>> 逃げ出したんだ
まさか、よりによって今、このタイミングで!先輩と出くわすとは想像もしなかった。私が一歩引いて距離をとるが、先輩はいつもと変わらないニコニコだった。
「今日初めて会ったね」
寝坊?と首を傾げる先輩。すごく魅力的。でも、さっきから頭にチラつくのは先生の言った言葉ばかり。
―少年とは喋るな
どうする、どうすればいい?
口から漏れるのは声にならない迷いの呼吸。心拍数が不自然な程上がっていく。
「・・・葵ちゃん?」
黙っている私を不思議に思ったのか、先輩はニコニコした顔から眉を少し寄せて心配そうな顔になる。ああ、私先輩にこんな顔させてる。そんな先輩に申し訳なくて、視線を逸らし俯いた。
その沈黙を破ったのはティキ先生だった。
「葵ちゃーん」
私は先生の声にバッと顔を上げて、先輩とドアの隙間から見ると、先輩の向こう側、先生は数学準備室へ続く廊下に立っていた。
「俺ずっと待ってんだけど」
そして私は業後の数学の時間が過ぎていることを思い出す。「すいません!」そう言って、先輩のことをそっと見た。目が見事に合ってしまい、胸の奥がドスンと重くなった。でも何も気付かないフリをして、また目を逸らし、「失礼します」と蚊の鳴くような声で言って、すぐに走って逃げた。
呼び止めるような声が聞こえたかもしれない。でも振り返ることはできなかった。
少し走った先に、先生が壁にもられかかって待っていた。あのニタニタした顔で。
「葵ちゃんもなかなかやるね」
「・・・どういう意味ですか」
「あれ?葵ちゃん実は小悪魔なの?」
先生はカラッと笑った。
私は、とてもじゃないけど笑う気にはなれなかった。先輩にあんな顔をさせてしまった。体中が重くて、苦しい。
「帰りは送るからな」
先生はそう言って準備室の中に入っていった。微かにするタバコのにおい。
先輩は怒ってしまっただろうか、それだけが心配だった。
逃げ出したんだ
20111222
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