橋さん。
でも兄ちゃんは今、野球しにアメリカに行っちゃっていなくて、それきりひとりぼっちの三橋さんは弟のオレと過ごしてる。
三橋さんは今日も制服のまんま。チェックのパンツに校章のついた白いニットのベストは、兄ちゃんも通ってたあの高校の制服だ。
秋服のシャツの襟が風に揺れる。そこから細い首がのびて、襟足が少しだけ見える。
三橋さんは肌がきれいだ。肌も髪も、色素が薄いんだ。跳ねっ毛と睫毛が夕日の色を吸い込んで輪郭が淡くなる。
でもその目は、オレをみてる訳じゃない。
オレに覆い被さる三橋さんは楽しそうに笑うけど、いつもどこか寂しそうだ。それはオレが兄ちゃんの代わりだって言われてるみたいで、オレは三橋さんの目を真っ直ぐ見られない。
「痕。つけちゃおうかな。」
「だめですっ、明日オレ、体育ありますからっ」
「じゃ、もっと、見えないとこ?」
ほとんど吐息みたいな声を耳にぽっと落として、三橋さんは首にその唇を寄せる。
こういう、いけないことをオレたちはときどきする。居場所がないから高架橋下の草むらでなんとなくいっしょにいて、それで。
でも唇がオレの肌へおちる前に、また別の誰かがオレを呼ぶ。
「おーい、シュン。」
「…泉くんだ。」
「うわたたたたた!」
「よーネイティブボーイ。うちもうすぐ飯だからよ、こいつ連れてくぜ。シュンー」
「ちょ、ちょ、ちょ、もう!待ってくださいよ!」
草の上に散らばった荷物を拾い集めて背負ったりして、でも声に向かって走る前に三橋さんのほうを振り返った。
三橋さんはなんでもないふうで、でもオレが振り返ると手を掴んでぐいと引く。
あのオレンジ色の、レモン味の飴をなめてる唇がまたねって囁いて、オレは真っ赤になって走ってしまった。
「帰んぞ。」
「はいっ。」
土手を上がるとアイドリングの排気音と、ベスパに跨がるひとが夕日を背負って待ち受けていた。ゴーグルをメットの上に避け、睫毛の濃い、たれた目がオレを射て、自分の座るサドルの前を手で叩く。
ここに座れって言うんだろう。そのおっきな目は引力でも持ってるみたいに、捕まったら絶対に見つめてしまう。その上ひねくれた言葉しか出さない唇よりも饒舌だから、余計目を反らせない。
「三橋と何してたんだよ、このマセがき。」
「なっ、なんもないですよ!」
二人用じゃない黄色のベスパは当然オレが乗れば狭くて、ちょこっと出たサドルのとこに座ると足をぴったり閉じて縮こまるしかなくなる。
それでも余裕なんか出来ないから、後ろのひとはまたゴーグルをかけるとニッと笑って体をくっつけてくるのだった。
ベスパが急発進で走り出す。舗装されてない土手に土煙をあげて加速しながら、泉さんは胸へぎゅっと抱いたオレの耳に直接言葉を流し込む。
「オレ見てたんだぜ。キッスマークはどーこだっと、」
「うわわハンドルから手離さないでっていうか前見てくださいよちょっとおおおお!」
「これぐれぇでオレが事故るかよ。」
「これぐらいってこれ以上ないエマージェンシーですから今!」
スピードメーターがぐんぐん上がってるっていうのに、片手離しでオレのパーカーを引っ張り未遂に終わったイタズラの痕を確認しようとする。
このへんなひとは、今うちに住んでいるお手伝いで、兄ちゃんのだった二段ベッドの上で寝起きしてる宇宙人だ。
名前は泉さんという。さきごろこのベスパでオレを轢き、あまつさえ自前のベースで頭を殴りつけてくるという最悪のそれがすべての始まりとなり、今に至る。
「あれ、この道ちがいますよ、」
「黙ってろ。舌噛むぜ!」
「うっ、」
夕日色した特別チューンのベスパはばかみたいに速くて、カーブも全然減速しないで突っ込んでくから、気が付いたら家じゃないとこに連れていかれてしまった。
そこは町が一望できる丘で、いちおう観光スポットだから古ぼけたおみやげ屋さんなんかがある。
泉さんはそこでホットドッグを買ってくれた。
「夕飯、はいんなくなっちゃいますよ。」
「つまんねーこと言わねぇでありがとうとか言えよ。」
「ごちそうさまです。」
「おう。」
オレンジよりも赤味が増した夕日で眼下の町も染まっている。一面ひといろだから、海で夕日を見てるみたいだ。
お礼を言ったらその夕日の真ん前で泉さんが笑った。逆光だから真っ黒くなって見えないはずなんだけど、なんでかそれは見えた。
帽子ごと頭をぐしゃぐしゃに撫でられながらオレはなんだか、今は遠くアメリカの兄ちゃんを思い出していた。
でも年の離れた兄ちゃんに頭を撫でてもらった覚えはないというか、可愛がってもらった覚えもあんまりないけど、留学するほど野球のうまかった兄ちゃんのことは生まれた時から見ていた。
かっこよかった兄ちゃんと泉さんは、どことなく似てる気がする。
それはちょっと距離のある兄ちゃんに、こわいけど優しくしてくれる泉さんを、「こうだったらいいな」って重ねて見てるだけかもしんないけど。
それでも兄ちゃんと泉さんの違うとこは、泉さんは他人で宇宙人で、きれいだってとこだ。
錆だらけのベンチに座って、二人並んでぬるいホットドッグを食べる。家の屋根が夕日をはねて輝くのが波みたいできれいだなんて見ていたから、泉さんに見つめられていることにしばらく気がつかなかった。
自分で買ったマスタードまみれのホットドッグはほとんど手つかずのまま、それをぶらぶらさせながら泉さんは膝に肘をついてオレを見ている。
いつも何かわるいことを考えてるような、いたずらっぽい目だと思う。
その印象どおり、泉さんの行動は常軌を逸している。ありえないベスパの乗り方とか、ひとの頭をベースで思いっきり殴り付けて来たりとか、お手伝いのくせに家事が全然できなかったりとか、宇宙人てこととか。
頬杖ついた泉さんがニヤニヤしながら見てくるから、なんですかって言ったら手が伸ばされた。
ひとさし指で、オレの唇のちょっと外れたところを撫でる。そんでもって。
「ケチャップついてる。」
ぺろ、と舐めてしまった。なんだか誘うみたいにひとさし指のケチャップを舐めるから、やっぱりオレは夕日みたく真っ赤になった。
「シュン、オレのこと好きだろ。」
「ひぇッ?!」
「言えよ。好きだーって。」
言うや否やにじり寄ってきた泉さんと体がくっつく。近づく顔はやっぱりニヤニヤしてて、オレは思った。
上機嫌っぽい泉さんは唇の端と端とを引いてくっきりした弧を描き、オレの肩に腕を回す。
濃い睫毛が大きなたれ目の枠に沿い、とろんとした瞳がうそぶいた。
兄ちゃんに似てる泉さんが、兄ちゃんとは決定的に違うとこ。そういう目をしてオレをからかうとこだ。
ふつうのオレにはふつうの世界がふつうの長さであるもんだと思ってた。
でもふつうと違う兄ちゃんがいて、そんで三橋さんとふつうと違う過ごし方をして、ふつうとはほど遠いへんな泉さんが宇宙から来たことでもうオレも違ってしまった。
ふつうだったはずのオレのまわりは嘘であふれてる。
彼らがオレにかかわるのはそのためなのに、今までふつうすぎたオレは嘘つきでずるい彼らに惹かれてしまってる。
「え、と、」
「おう。」
「げふっ?!」
「違うよ。」
「あ?」
「シュンくんはね、オレが好きなんだ。ね。シュンくん。」
「みみみ三橋さんっ?!」
「ね?」
「えっあのその」
「ハァ?シュンはオレが好きだろ。オレは毎晩こいつとおんなじベッドに寝てんだぞ。」
「おんなじ二段ベッドの上、でしょ。オレは痕残せるくらい、親密だし。」
「一方的にだろうが!」
突然三橋さんが現れた。後ろからオレの首に腕を回して、今度はそれを見た泉さんがオレの腕を組んでひっぱる。
おもにオレを押し合いへし合いしながら、ひとの耳元でやんややんやとやっている。
あー夕日が燃えてるみたく真っ赤。ちらちら赤を反射する目の前のそれが海になってるけど、最初町じゃなかったっけ。そういやなかなか暮れないなあ。今日の夕飯はなんだったんだろ。あ、ホットドッグがない。
「シュンくん」
「おいシュン」
「「オレのが好きだろ?」」
えーっと。
――――――――
「オラ。」
「ふにゃっ。………、あれ?」
「目が覚めたかよ。 」
「…いずみさん。」
「珍しくおまえ寝こけてっから今まで寝かせてやってたんだけど、朝飯だから起こせっつってはまだが。」
ぴしゃ、とおでこに衝撃を感じて跳ね起きる。
なんかすごいびっくりした。久々に開けた目に横から強い光が射して、目を細めて周りを見た。
大きな窓があり、そこから日の光が入り込んでいる。状況と感じからして朝日だろう、そしてここは、最近ベースとして使っている空き家だ。
起こしに来たのは同じパーティのいずみさんで、朝はいつも早起きしてレベル上げに行くんだけど、彼の言葉からするに、おれは寝坊してしまったのだ。
なんの夢みてたっけ。
無意識におでこへ添えた右手の陰から大きなたれ目の顔を見て、オレはなぜかどきっとした。
「なんの夢みてたんだよ。にやにやしたり呻きだしたり、退屈しねぇなおまえの頭。」
一瞥するとこちらに背を向け、言いながら着替えを始めた後ろ姿をオレは見ていた。
なんか、
ものすごくへんな夢をみていたような気がする。
「うーん?」
数秒前まで見ていた夢がとんでもなくへんなものだったのは覚えているけど、たたき起こされたせいかそんな印象しか残っていない。
へんていうかなんかむしろ、いろいろすごかったような。
あんまり印象の強い夢だったので思い出そうとしてみたが、その感覚は体から抜けていくばかり。寝ぼけまなこでぼんやりしていたら、着替えを済ませたいずみさんがオレのベッドに腰を下ろした。
「うわ。」
「よっと。」
何のことはない、ブーツのヒモを結ぶためだ。慣れたふうに手早く済ませる指をじっと見ていたら、結び終えたいずみさんと目が合った。
あれ。この感じなんか。
あ。
「ああぁ…。」
「なに唸ってんだひとの着替えの一部始終見やがって。さっさと起きて飯にすんぞ飯に。」
「すいません…。」
思い出した。思い出してしまった。
思い出してしまったオレはむしろ思い出さないほうが良かった頭を抱えながら唸るくらいしかできない。
窓から入ってくる朝日はこれ以上ないくらいきれいだってのにもう。
なんて夢みたんだろ。生きててすみません。
―― But i don't think like that usually!!
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